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パンデミックの記憶の風化(4)(2024)

4 日付
 戦争や災害、事故、事件など社会的記憶をもたらす出来事には、それを象徴する日付がある。そうした回想の日は戦争とそれ以外に大きく分けられる。だが、パンデミックはそうした日にちを持っていない。

 戦争には始まりと終わりがある。それは曖昧だったり、見方によって異なったりする場合もある。しかし、大半の戦争には開戦と終戦の日が明確である。

 ベトナム戦争を例にすると、1955年11月1日に始まり、1975年4月30日にサイゴン(現在のホーチミン市)が陥落したことで終結したとするのが通説である。ただし、アメリカの関与には段階がある。1964年8月2日のトンキン湾事件を口実にアメリカが北ベトナムを攻撃し、1965年2月7日に本格的な北爆を開始、1965年3月7日には陸上部隊を南ベトナムに派遣する。1968年から断続的に続けられていたパリ和平会談で、1973年1月27日にベトナム和平協定(パリ和平協定)が成立し、アメリカ軍は軍事活動を停止している。1973年3月29日までに米軍は南ベトナムから撤退を完了したが、戦争は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によって終結する。曖昧ながらも、ベトナム戦争も始まりと終わりを規定できる。やはりサイゴン陥落のあの大混乱の映像が終戦を世界に印象付けている。

 戦争には、開戦と終戦だけでなく、その間に起きた惨禍が戦争の悲惨な特徴を物語るとしてそれが象徴的な日にちとされることもある。日本を例にしよう。1945年3月10日は一晩だけで10万人以上が犠牲になった東京大空襲の日である。1945年6月23日、祷民を巻き込む地上戦が展開された沖縄戦における組織的戦闘が終了している。1945年8月6日、アメリカ軍が広島にウラン型原子爆弾、1945年8月9日、長崎にプルトニウム型原爆をそれぞれ投下している。もちろん、これだけではない。

 近代の政治の目的は平和の実現である。戦争への突入は政治の失敗を意味する。戦争に関して終戦や戦災の日に政治家が責任主体として公式の追悼・慰霊行事を執り行い、こうした参加を繰り返さないことを内外に誓う。この趣旨から開戦よりも終戦の日の方を重要視する。開戦日はおろかな戦争を始めた日にちであり、公式行事が開催されることは少ない。ただ、継続中の戦争の場合は開戦日が象徴的な日にちとして政治指導者が国民に向けて、経過を振り返りつつ、戦勝への決意を表明する。また、戦争に勝利したり、それを通じて独立を果たしたりした国の場合、その大義を確認し、犠牲者を殉死者として忘却しないことを表明する。政治は公的、信仰は私的領域に属するという政教分離の基本原理からこのような儀式は無宗教で実施される。

 その日に合わせてメディアは当時に関連する史料を改めて伝え、新事実を発掘、以降後の経緯を検証する。人々は、個人的体験のみならず、行事や報道を通じてその出来事について想起し、再検討する。普段はさほど意識していなくても、その日が来ると、忘れてはならないと決意を新たにする。季節行事と揶揄されることもあるが、こういうきっかけがなければ、記憶を広く継承するのが困難であることも確かだ。

 一方、戦争と違い、災害や事故、事件は、発生日は明確であるが、終わりがはっきりしない。時が経つと、ある人にとっては終わったと意識されても、別の人にはまだ終わっていないと認識されていることも少なくない。だから、こうした出来事を象徴する日にちは発生日である。

 東日本大震災は2011年3月11日、日本航空123便墜落事故は1985年8月12日、地下鉄サリン事件は1995年3月20日にそれぞれ発生している。公的な場合もあるが、関係組織・個人が主体となって追悼・慰霊の行事を行う場合もある。社会的記憶の継承のため、メディアもその日に合わせて当時の映像・記事を改めて伝ええたり、新事実を発掘したり、その語を検証したりして報道量を増やす。これは2000年12月30日から翌日にかけて起きたとされる世田谷一家殺害事件を始めとする未解決事件をめぐっても認められる光景である。そうした行事・報道を通じて人々は社会的記憶の確認・更新を行うと共に、時の経過も実感する。

 日付は主観的ではなく、客観的である。それは人々の間で認識が共通する。ある人が2024年2月12日を自分の娘が生まれた日だから紀元1年1月1日にすると決めても、社会的には通用しない。2024年2月12日は2024年2月12日であると共通に認識して社会は動いている。日付は個人の外部にある公共的なものであるため、客観的でなければならない。だから、社会的記憶を象徴する日にちを人々は共有できる。

 年月日は誰にとっても自分の外部にあるので、他者と共有できる。日記は、まとまりのない記述であっても、日付があるため、その日の出来事や印象、意見の内容と第三者でも理解できる。

 日付は時間の区切りの機能があるものの、それ以上の意味はない。2024年2月12日は2024年2月11日や2024年2月13日と違うが、同じ1日である。

 日付が意味を持つのは文脈を喚起する時である。1945年8月15日は1945年8月14日や1945年8月16日と同じ1日ではない。昭和天皇が玉音放送でポツダム宣言を受諾したと語り、日本の敗戦を国民が知った日である。8月15日は1945年以後の歴史において特別の意味を持つ。そういう文脈が日付に意味を与える。それを共有することで人々は日付から意味を理解する。8月15日はこの社会的記憶の文脈を日本社会が確認する日である。

 個人が特定の日を自分にとっての記念日と思うことは自由である。また、親しい人と文脈を共有して記念日を決めることも構わない。日本の祝祭日に当たっても、個人的に別の記念日として祝うことも問題ない。「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」(俵万智)。しかし、社会的記憶に基づく記念日を恣意的文脈に公的に読み替えることは許されない。「私」の記念日はいつでも構わないが、「公」や「共」のは社会的記憶によるコンセンサスを必要とする。

 文脈の共有の認知行動が最も欠落した日にちの一つが4月28日である。安倍晋三内閣は、2013年4月28日に東京の憲政記念館で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催する。1952年4月28日、日本政府が調印したサンフランシスコ平和条約が発効する。。この条約により、1945年9月2日の日本の降伏以降、連合国軍の占領下にあった日本の主権が回復する。しかし、それは沖縄や奄美、小笠原が米国の統治下に置くことの継続を意味する。そのため、この日は、日本から切り離された地域の人々にとって、「屈辱の日」である。安倍政権は日本の政府でありながら、こうした歴史的文脈を理解していない。沖縄が猛反発したように、4月28日は最悪の記念日の一つである。

 日にちは時間である以上、客観的には同じ24時間であっても、主観的にそれより長かったり、短かったりすると感じられる場合がある。文脈が広く人々の間で共有されている場合、その時間感覚が共同主観としてなりたつ。1944年6月6日、連合国はドイツ軍に占領されている北西ヨーロッパへの侵攻を目的とするノルマンディー上陸作戦を開始する。アイルランド出身のアメリカのジャーナリストであるコーネリアス・ライアンはその詳細をノンフィクション"The Longest Day"にまとめる。1959年に出版されると、たちまち世界的なベストセラーになり、1962年に映画化もされる。1944年6月6日は、それを知る人にとって、「いちばん長い日」だったというわけだ。

 なお、この作品の邦題は『史上最大の作戦』である。核兵器が開発されたため、あれだけ多数の艦船を一つの海岸に集中することは危険である。現在では行えない作戦なので、その名称は決して誇張ではない。

 半藤一利は、このノンフィクションに影響され、玉音放送に至る日本の1日の模様を『日本のいちばん長い日』にまとめる。1965年に刊行されたこのノンフィクションは1967年、岡本喜八監督によって映画化されている。1日と思えないほど出来事が多いと、人は長く感じるものである。

 9日以来、議論に議論を重ねて来た閣僚たちは、疲労と心労が一時に吹き出し、ほとんど虚脱状態に近かった。その頭の中で、鈍いいろいろな思いが去来して交錯する。
 ある者は、歴史上初めて経験する敗北の意味を何とか噛み締めようとし…ある者は、終戦に持ち込めなかった日本をぼんやり想像した。
 原爆が次々と各都市を破壊していく。九州の薩摩半島と関東地方の九十九里浜に殺到してくる100万の連合軍・・・北海道にはソ連…、いやソ連は朝鮮半島を一気に南下し北九州や中国地方へ…日本は各所で分断され、男も女も子供も老人もその砲火と硝煙の中で倒れていき、日本列島は8000万の累々たる屍骸の死の島に…だがこれらの曖昧模糊とした思いも肉体的な疲労感には勝てず、ともすれば薄れ、そして誰しも考えた事は皆一様に同じだった…、疲れた…、長い日だった…、本当に長い一日だった…、だがその長い日も今ようやく終わった。
 しかし、その一同の考えは間違っていた。 長い日は終わるどころか、まだその半分しか過ぎていなかった。
(岡本喜八『日本のいちばん長い日』)

 日付は、5・15事件や2・26事件が示す通り、固有名詞としても機能する。固有名詞には二つの特徴がある。一つは文脈を理解していないと、それが何を指しているのかわからないことである。普通名詞の示す情報は文脈に依存しない。医者や教師、新聞、犬はコンテクストを共有していなくても、その意味を認知できる。しかし、固有名詞は、文脈を確認していないと、誤解が生じる。「武蔵」と言われても、その単語だけでは令制国のことなのか、戦艦なのか、格闘家なのか、学校なのかわからない。固有名詞はこのように文脈に依存する。

 もう一つはそれが命名された瞬間を持っていることである。原理的にはその起源がわかる。『旧約聖書』には人名や地名の由来の言及がいくつも認められる。日付は固有名詞のこの機能を強化する。5・15事件は5月15日、2・26事件は2月26日に起きた事件と名称から起源がわかる。

 社会的記憶をもたらす出来事は固有名詞によって示される。固有名詞は先に挙げた二つの特徴を持っている。出来事が象徴的な日にちを有していることは人々にその起源を喚起し、記憶を想起させ、文脈の共有を促す。日付は社会的記憶にとって極めて重要な意義を持つ。これが風化に抗う機能を果たす。ところが、パンデミックはそうした日にちを有していない。これが忘れられる大きな一因である。

 このように考えてくると、講談社の文芸誌『群像』が2021年4月号においてとった姿勢に疑問を抱かずにいられない。これは東日本大震災発生から10年に当たる号である。

 編集長は同月号において次のような「編集後記」を記している。

〈東日本大震災から9年、来年は10年。こうした「年月の区切り」は、それぞれが胸に持つ「〈災〉の記憶」を甦らせもするが、決着/風化/忘却も加速させていく。だが、何も終わっていない。私たちはずっと「震災後の世界」を生きていくのだと思う。だから、「年」をはずし、ただの数字にして、考えるきっかけにする。来年は10、再来年は11、12……文芸誌でできることを続けていきたい〉―昨年4月号の編集後記で書いたように、リニューアル以降、今号の「震災後の世界10」をひとつの目標にしてきました。しかし、校了に向けて続々と集まってくる原稿を皆で読んでいて、このためにお願いをした文章はもちろんですが、毎月の連載も、偶然この号にいただいた原稿も、すべて「震災後の世界」の「いま」が書かれている、と気づいたのです。当たり前のことのようで、ハッとしました。「この月」の文章をひとつひとつ読んでいただくために、特集としてまとめることはせず、表紙にだけ「震災後の世界10」と刻むことにしました。川名潤さんからは表紙ヴィジュアルに、キュンチョメさんのアート作品の提案を受け、今号にふさわしい顔になったのではないかと思います。目次裏のキュンチョメさんの文章もぜひ。思えば、雑誌というのは毎月タイムカプセルを作っているのかもしれません。埋めませんのでまずは読んでいただけたらと思います。

 スケジュールをこなすように、惰性で特集を組んだところで出来事の風化につながるだけだと編集長は考えている。どの文学作品もその後の社会を描いているのだから、ことさらにテーマとして取り上げる必要もない。今を直視することが出来事の定着を露わにする。けれども、この姿勢が風化に抗うことにつながらないことはすでに明らかである。

 大切な人を亡くすような衝撃的な出来事の体験者にとってその記憶がいつまでも生々しいままでは日常生活を送ることも困難になる。それはPTSDがよく物語る。時が心の傷を癒すためには、記憶の薄らぎが必要である。しかし、鬼籍に入った人にとって忘却されることは耐え難い。だから、命日を迎えた時、決して忘れていないことを亡き人に伝える儀礼が求められる。無縁仏でさえも僧侶が供養するのはそのためだ。

 社会的記憶をもたらした出来事を象徴する日に当たり文芸誌が特集を組むことにも意義がある。それが風化に抗う認知行動である。
〈了〉
参照文献
アルベール・カミュ、『ペスト』、宮崎嶺雄訳、新潮文庫、1969年
菊池寛、『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』、文春文庫、2020年
志賀直哉『小僧の神様 他十篇』、岩波文庫、2002年
森毅,『自由を生きる』、東京深部出版局、1999年
岡本喜八、『日本のいちばん長い日 [DVD]』、東宝、2005年

「カミュの「ペスト」累計100万部突破 新型コロナ拡大で再び注目」、『NHK』、2020年4月8日 20時46分配信
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200408/k10012376431000.html
林幹益、「『マスクかけぬ命知らず!』動揺、100年前の日本でも」、『朝日新聞DIGITAL』2020年4月26日 16時00分配信
https://www.asahi.com/articles/ASN4S4CYPN4FUTIL01M.html
「伝染病とマスクの歴史、20世紀満州でのペスト流行で注目」、『AFPBB News』、2020年6月7日09時00分配信
https://www.afpbb.com/articles/-/3284745
「『群像』2021年4月号」、『tree』、2021年
https://tree-novel.com/works/episode/7d874f2e36392c11a44a0955a659994d.html
「映像の世紀バタフライエフェクト 『スペインかぜ 恐怖の連鎖』」、『NHK』、2022年
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/J5PYJ1PQKX/
飯島渉、「消えゆく新型コロナの記憶 『社会の記録』保存早急に」、『朝日新聞DIGITAL』、2024年1月26日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15847943.html
「人口流出、31道府県で拡大 『東京集中』少子化招く懸念」、『日本経済新聞』、2024年1月30日19時32分配信
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA297V90Z20C24A1000000/

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