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EUとノーベル平和賞(2012)

EUとノーベル平和賞
Saven Satow
Oct. 21, 2012

“virtus sola neque datur dono neque accipitur”.

 2012年のノーベル平和賞の受賞者がEUと発表されて以来、それに対する賛否の論争が起きている。平和賞はかねてより受賞者に疑問符のつくケースが少なくなかったが、今回もその例に漏れない。全世界を揺るがしている南欧を震源地とする欧州債務危機は、明らかに、EUの金融・財政政策の不備が要因の一つである。高石ともやの「自分をほめてあげよう」じゃあるまいし、どこが「平和」に貢献しているのかと問いただしたくもなるだろう。”aliis si licet, tibi non licet”.

 EUが歴史的挑戦であることは確かである。武力に頼らない地域統合は史上例を見ない。

 今日の国民国家や国家主権、領土、外交理論などは欧州に起源を持っている。これはその特殊な歴史が生み出した考えである。ヨーロッパはローマ帝国の崩壊以降、天下統一が実現したことがない。むしろ、その試みは欧州を混沌に陥れることであり、ヨーロッパ人は戦国時代の秩序を維持する道を選んでいる。その上で、武力に依存しない天下統一を果たそうという発想は画期的であることは間違いない。”assiduus usus uni rei deditus et ingenium et artem saepe vincit”.

 ただ、天下統一を拒否してきた認識は、世界的に見ると、奇妙である。天下統一は、通常、安定した秩序をもたらすので、望ましい動きと歓迎されているからだ。欧州の国家規模は全般的にアジアより小さい。” concordia res parvae crescunt”.

 東アジアにおいて天下統一はその地域で共有された大儀である。戦国時代は秩序が不安定であり、忌むべき状態と理解されている。戦争は天下統一のための手段である。その目的が達成されると、国内では戦乱が収まり、長期的な安定政権が持続される。江戸幕府は300年、李氏朝鮮は世界史に例を見ない500年も続いている。”aliena nobis, nostra plus aliis placent.”

 天下統一のメリットは、経済的に見れば、明白である。市場規模が分裂状態に比べて大きい。国境を超える度に支払っていた関税が撤廃される。度量衡を始めとした単位が統一され、流通・取引が合理化される。このように、いくらでも挙げられる。”nulla res carius constat quam quae precibus empta est.”

 日本では、戦国時代まで天下統一には京都をとることが目指されている。しかし、京は海に面していないため、大阪への航路が確立した桃山時代には都としての意義が完全に失われている。尊王攘夷運動が盛り上がった時、また都に復帰できると期待して支援した京都の人も多かったが、海への玄関口を持っていない都市が島国の首都に選ばれるはずもない。”tempora mutantur, nos et mutamur in illis”.

 中国の場合、書き言葉は東アジアでの共通語の漢文であるが、話し言葉に関しては欧州以上にバラエティに富んでいる。天下統一の際に重要なのは中原で、王朝によって支配地域がかなり変動する。現在の中華人民共和国の領土範囲は清朝をやや狭くした地域である。”nemo autem regere potest nisi qui et regi”.

 しかも、東アジアは朝貢貿易と冊封体制によって中国を中心にした理念的統一秩序が形成されている。日本は朝貢をしたり、しなかったりするが、この考えはこうである。中国皇帝は偉大な有徳者である。周辺国はその徳を慕い、貢物を持った使者を派遣する。皇帝はそれ以上の褒美で応え、さらにその地域の支配権を授ける。この華夷秩序を維持するため、中国は慢性的な貿易赤字を抱え、これが王朝交代の要因の一つともなっている。”non mihi, non tibi, sed nobis”.

 華夷秩序に挑戦したのが豊臣秀吉である。しかし、彼は東アジア諸国を敵対的関係に陥れた夢想家として見なされ、同時代人からも朝鮮出兵は無謀な誇大妄想と斥けられている。徳川家康はこの戦後処理と秩序回復に奔走する。”rident stolidi verba Latina”.

 欧州では、逆に、天下統一させないための手段として戦争が捉えられる。19世紀を例にとろう。ナポレオン・ボナパルトは天下統一を夢見て、欧州全体を巻きこむ大戦争を繰り広げた挙げ句、失敗に終わる。天下統一の野望はこのように破壊と混乱をもたらすから、抑止しなければならない。この戦国時代の存続のために外交理論が著しく発展する。どこかの国が軍事力を蓄え、そうした動きに出ようとしたら、他国は同盟を組んで対抗し、戦争でそれを打ち砕く必要がある。同盟の力学による力の均衡を維持することが天下統一の試みを封じこめる。小さい戦争は大きい戦争、すなわち天下統一を防止する手段である。” calamitas virtutis occasio est”.

 一世を風靡した小沢さとるのマンガ『サブマリン707』(1963~65)の「U結社編」に、敵役ウルフ・シュミットが自らの目的を世界の「征服」ではなく、「統一」だと速水洋平一佐に告げるシーンがある。サブカルチャーでは、概して、こうした認識が示されることは稀で、悪役は「征服」を口にするのが常である。征服と統一は受ける印象が違うけれども、実際には同じである。”veni, vidi, vici”.

 しかし、力の均衡論は同盟が柔軟に組み替えられている内は機能したが、硬直化するにつれて効力を失い、最終的に第一次世界大戦で破綻する。しかも、欧州が世界進出する中で輸出された政治・経済・社会制度は各地に秩序の不安定化をもたらしている。ソーシャル。キャピタルを始めそこの暗黙知の意義を欧州人も非欧州人も軽視ないし軽蔑さえしている。戦争も天下統一のための手段ではなくなる。「文明化」といった新たに登場したイデオロギーによって正当化される。” certa amittimus dum incerta petimus”.

 アドルフ・ヒトラーが天下統一を企て、第二次世界大戦が勃発する。最初の大戦が終わってわずか20年後のことである。こうした経験を経て、欧州は天下統一の動きを抑止する発想を転換する。非軍事的に天下統一を達成すれば、武力に訴えるそうした動向は起きようがない。” audendo magnus tegitur timor”.

 何世紀も前から多くの思想家が平和的な欧州の天下統一プランを提案してきたが、二度の世界大戦の経験を味わってようやく実行に移され、紆余曲折の末、93年、超国家的共同体のEUが設立される。” aut viam inveniam aut faciam”.

 EUは地域統合の一つのモデルとなり得るけれども、欧州の歴史、すなわち暗黙知が反映しており、そのまま他でも適用できるわけではない。すでに天下統一が実現されているところではなおさらだろう。しかし、自分たちの暗黙知を見直す際に、EUは参考になる。受賞を手放しで称賛するのは言うに及ばず、非難しているだけでも能がない。”abeunt studia in mores”.
〈了〉
参照文献
小沢さとる、『サブマリン707』1~7、秋田漫画文庫、1976~77年

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