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なぜ日本の組織は独創的な人物を生かせないのか(2024)

なぜ日本の組織は独創的な人物を生かせないのか
Saven satow
Jan. 075, 2024

「僕が心から超一流と思う人はどう生きたのか。みんな、小利口なことなどせず、鈍くさいことをひたむきにやり、バカだといわれた時期があった。バカになるしか成功の道はない。それが結論だった」。
西澤潤一

 この年末年始、日本の組織文化をめぐる記事を『朝日新聞』と 『日本経済新聞』が掲載している。前者は2023年12月27日 5時00分配信「『何もしない』は得なの?」で、太田肇同志社大学教授やフリー研究者の山口口周、オランダ在住の元経済記者山本直子へのインタビューである。独創的な人材を日本の組織が生かせないことをテーマにしている。

 後者は2024年1月2日 5時00分 配信「横並び日本、ノーベル賞の卵を門前払い 異能は革新生む宝」で、山内悠輔を具体例にしている。彼は日本の大学に「門前払い」されたため、オーストラリアに渡り、実績を積み重ねたところ、名古屋大学から「世界の権威を招く制度の第1号」に選ばれ帰国している。従来、独創的な人材に冷淡だった日本の組織も変わりつつあるという内容の記事である。

 いずれも、独創的な人物が日本から生まれないことを嘆くのではなく、それを活用できないこれまでの組織風土を取り上げている。その理由として、太田教授は低成長時代における個人による組織への適応戦略としている。失敗すれば立場がなくなるが、成功してもたいした得はない。それなら何もせずにいた方が得策だ。おまけに、「減点主義」の組織に適応して昇進した人物がトップにいるのだから、この風土が改まるはずもない。その上で、教授は日本における個人と組織の関係について次のように批判する。

 「日本人は個人は弱いけれども、組織は強い」と言われてきましたが、本当にそうでしょうか。私はむしろ逆だと思います。専門性を持つプロフェッショナルとして、個々の社員が力を振るうことが変化を生むのに、リスクを過剰に恐れ、すぐに「待った」をかけて組織の論理を優先させてしまう。そのことが個人の力を弱め、活力を奪っているのではないですか。

 しかし、こういった組織風土は高度経済成長期や低成長期に形成されたのではなく、もっと以前に起源があるように思われる。それをよく物語るのが西澤潤一のケースである。

 彼は高度成長以前からこうした組織風土と戦い続けた独創的な人物の一人である。NHKは、1985年3月4日、『NHK特集 光通信に賭けた男〜独創の科学者・西澤潤一〜』を放送している。この公共放送は同番組を2022年3月21日にも再放送し、その内容を次のように紹介している。。

今日の高度情報化社会を支える光通信。それは、入口で電気信号を光に変える半導体レーザー、その光を通す光ファイバー、出口で光を再び電気信号に変えるpinダイオードから成り立っている。この三要素を世界に先駆けて開発、提唱したのが、東北大学の西澤潤一教授であった。しかし、その独創性ゆえに国内では異端視され、彼の発明の多くは海外で認められた。西澤教授に密着し、画期的な発明を生む思想と行動を描く。

 西澤は半導体レーザーとpinダイオードの特許を持っている。しかし、光ファイバーに関して、1964年に申請したけれども、特許庁がそれを却下する。彼はその決定に異議を申し立てて戦ったものの、出願から20年の時効を1984年に迎えてしまう。番組は、半生をたどりつつ、その頃の西澤の活動を取り上げている。

 西澤の専門は電子工学・通信工学で、半導体デバイスや半導体プロセス、光通信の開発で独創的な業績を挙げている。半導体関連の特許保有件数は世界最多である。彼は主に東北大学で研究をつづけ、東北大学総長や岩手県立大学学長、首都大学東京学長を歴任している。

 1926年9月12日にうまれ、2018年10月21日に亡くなった西澤は、生涯の大半を宮城県仙台市ですごしている。彼は、1946年、東北帝国大学工学部電気工学科に入学する。日本が戦後復興するためには、科学技術力が欠かせないと考え、それに貢献したいという熱い情熱を持って研究職に入る。外地から食うや食わずで引き揚げてくる人々々の姿を目にした青年は、狭い国土に資源もない日本が生きていくには科学技術しかないと確信する。ただ、理論物理学を専攻したかったが、諸般の事情により半導体研究に取り組むことになる。

 しかし、研究費は微々たるもので、実験をするどころか文献さえ手になかなか入らない。そんな状況下、西澤は、1953年、光を電気に変える基礎理論を発表する。これは光通信いつながる画期的な説だったが、学会から猛攻撃を受ける。欧米の誰も示していないことを田舎の研究者が妄想しているというわけだ。

 そこで、西沢は特許を申請、当局から認められる。それを手に開発を企業に働きかけるが、すべて断られる。その後、GEが実用化に成功、アメリカで特許を獲得して日本に売りこみ、使用料を得ようとする。けれども、西沢の特許取得がGEよりわずかに早かったため、日本企業はそれを払わずにすんでいる。

 ところが、こうした西澤の姿勢に学会はさらに嫌悪する。科学研究は金もうけから離れているから、純粋に審理を追求できるのに、西澤は不純だというわけだ。西澤が論文を発表しても、彼らから攻撃されるだけと恩師はそれを自分の机の引き出しにしまいこむようになる。

 学会が独創的な人物を認めない理由はおそらく日本の近代化である。「欧米に追いつけ追い越せ」をスローガンに日本は近代化を進める。学問研究が欧米の模倣から始めるのはやむを得ない。しかし、学者たちは後発のうま味に気がつく。欧米人がまだ見出していない画期的な研究には大きなリスクが伴う。コストをかけて懸命に取り組んでも失敗するかもしれない。そうなれば、努力は無駄になってしまう。また、もし期待した結果を示せたとしても、それを欧米人が認めなければ、名声は得られない。そうであるなら、リスクを避け、欧米で認知された研究を後追いして、利用・修正・補完する方が得だ。加えて、欧米で見出されていない研究を認めて、かりに間違っていたら、学会全体の信頼が世界的に失墜しかねない。リスクを考えたら、独創的な人物を排除した方が無難だ。

 これは産業界も同様である。後発優位性が理由でリスクを回避するため、独創的な人物を排除する。技術革新にはコストがかかるが、それを費やしても成功するとは限らない。かりにうまく行ったとしても、その新商品が市場に受け入れられるとは限らない。欧米ですでに開発され、需要が認められたものを真似して改良したり、廉価にしたりして販売すれば、リスクを取らずに利益を上げられる。日本企業はこういった後発優位性に味を占める。独創的な人物などお呼びでない。

 ただ、学会との違いは経済基盤である。かつての日本企業は世界的名声のみならず、経済基盤も脆弱である。もし失敗したら、取り返しがつかない事態に陥る可能性がある。

 さらに、西澤は、1957年、半導体レーザーを考案、60年、特許を取得する。彼は電電公社にこの技術を売りこんだものの、断られる。1963年、IBMが半導体レーザーを実用化し、日本で特許を申請するが、西澤が先に認められていたため、却下される。これを機に、世界有数のGEやIBMに先んじて画期的な技術を考案していた西澤の名が国際的に知れ渡るようになる。ただし、日本では依然として異端扱いである。

 西澤は、1961年、産学協同の場として財団法人半導体研究振興会を設立、63年に研究所第1号が完成する。彼は、1964年、光通信の3要素のうち最後の一つである光ファイバーの特許願を提出するが、68年、特許庁は既存の技術と重なるとして却下する。西澤はそれに反論、足掛け20年に及ぶ特許庁との闘争が始まる。

 毎度のことながら、光ファイバーのアイデアは日本の学会から冷笑される。企業にも売りこむけれども、現場の技術者は興味を示しても、経営陣は首を縦に振らない。しかし、1965年、西沢はこの研究をアメリカのIEEEの学術誌に英文論文を投稿、それはアメリカの専門家に衝撃を与える。宝島への地図だと狂喜乱舞し、ベル研究所のジョン・R・ピアースが仙台までやって来る。その後、アメリカで光ファイバー開発が本格化、70年、コーニング社が試作に成功、米国で特許を取得する。84年、出願から20年が経過したことにより、西澤は権利認定の時効を迎える。結果、日本企業は莫大な特許使用料をコーニング社に払い続けることになる。

 国際的名声の高まりや産業への貢献により西澤の国内における評価も変わってゆく。1985年にNHKが特集番組を放送したことはその証である。異端視されていた彼も、すでに述べた通り、東北大学総長を始めとする社会的地位に就くようになる。

 その西澤は「独走」を奇想天外な発想ではないと指摘する。彼は、ヘーゲルの「独走とは蓋然の先見である」を好み、それはあくまで合理性に基づいていると強調する。その上で、「独創」は「守破離(しゅはり)」の道筋をたどると主張する。

 「守破離」は、日本の武道や芸道の修行における段階論である。第一の「守」は、師匠や流派の教え、型、技を忠実に守って身につける段階である。第二の「破」は、その上で他の師匠や流派の教えについても学び、それまでの枠を破り、よいところを取り入れて知識や技能を発展させていく段階である。第三の「離」は、一つの流派から離れ、新たな独自の流派を形成していく段階である。

 「独創」はこの「離」の段階において生まれる。確かに、日本では「守」や「破」の段階にとどまることが得とされ、そこから離れようとする人を無視または攻撃する。ただし、そうした現状に不満があるとしても、「守」と「破」を軽視しては「離」に至ることはできない。独創はあくまで「正反合」の弁証法的過程をたどり、事後的に合理性が確認されるものだ。

 キャッチアップ型の近代化は後発優位性を日本の組織に浸透させる。リスクを回避し、イノベーションに消極的になった組織は個人にこの環境への適応を求め、独創的な人物を排除する。この体質はビジネスだけでなく、アカデミズムも同様である。これは近代化自体に起源を持っているので、高度経済成長期であろうが低成長期であろうが変わらず続いている。

 実際、経済大国を自他共に認める頃より、キャッチアップ型からフロントランナー型への転換が語られてきたものの、組織のリスク回避傾向は改まらない。そうこうしている間に、墜落の恐怖に苛まれるようになり、経済力における日本の相対的地位は低下していく。それでも独創的な人物を生かそうとすることに組織は踏み切れない。日本から飛び出て国際的名声を確立した人物を国内に招聘することは、認証済みの保証があるのだから、体質改善の兆候ではない。

 独創的な人物を生かすには、リスクを取ることを組織は避けてはならない。それは失敗を怖がってはならないということだ。そうでなければ、彼らの能力を発揮させられない。西澤は「未だやられていない事でなければならない」や「他所より早く発表しなくてはならない」、「他人がやり直しせねばならない様ではならない」の33原則を自らに課していたが、これは失敗が許されない世界で彼が活動していたことをよく物語る。

 失敗を厭わなくなるには、そこから学ぶ認知行動が不可欠である。失敗にも意義があるなら、リスクをことさらに避ける必要はない。日本の組織が独創的な人物を生かすためには、失敗も進化のチャンスだという発想の転換が不可避である。そもそもそれは敗戦から学んだはずのことだ。
〈了〉
参照文献
西澤潤一、『強い頭と速い頭―教育という複雑科学』、明窓出版、2005年
「光通信に賭けた男〜独創の科学者・西澤潤一〜」、『NHK』、2022年3月21日放送
https://www.nhk.jp/p/ts/DN23LL75QJ/episode/te/P5K4Y14XXP/
「(耕論)『何もしない』は得なの? 太田肇さん、山口周さん、山本直子さん」、『朝日新聞DIGITAL』、2023年12月27日055時00分配信
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15826522.html?iref=pc_rensai_long_93_article
「横並び日本、ノーベル賞の卵を門前払い 異能は革新生む宝」、『日本経済新聞』、2024年01月02日05時00分配信
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF30B400Q3A131C2000000/?n_cid=NMAIL007_20240102_A

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