笑蝉記(6)(2021)
6 方丈の暮らし
長明は、方丈の庵の生活について次のように述べている。
いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす。かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。
その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。林軒近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山といふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。春は藤なみを見る、紫雲のごとくして西のかたに匂ふ。夏は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。秋は日ぐらしの聲耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。冬は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。もしねんぶつものうく、どきやうまめならざる時は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また耻づべき友もなし。殊更に無言をせざれども、ひとり居ればくごふををさめつべし。
庵は草深いところにあるが、水と燃料に恵まれている。そこはライフライン完備というわけだ。庵の周囲はうっそうとしているけれども、阿弥陀如来が救いに来る方角である西側は見通しがよく、長明は仏の教えを思い浮かべる。阿弥陀如来は西日を背にして人を迎えてくれるとされる。
また、四季折々の記述は『枕草子』を始めとする伝統を踏まえている。これは浄土教によるそのパロディである。春の藤波は、阿弥陀如来の乗り物である紫雲のようである。夏のホトトギスは冥途の鳥で、闇夜に鳴いて死への山道を案内する。秋のヒグラシの空蝉はこの世のはかなさの象徴である。冬の雪は人間の罪状の比喩で、積もっても祈りや行いによって消すことができる。このように、庵の立地や環境自身が論理的に理想的である。
長明は庵を修養・生活・就寝に三分割している。なんちゃっての時にも幾分取り入れていたように、設計やデザインといった隠者の庵に関する情報は、当時、かなり流通している。長明はそれを参考にしていたようで、他の隠者をめぐる史料が伝える庵と共通点が認められる。
この庵に長明は和歌書と音楽書、『往生要集』から抜き書きしたノートを持参している。彼は歌人として知られ、音楽を愛好していたので、その関連テキストを隠遁生活でも手放せなかったことは理解できる。また、『往生要集』はリテラシーのある人にとって必読の書である。これは、985年、比叡山の恵心院に隠遁していた源信が浄土教に基づき、多くの経典等から極楽浄土に関連する文章を集めた著作である。地獄や極楽についての記述がよくまとまっていて、日本のみならず、大陸でも読まれたほどのベストセラーとなっている。当時の人々にとって最大の関心事は極楽浄土がどのようなところで、どうしたら行けるかである。平均寿命が短く、生きている間は苦労ばかりだ。けれども、極楽浄土三行けば、永遠の幸せが待っていると言う。極楽浄土の様子や行き方を教えてくれるこの本を読み書きのできる人は貪るように読んでも、不思議ではない。
ただし、後に沙弥満誓に影響されて歌詠みにも取り組むが、源信は和歌のような文学を「狂言綺語」として仏教と相容れないと批判したことで知られている。仏教は本来禁欲主義であり、その言葉も真理であるから、シンプルに本質的でなければならない。レトリックを要する文学とはおよそ異なる。
この「狂言綺語」は白居易の『白氏長慶集』における「於意云何我有本願願以今生世俗文字之業狂言綺語之過轉爲將來世世讃佛乗之因轉法輪之縁也」を典拠にしている。文学をすることは仏教的に見れば罪深い。文学者は罪人である。だからこそ、来世ではそれを自覚して往生する転倒があり得る。そう白居易は言う。
他に、長明は楽器も持ち込んでいる。琵琶や琴だけでなく、持ち運びに便利な折り琴や継ぎ琵琶もある。折り琴は真ん中からたたむことのできる琴で、継ぎ琵琶はネックを取り外しできる琵琶である。長明は、現代的に言えば、携帯端末やギター、キーボードを持ってモービルホームで隠遁生活に入った高齢者だろう。なかなかクールだ。
Sometimes the comfort of a room
Sometimes I'm quite alone
I pack to leave a foreign town
It seems I'll never know
But I'll rent new accommodation
We'll make plans for mobile homes.
Slow boats moving with the tide
Drifting far from shore
It's the nature of this country life
I've never known before
Still we'll make plans for buildings and houses
From mobile homes.
My life
Still life in mobile homes
Plant life
My life
Still life in mobile homes.
The sound of wildlife fills the air
So warm and dry
The bushland burns in this southern heat
Like an open fire.
Still we'll make plans for buildings and houses
From mobile homes...mobile homes
Plant life
My life
Still life in mobile homes
Blood life
My life
Still life in mobile homes.
A voice screams from heaven
As we start to sail
It's the calling of the fatherland
I used to know so well.
‘Til I'll find new accommodation
We'll make plans for mobile homes.
Plant life
My life
Still life in mobile homes
Plant life
My life
Still life in mobile homes.
(Japan “Still Life In Mobile Homes”)
八幡平では、iPhoneでニュース記事や古典を読み上げソフトで聞いたり、ドキュメンタリー番組を視聴したり、音楽鑑賞したりしている。もっとも、電波状態が悪いので、何とか動作するポイントは2か所しかない。YouTubeで音楽を含めて動画を閲覧するようになって以来、過去の再発見が増えている。加藤茶のスティックさばきがあれほど柔らかなことは動画を見るまで思いもよらないことである。
長明は、庵の外の描写の後、内での行いについて次のように述べている。
もしねんぶつものうく、どきやうまめならざる時は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また耻づべき友もなし。殊更に無言をせざれども、ひとり居ればくごふををさめつべし。必ず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ何につけてか破らむ。
修行も自分次第だ。一人なので、他者にあれこれ言われたり、その目を気にしたりすることもなく、修養も自分の意志だけでできる。休んだり、さぼったりするのも自分のせいだ。また、誰もいないのだから、無言業もおのずとできる。他者を気にする修業は本物ではない。
仏教では、身体的・言語的・精神的活動が人間のすべての活動であるとして、それを「身口意と呼ぶ。この三つには各々対応する修業がある。言語の修業が口業である。しかし、口は禍の元とも言い、あえて言葉を発しない修行もある。それが「無言業」で、落語の『蒟蒻問答』でも知られている。ちなみに、立川談志の噺がお気に入りである。
また、長明は日々の楽しみについて次のように述べている。
もしあとの白波に身をよするあしたには、岡のやに行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、もし桂の風、葉をならすゆふべには、潯陽の江をおもひやりて、源都督(經信)のながれをならふ。もしあまりの興あれば、しばしば松のひゞきに秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。藝はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。
「あとの白波」は船が通った航跡のことで、世の中のはかなさを意味する。これにも典拠があり、沙弥満誓の歌「世の中を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし」を踏まえている。彼は、721年に出家するまでの名を笠朝臣麻呂《かさのあそみまろ》といい、万葉歌人の一人である。この歌は『拾遺和歌集』では「世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡のしら浪」と引用されている。当時非常に人気があった作品で、長明もこれを参照している。
庵は非常に静かで、風に吹かれる桂の葉の音さえ聞こえるほどだ。桂の葉っぱは薄く、小ぶりで、風に吹かれても、屋内にいる人の耳に届く音を出す者ではない。これは静けさのたとえである。ただ、この一節はすぐ後に言及する源都督の別名「桂大納言」をかけている。そんな静かな昨夜には、白居易が琵琶を聞きながら『琵琶行』を詠んだとされる中国の尋陽の江に思いを寄せながら、源都督(源経信)を真似て琵琶を弾く。彼は桂大納言と称され、当代随一の官人と評されている。長明は松の風音がしたら『秋風樂』、水の流れる音には『流泉』を奏でている。誰もいないので、つたない演奏だったとしても構うことはない。曲に合わせて歌うのも自分だけの楽しみだ。長明は評価基準を他者ではなく、自己の内に置く。他社に左右されることは決して倫理的ではない。ここでの生活は評価基準が他者ではなく、自己にあり、一切のルサンチマンから解放されている。
別荘での毎日は訪れる人いないため、規則正しくできる。朝5時に目を覚ます。カーテンを開け、外の光を部屋に入れる。サプリメントを冷たいコップ1杯の水と飲む。八幡平の水は夏でも冷たい。そのため、ご飯もおいしく炊ける。iPhoneでニュースをチェックしながら、45分程度ストレッチをする。これは大学の体育の授業で習ったセンスアップエクササイズを続けている者だ。なお、自宅では朝食後に行っている。ストレッチや軽い負荷の運動を終えたら、15分ほど入浴する。その後、TVニュースを流しながら、朝食を用意、7時から食べ始める。テレビは地上デジタル放送しか映らないが、それもニュース以外はほとんど見ない
八幡平での朝食はパン、卵、野菜サラダ、スープ、それにハム・ソーセージ・ベーコンのいずれかである。パンはカナン牧場製かブロートビュッテ麦童だ。ソーセージの時はゆで卵、それ以外は目玉焼きだ。また、野菜サラダの具はタマネギ、キュウリ、ニンジン、ピーマン、トマト、カニ風味かまぼこ、ドレッシングは塩コショウ、ニンニク、ローレル、クミン、コリアンダー、一味唐辛子、レモン汁、オリーブ油である。レモンとオイルはどちらも大さじ1杯だ。季節などの理由によってサラダの具も異なる場合があり、その際、香辛料の種類も変わる。食後はブルーベリーヨーグルト、ミックスジュース、コーヒーを摂る。
ただし、長明と違い、自給自足とはいかない。種類も含め食材はベルフ八幡平(生協)や産直で購入する。季節によってキノコや山菜、栗などが荘の周囲で採れるが、こうした恵みは手に入った時は儲けものくらいのものだ。
隠者であろうとなかろうと、食事は健康・美容への投資である。穀類はもちろんのこと、肉や魚、卵、豆類、イモ類、野菜、海藻、果物、乳製品を毎日まんべんなく摂る。必要な栄養を摂取するためには、ある程度の量を食べなければならない。身体を動かし、そうできるようにしておく必要がある。また、その際、バランスも考慮する。同じカロリー数であっても、分子構造により、タンパク質・糖質・脂質では消費に違いがある。窒素を含むたんぱく質はその日のうちに消費される。脂質に比べて、糖質は分子量が小さく、構造が整っている。そのため、糖質が消費されやすいのに対して、利用されなかった脂質は脂肪として体内に蓄積されてしまう。摂取カロリーは糖質やタンパク質を優先にし、脂質は控えめにする。
八幡平の夕食は、夏をのぞけば、鍋物が多い。朝昼に十分ではなかった食材や栄養を補えるからだ。例として、2021年5月2日と3日の夕食のメニューを挙げておこう。2日は豚肉の味噌鍋、食後は緑茶、リンゴで、3日は豆乳ゴマ鍋、食後は紅茶、リンゴである。晩酌は、ワインを除けば、しない。風呂上がりのビールがよい。エビスプレミアムブラックを2、3缶ほど飲む。
日本料理は素材を生かすと言うが、その分、塩分が多い。香辛料や酢、だし汁を使い、塩分を抑えるようにしている。味が悪くては満足感もないし、続かない。それには、料理法もバリエーション豊かにする必要がある。また、飲酒を含め外食に積極的ではない。黒澤明監督同様、そうした料理を自宅でできないかと試す方が満足につながる。東南アジアや南アジア、中東の料理が特に好みだ。
ビールを飲む合間に、八幡平の外の様子をうかがおうと、窓を開けることがある。網戸の隙間から虫が入らないかと恐る恐るサッシにかけた手を横に引く。昼と違い、外は無音の世界である。鳥も虫も何一つ音を立てることをしない。雑木林なのだから、生き物の音がするはずと思いきや、耳鳴りが聞こえるだけだ。その暗闇が音を吸収しているようにさえ思える。秩序が完全に静止している。これが夜というものだ。人間が入っていく世界ではない。
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