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植民地支配における日本語教育と日本近代文学の成立(9)(2004)

9 日本語というイデオロギー
 1898年(明治31年)、第4代総督の児玉源太郎により後藤新平が民政長官に任命され、彼はアヘン・砂糖・ショウノウ・タバコなどの専売事業を促進、林業・鉄道事業の育成によって財源を確保し、台湾経営を軌道に乗せている。同年、初めて公学校のカリキュラムを規定した公学校規則が制定されたのに伴い、台湾でも日本語に関する教科科目がカリキュラムに導入されている。日本語科目は「国語作文」と「読書」だけであり、前者では台湾総督府編纂『台湾教科用書国民読本』、後者では文部省編纂『小学読本』や儒教の経書が教科書に選ばれている。『台湾教科用書国民読本』にはカタカナ表記による台湾語の翻訳がつけられ、経書の方では、まず台湾語、次に北京官語で読む過程になっている。日本語は漢文と一緒に教育され、書き言葉は漢字を使っている点から漢文に近いと判断されてカリキュラムに取り入れられている。

 ところが、1904年(明治37年)、公学校規則が改定されてから事態は一変する。旧規則においては、公学校教育の目的を「徳教ヲ施シ実学ヲ授ケ以テ国民タルノ性格ヲ養成シ同時ニ国語ニ精進セシム」だったが、新規則では、「国語ヲ教エ徳育ヲ施シ以テ国民タルノ性格ヲ養成シ」に変更されている。公学校教育の目的が、第一に、「国語」の教授になった結果、日本語科目は、日本語を教授するための「国語」と平易な漢文を台湾語で教える「漢文」に再編集され、前者は週十時間の授業時間が義務化されている。

 日本は、植民地に対して、西洋近代文明の媒介者ではなく、完成者であると支配を正当化する根拠付けが不可欠となっている。そうしないと、日本文化の大きな根源である中華文明への言い訳ができない。確かに、近代文明が生まれたのは欧米であるが、それを完成したのは日本である。近代文明は日本によって再発見されたものだ。こうしたヘーゲル的な倒錯は、革新官僚が体現している通り、戦前を通じて見られるだけでなく、戦後にも生き残っている。日本が短期間で近代化を達成し、脱亜入欧を果たせたのは日本語を使っているからである。日本は東亜に近代化を伝播させるだけでなく、日本語を東亜に輸出しなくてはならない。

 戦後、多くは欧米で最初に開発された家電製品や自動車などで世界的に成功して経済発展を達成した結果、「名誉白人」としてアジアで最初の先進国入りという脱亜入欧を果たしたとき、戦前同様の図式に基づいて、日本的経営を輸出している。日本的経営が優秀だから、日本は驚異的な経済成長ができたとして、工場進出した東南アジア各地に、日本的経営を強要している。製造業は現地からの反発に直面、解決策を模索する。後にその経験が中国に進出した際に生かされている。

 日本固有の文化を教化する際、天皇制は血統性が強く、また中華文明との影響なしにはありえないため、植民地における教育の支柱とするには不適当であると現場は判断している。そこで、日本語への過剰な意味づけが行われ、内地と植民地の合一性を日本語の共有に求めている。植民地政策の上では、天皇制よりも日本語の方が上位に置かれることになる。

 「国語」は、現在では中国や韓国でも使われているものの、もともとは日本に特有の表現であって、日本語以上に、学校で教えられる科目を指す。この名称は、明治期の国民国家建設の過程で、アイヌへの弾圧、排外的なナショナリズムを背景に生まれている。国体の象徴としての「国語」の尊重を唱えたのが上田万年であり、学校教育における「国語科」の設置である。それ以前は「本邦語」や「邦語」、「日本語」などが用いられている。

 日本を指し示す漢字として「和」・「邦」・「国」の三つがあるが、その中で、「国」の選択にも明確な政治的なイデオロギーが見てとれる。まず、「和」は朝鮮半島や大陸の人たちが日本を指して歴史的に使われ、「漢」や「洋」などとの相対性がある。次に、「邦」は、本来、繁殖した樹木を境界とする領域内の部族という意味がある。最後の「国」は囲い込まれた境域に由来し、封建的な大名や諸侯の支配地域として使われてきた通り、地理的・行政的区画単位を示す漢字である。「和」と「邦」が人のニュアンスが強いのに対して、「国」は、故郷の意味でも用いられているように、土地、それも支配された土地の意味がある。「国語」は土地と支配のイデオロギーに基づいた言語という意味を帯びている。

 円地文子の父である上田万年は、帝国大学(現東京大学)和文学科在学中に、言語学講座の教師であり、日本語をアイヌ語や琉球語との関係で捉えようとしていたヴァシリー・ハル・チェンバレンに師事した後、1890年(明治23年)にドイツとフランスに留学している。1898年、東京帝国大学文科大学に国語学の講座を設置し、1905年以後、定年まで国語学講座の教授を続けている。上田も、前島と同じく、表語文字の優位性を信じ、字音・仮名遣いの改訂、ローマ字の普及を推進している。

 国語調査会によって国語が形成され始めるのは1902年(明治35年)である。文部省に国語調査委員会が設置され、標準語を目指す国語に関する規範を国家的プロジェクトとして制定していく。この委員会の中心人物が上田万年であり、1895年に発表した『国語と国家と』において、彼は「国語は帝室の藩塀」や「日本語は日本人の精神的血液」であり、その「血液」によって国民としての一体性を実感させると言っている。国語に国民創出の役割と共に均質性・効率性を求める機能を見出している。

 1900年前後には、学校教育・法体系・電信・軍隊制度など均質な言語空間を創出する各種の装置が確立・普及し、上田は近代諸制度を日本語に担わせようとしている。彼は「一国家、一民族、一言語」が大日本帝国の特徴と捉え、それが近代化に有利であり、植民地諸民族に日本語の普及を正当化する論理として提示する。その上で、「東洋全体の普通語」、すなわち東洋における異民族間の共通の言語として日本語を位置づけている。

 上田は国語確立の方便として提起したのだが、帝国の言語としての条件でもあり、日本の帝国主義的膨張が続くにつれ、この主張は正統性の地位を占めるようになる。上田は、国語調査会を通じて、自説を展開し、「国語」であると同時に「東洋全体の普通語」として日本語の標準化、標準語の必要性を訴えている。このように日本語の標準語は国民国家としてだけでなく、植民地支配と密接な関係にある。

 台湾の教員として新規則の制定に関与した山口喜一郎は、1904年(明治37年)、「新公学校規則を読む(一)」において、日本語の中には「国民の知識、感情、品性」のすべてが含まれており、日本語教育によって台湾人と日本人の「同情同感」が可能になり、「母子両地」が確かなものになると主張している。山口に従えば、日本人の「国民性」とは何か、あるいはそれを指し示す「知識、感情、品性」とは何かという問いは意味をなさない。日本人の「国民性」は日本語が体現している。日本語で語られれば、西洋近代文明であろうと、中華文明であろうと、天皇の勅語であろうと、日本人の「国民性」そのものになる。植民地支配における屈折は日本語によって改称される。

 その上で、山口は日本語教授法として体験的に日本語を「体得」させる直説法、すなわち全教科目における教授用語の日本語化を推進する。教師は、台湾語を用いて、日本語を理論的に教えるのではなく、日本語を体に叩きこまなければならない。1910年代前半には、総督府の刊行していた教科書から台湾語の対訳が削除され、教育現場より台湾語を完全に排除する。山口への批判は当時からすでに強かったが、日露戦争という時代の中、山口の意見は主導権を獲得する。正統性の欠落を日本語審美主義によって埋めざるを得ない。借り物の近代化を背景に、文化的に負っている中華文明を支配するのを正当化するには山口の主張は有効である。日本語審美主義として、日本の帝国主義は日本語の普及のために、行われていく。

 標準語を志向する国語政策が対外的な必要性からとられた点は、これまでに引用してきた公文書の文体からも明らかだろう。戦前、公文書記述は言文一致体を採用していない。政治や司法、軍部、官庁は漢文訓読体で公文書を記している。しかも、古文書などでは濁点をつけなくても、濁音として読み、句読点もないが、原則的に、それを踏襲している。

 11世紀頃になって、濁音のカタカナカに点をふる表記が登場し、さらにひらがなにも点をつけて清濁の区別をするようになったものの、現在使われている濁点の形と用法が決まったのは明治に入ってからである。詔勅で、濁点と句読点がつけられたのは、1946年1月1日に発表された「天皇の人間宣言」が初めてである。その政策を推進したいのであれば、前例を踏まえるよりも、まず為政者自らが率先して言文一致体を使ってしかるべきであろう。彼らは言文一致が神の死、すなわち国民国家・資本主義体制に欠かせない言文一致体ではなく、大陸の影響を色濃く残し、身分に基づく封建社会を引きずる漢文訓読体を公的な書き言葉と認定している。

 帝国主義的政策を正当化するために、標準語を目指す国語を「国民」に普及させながら、権力中枢では、言文一致体を斥けている。なおかつ、政府は「音韻文字」の使用を推進しておきながら、兜町がカタカナの企業名の上場を許可するには、1949年のキャノンを待たなければならない。神の死の受容を途中でやめてしまった矛盾の結果、1946年の「米よこせ食糧メーデー」で、農村を巡幸する天皇を揶揄して、「詔書 ヒロヒト曰く 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食つてるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードが林立することになる。

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