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トランプとマルクス(2016)

トランプとマルクス
Saven Satow
Nov. 10, 2016

「私が証明しているのは逆であって、フランスにおける階級闘争というものが事態や情況を作り出して、そのおかげで、平凡で馬鹿げた一人物が主役を演じることができるようになったということなのだ」。
カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』

 ドナルド・トランプの2016年合衆国大統領選挙の勝利について、既成政治への不満を背景に共和党のみならず、従来の民主党支持層からも得票できたことが一因だろう。経済的・社会的構造変化に伴い、社会の組織化が流動化し、代表する者と代表される者の関係が浮遊する。そこにアウトサイダーが既成政治を批判し、栄光の復活を約束して、自らの支持層に取り込む。

 こうした現象は、歴史的に見ると、今回が初めてではない。このプロトタイプは1852年に誕生したフランス第二帝政である。これを見事に分析したのがカール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』である。

 マルクスの障害の肩書はジャーナリストである。彼は米共和党系新聞『ヘラルド・トリビューン』の欧州特派員としてロンドンで活動している。この作品は時事的出来事を解明する彼のジャーナリストとしての能力が発揮されているものだ。時代を超えて通用する考察であり、すべてのジャーナリストはこれを読まねばならない。

 当時のフランス第二共和政における最大の政治課題は普通選挙法の実施である。選挙権の制限を緩和し、国民の政治参加を拡大する。これを世論が強く求めている。

 普通選挙の問題はフランス革命でもすでに議論となっている。その後の体制や革命、民衆蜂起などでも国民の政治参加の範囲が世論の重要な関心事の一つと位置付けられている。

 しかし、議会の議員は従来の選挙法の下で当選している。選挙権の制限緩和は自らの議席の有無に直結する。政党¥政治家は支持基盤を持って議会勢力を形成している。有権者が増えれば、それも取り込まないと、選挙で勝てない。

 けれども、新旧有権者は利害が対立する。あちらを立てれば、こちらが立たずで政党・政治家はジレンマに直面してしまう。世論の要求に応えるポーズをとりつつ、議会はああでもない、こうでもないと議論を引き延ばす。

 議会は自分たちの既得権を守るために、勢力が談合する。結論は選挙権の拡大どころか、実質的な縮小である。世論は怒り狂う。

 その状況に登場するのがルイ・ボナパルトである。彼はナポレオンの甥で、当時、名誉職だった大統領に就いている。

 彼は既成政治を批判し、世論への賛同を主張する。その際、叔父の手法、すなわち国民に直接訴える手法を踏襲している。彼は議会勢力とのしがらみがない。特定の支持基盤を持っておらず、国民の誰にとっても代表になり得る。国民は混乱の革命を収束させたナポレオンの再来とばかりに彼を熱狂的に支持する。

 このブームに危機感を覚えた議会は慌てて選挙権の拡大を可決すべく動き出す。それを察知した、ルイ・ボナパルトは、1851年12月2日、クーデターを決行する。議会を解散させ、その上、新憲法を制定した上で、国民投票を実施している。その結果に基づいてナポレオン3世として帝位に就く。

 マルクスはこの過程を次のように分析する。従来の選挙法はそれ以前の経済的・社会的構造を前提にしている。しかし、年月と共に変化している。また、議会勢力の保身の動きによって世論からの反発を受けている。こうした背景により代表する者と代表される者の関係が流動化する。

 ルイ・ボナパルトは誰も代表していない。そのため、代表する者を失った代表されるからの支持を集められる。また、既成政党にしても、他の勢力と関係がないので、乗りやすい。しかも、彼は偉大なナポレオンの甥である。本人にはそんなカリスマ性はないが、ボナパルト家の栄光の時代を想起させる。かくして国民投票で圧倒的な支持を獲得し、クーデターを民主主義によって正当化する。

 皇帝としてナポレオン3世は権威主義体制を敷く。マルクスはこの革命運動を強権で弾圧する権威主義的・反動的な運動を「ボナパルティズム(Bonapartisme)」と呼んでいる。

 階級闘争にも言及しないなどこれはかなり簡略した解説である。ただ、このような第二帝政成立までの経緯に関するマルクスの分析は今回のトランプ勝利にも応用できるだろう。

 経済的・社会的構造の変化によって生じる諸問題に十分に応えられない既成政治への不満が広く国民の間に募る。従来の政党・政治家と有権者の支持=被支持関係が流動化する。それは社会の組織化が崩れたと言える。そこに、しがらみのない人物が登場し、直接国民に迎い既成政治を批判、栄光の復活を約束する。自分たちの代表を求めて浮動していた有権者の支持が流れ込み、選挙で勝つ。

 こうした現象は第二帝政やトランプ勝利に限らず、世界的に広く見られる。最近の日本で言うと、橋下徹が好例だろう。個人は社会の組織化を通じて政党・政治家にコミットメントする。そのため、社会の組織化が未整備だったり、溶解したりする状況で起きる現象である。その統治は権威主義的で、恣意的な政策の優先順位がとられ、支持した有権者の利益に反することがしばしばだ。

 実は、この現象を呼ぶ適切な概念がない。マルクスの「ボナパルティズム」を権力奪取後のみならず、その前の過程にも拡張して用いる必要がある。社会の組織化の脆弱性を背景に、アウトサイダーが国民に直接向かって既成政治を批判、栄光の不活を約束し、投票を通じて権力を奪取する権威主義的運動と定義しよう。

 これはポピュリズムと違う。ポピュリズムはマルクス主義の階級闘争による革命の修正である。労働者階級が未発達な場合、プロレタリア革命は困難だ。そこで、階級協調による社会変革を試みる。これがポピュリズムである。利害対立する階級を強調させるために、ポピュリスト政権はバラマキを行う。それが原因で財政赤字をもたらして失敗するのが一般的な帰結である。

 このように考えてくると、トランプ減少はアメリカのボナパルティズムと見ることができよう。その帰結がどうなるのかと言えば、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の冒頭が次のように語る通りだろう。

 ヘーゲルはどこかで言っている。すべての世界史的な大事件と巨人は二回現れるというようなことを。ただしヘーゲルは、それに加えて次のように言うのを忘れている──一回目は偉大な悲劇として、二回目は安っぽい茶番狂言として、と。
〈了〉
参照文献
カール・マルクス、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』、市橋秀泰訳、新日本出版社、2014年

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