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自由に話してください(2013)

自由に話してください
S aven Satow
Apr. 06, 2013

「自由とは権利でなく、義務である」。
ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ベルジャーエフ

 英会話教室で、中年のビジネスマンが外国人教師から「自由に話してください(Why don’t you speak freely?)」と言われたとします。その直後、彼が沈思黙考したとしても、それは英語力の問題ではないでしょう。

 見ず知らずの日本人10人の中で、日本語で同じように求められても、その人はこう思うに違いありません。「何を話したらいいかわからない」。相手との接点を見出せないからです。

 家族や友人など顔見知りの間で自由に話すことになっても、困ることはありません。相手のことがよくわかっていますから、共通の話題がすぐに見つかります。けれども、見ず知らずの人となると、何が接点になるのか途方に暮れてしまいます。

 先のシチュエーションで言うと、実は、共通点は容易に見当たります。英会話を上達させたくて集まっているのですから、英語にまつわる話題を選べばいいのです。英語との出会いや失敗談など参加者にも思い当たるテーマは見つけやすいものです。

 雛型のはっきりしている実用文書を書くのに人は悩みません。それは読み手と形式を共有しているからです。また、日記も容易です。日付という自分の外側にある枠組みを利用できるからです。相手と共有しているものを頼りにすれば、話題は思い浮かびます。

 英語教育を考える際に、会話を重視する理由の一つとして、国際化する現代、さまざまな文化背景の人の話を聞き、自分の意見を主張しなければならない機会が増えるからということが挙げられます。英語に慣れれば、外国人たちの間でも臆せず話せるようになるというわけです。

 しかし、これは見当外れです。日本人はよくしゃべります。ただ、相手を選ぶのです。顔見知りとはよくしゃべります。反面、見ず知らずの人の前では黙りこくってしまいます。知らない人との接点を見つけることが苦手なのです。英語に慣れるや自分の意見を言う以前の課題が見逃されているのです。

 接点を見つけるのが不得手なのは知識の幅が狭いからです。社交性は、煎じ詰めれば、社会性です。社会は多様化・相対化が進んでいますから、見ず知らずの人と話すには、いろいろなことが頭に入っていなければなりません。知識の幅が広ければ、相手との接点も、そこから検索できます。話すに足るだけ事柄を持っているかどうかが重要なのです。英語に慣れるや自分の意見を言うなどは、これが備わっていることが前提でしょう。広範な知識があれば、話題に困りません。

 もっとも、話題が見つかっても、話をどう組み立てていいのかわからないという次の難問に突き当たります。「どう話したらいいかわからない」のです。顔見知りが相手なら、話の構成も要りません。だらだらしゃべっているだけで十分です。

 文章は文によって構成されています。各文にはめいめい機能があります。それに注意して組み立てると、目的に適った文章になります。話芸では「マクラ」や「オチ」といった概念があります。それは機能による見方です。

 話は目的によって大きく三つに分けられます。事実を伝えるもの、意見を述べるもの、共感を求めるもので、それぞれによって組み立てが異なります。

 事実は話者の外側にある物事ですので、概観や因果関係などを具体的に伝達するものです。最初に全体像を示し、次第に詳しくしていきます。

 意見は話者の内側にある考えですから、理由を納得してもらうものです。意見は、感想と違い、明確な理由があります。それを補強するのが根拠で、これは外側にあります。意見を冒頭にするか末尾にするか、はたまた両方に置くかは内容・事情次第です。ただ、聞いている人が迷子にならないように何について話すかはさっさと言う必要があります。冒頭に意見を持ってくる方が無難です。

 重要なのは、むしろ、理由です。これを納得してもらうために、実例を挙げたり、視点を替えたりなど根拠を示すわけです。

 この根拠の実例において文書と違いがあります。口頭での発表は実際に生身の人間が話していますので、一人称と三人称の入れ替えができるのです。エッセイでは確かに作者の意見ですけれども、三人称として語られます。一方、口頭ですと、実例に言及する時など一人称の体験や実感を差し挟んでもかまわないのです。

 共感は自分の内側の心情の他者との共有ですので、心の動きを理解してもらうものです。心情ですから、明確な理由がないことも多いものです。心情を問いではなく、答えとして引き出す構成になります。これを逆にすると、「嫌いだから殴った」のように、幼稚に感じられます。聞き手はその心の動きのシークエンスをたどることで追体験したり、感情移入したりするのです。先の英会話教室での話であれば、共感型が選ばれるでしょう。

 また、スピーチや講演、プレゼンなど専ら一人で話す場合もあれば、座談や対談、会話など複数で語り合う場合もあります。口頭と言っても、話し方の発想や技術もさまざまなのです。

 口頭では相手の反応を確認しつつ、話の内容や表現を調整しながら、進められることができます。振り返って確かめることができません。一文の長さを短く、情報量を減らさなければなりません。繰り返しを使ったり、問いかけたり、強調したりして相手に意識させる必要があります。特に、ポイントは際立たせないと、聞き流されてしまいかねません。かなりくどくなっても平気なのです。

 「ここに鉛筆が3本ある」も、口頭発表で「ここに鉛筆があります。そうです。鉛筆です。鉛筆が1、2、3。3本あります。はあい、鉛筆が3本です」としてもしつこく感じません。付け加えると、相手への配慮を示すために敬体の使用が標準で、人間関係を円滑にしたり、雰囲気をよくしたりする目的で、挨拶やジョーク、謝意も要るでしょう。

 実際に話せない悩みは「何を話したらいいかわからない」と「どう話したらいいかわからない」の二つの「わからない」から生じています。できない理由がわからないのです。必要なのは話せるためのノウハウではなく、話すことの発想法です。こうした発想こそ「リテラシー」と呼ぶべきです。

 これは話すことに限りません。自由な発想の尊重により、「自由に書きなさい」とか「自由に描きなさい」とか言われて困るのは、その発想の仕方がわかっていないからです。日本では「できること」に関心が向きがちですが、大切なのは「わかる」ことです。もしできないことがあったら、その発想の仕方から考えてみることです。
〈了〉

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