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権力の館と半開きの空間(2016時

権力の館と半開きの空間
Saven Satow
Jul. 25, 2016

「ワイガヤ──ワイワイガヤガヤと議論することで、相互信頼と共通認識を持つことができる」。
本田宗一郎

 御厨貴東京大学名誉教授は、『権力の館を考える』において、権力をめぐる建築が建て替えられる際、空間が閉鎖的になっていると指摘している。首相官邸や議員会館、政党本部、最高裁など個室化が進んでいる。例外は日本共産党の本部で、学校の職員室のような大部屋である。

 以前は、官邸の廊下で新聞記者がコピーをとるなど建築空間が開放的すぎたことは確かである。けれども、ワイワイガヤガヤとした雰囲気があり、その活気から新たな発想や政策が生まれている。

 官邸においてスタッフがあるアイデアを思いついたとする。かつてなら首相の耳に入れようと執務室を訪れたが、今は入室の手続きが煩雑なので思いとどまってしまう。御厨教授は「ワイガヤ」が薄れ、多様なコミュニケーションが減少したのではないかと危惧している。

 稀代のアイデアマン、すなわち「大風呂敷」として知られた後藤新平にこんなエピソードがある。彼は新しい発想が浮かぶと、桂太郎首相の元に押しかけたと伝えられている。話し終えて帰ったかと思うと、戻ってきて別のアイデアを口にするといったことも頻繁である。桂によれば、後藤の提案は、十のうち九は手に負えない夢想だが、残りは独創的である。今の閉鎖的な官邸ではこのような画期的アイデアが生まれる可能性が低い。

 人は、慎重に考えたつもりでも、偏りや見落としがあるものだ。多様なコミュニケーションはそれを修正したり、気づかせたりする。多角的な見方により認識をよりよくすることができる。こうした議論を通じて信頼や協力の意識が生まれ、強化される。

 また、イノベーションは新結合を意味する。新しい結びつきはエントロピーが増大すると起きやすい。整然としていては、その可能性が低い。御厨教授の懸念は決して杞憂ではない。セレンディピティのような遇戦の産物も生まれる可能性も高い。

 閉鎖性の理由はセキュリティなどが挙げられるだろう。けれども、現代の建築の流れに逆行している。戦後、核家族を理想として建築家は住宅をデザインしている。その際、個人の自立を念頭に個室化を進めている。いわゆる子ども部屋はその典型例である。しかし、個室は孤立を招き、家族のコミュニケーションを小さくしてしまう。

 建築家はこの考えを改める。プライバシー保護を考慮しつつ、コミュニケーションをとらざるを得ない空間を設置する。

 閉鎖的な個室の問題が世間も知るようになったのが阪神・淡路大震災である。被災者が住居した仮設住宅で大勢の孤独死が発生する。原因はさまざまであるが、その一つに住民同士の交流スペースの乏しさが挙げられる。死後何日か経ってから発見されるという寂しいケースも少なくない。

 その教訓を踏まえて、東日本大震災の際には、仮設住宅にも入居者が交流しやすいような工夫が施される。交流するための広場が設置され、コミュニケーションを通じて感情を分かち合ったり、絆を拡充したりして、孤立を防ぎ、孤独死は生じないようにしている。

 コミュニケーションは人間の身体的・精神的活力に欠かせない。建築空間もそれを促進するようにデザインする必要がある。これが現代の建築の考え方である。セキュリティを理由に権力の館を閉鎖的空間にするならば、それ浅慮を招く。

 個室は閉鎖空間であるから、コミュニケーションが生まれないのなら、開放的な空間を設置すればよいと思うのは短絡的である。道路は開放的空間である。けれども、創発的なコミュニケ―ションは促されない。人が流れていくだけで、話し合うきっかけがない。

 コミュニケーションを促進するのは半開きの空間である。そこは人が出入りし、なおかつとどまっている。待合室や縁側を思い起こせばよい。人はコミュニケーションを始めるために、声をかけなければならない。それにはきっかけが要る。その機能を出入りが果たす。

 実は、この空間は演劇舞台の基礎である。演劇では人の出入りによって物語を展開する。コミュニケーションはその時に生じる。

 携帯電話が普及しているから、個室であっても創発的なコミュニケーションが確保されるという意見は、浅はかである。携帯電話の通話は一対一である。また、固定電話よりも何となくの気分が強いとしても、やはり目的をもってかける。この制約によりエントロピーの増大が見こめない。携帯は半開きの空間を用意できないのであり、ワイワイガヤガヤのコミュニケーションをもたらさない。

 多様なコミュニケーションを確保するために、権力の館は半開きの空間を備えていなければならない。閉鎖的な空間のコミュニケーションは独善的な浅慮をもたらす可能性がある。それはしばしば人々危険に巻きこむ。

 1940年7月19日、近衛文麿首相は東京の荻窪にある自邸「荻外荘」に松岡洋介外相とや東条英機陸相等を呼び、会談を開く。この荻窪会談で三国同盟を始めとする今後の方針が決まる。

 自邸は閉鎖的な空間である。家人が許可した人しか入れない。また、外に出ることも促せる。人の出入りを家人が管理できる。このような空間で行われるコミュニケーションにワイワイガヤガヤの雰囲気はない。一方向的なコミュニケーションが日本を破滅の道へと推し進めてしまう。これは権力の館を考えるための教訓である。
〈了〉
参照文献
難波和彦、『新しい住宅の世界』、放送大学教育振興会、2013年
御厨貴、『権力の館を考える』、放送大学教育振興会、2016年

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