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ハルウララに見る「史上最低」の意義(2004)

ハルウララに見る「史上最低」の意義
Saven Satow
Mar. 23, 2004

「史上最低の本?モリタヨシミツの『困ったときのアミダ様』!200ページに亘ってただアミダくじが書いてあるだけ!」
佐藤清文

 ハルウララは、2004年3月22日の高知競馬場において、武豊騎手をもってしても、10着に沈みます。結果はともかく、ハルウララのおかげで、存続の危機にさえあった高知競馬は彼女によって活気を以前にも増して呈しています。

 こういった現象に対して、競馬はブラッド・スポーツとして勝つことを目的にして発展してきたのであり、負けが許されるのは本質的ではないという意見もあります。競馬関係者だけでなく、おすぎもそう主張しています。しかし、弱さが人気の理由になることは別に異常ではありません。

 ニューヨーク・メッツは1962年に発足しましたが、そのシーズンの成績は40勝120敗、4シーズン連続100敗以上を記録するという恐るべき弱さによって人気があったものです。正直、ハルウララ現象の反対者の競馬をめぐる言説は、明石家さんまを使ったJRAのコマーシャルが示している通り、かび臭くなっています。

 一方では、重松清という自己憐憫しか能のない作家がハルウララについて書いていますが、その中途半端な文章が物語っているように、勝利至上主義の世の中における一服の清涼剤程度の主張です。しかし、彼女の人気の原因はそのとてつもない弱さでしょう。見るからに勝てそうもなかったため、どこの厩舎からも買い手がまったくつかなかったという逸話の通りの結果にいつも終わる力強い弱さです。

 武豊騎手は、レース後、「競馬を知らなかった人も、この馬を通じて、競馬場に足を運んでくれた。ファンを集めることができる。ある意味、名馬だと思いますね」と言っています。勝てない馬は数多くいます。けれども、106連敗しながら、まったく勝利を期待せず、ファンが声援し、走り続けられるのは、彼女が「史上最低」の競馬馬だからです。

 ちなみに、アメリカにもデビュー以来連敗し続けているジッピーチッピー(Zippy Chippy)がいます。ジッピーチッピーは、父がノーザンダンサー(Northern Dancer)の子コンプライアンス(Compliance)、母がバックファインダー(Buckfinder)の子リスンレディ(Listen Lady)という血統です。99年5月にデビュー以来86連敗を喫して、米国競馬の連敗記録を塗り替えています。その後も出走する度に連敗記録を更新し続けています。人気もやはりハルウララと同様ですが、唯一違うのが調教師の姿勢です。フェリックス・モンセラーテ調教師はいつもこの馬の勝利を信じ、自信満々です。レースでの敗北が発表されると、レース主催者の元へすっ飛んでいき、トミー・ラソーダよろしく、「今のは進路妨害じゃないか!」などと激しく抗議し始めるのです。

 「史上最低」のものがその業界を救うことは、実は、ハルウララだけではありません。1970年代前半に、ニューヨークに登場したニューヨーク・ドールズもそうです。

 ニューヨーク・ドールズは、まず、「史上最低」のバンドと言って間違いありません。彼らはロックに対する誰にも負けない愛はありましたが、誰よりも才能がありません。この5人組のバンドは、憧れのローリング・ストーンズのような音楽をやっていると本人たちは信じて疑いません。

 けれども、騒々しいだけのサウンド、耳障りなヴォーカル、どこかで聞いたことのある安直な歌詞、だらしないルックス、ひきつったようなステージ・アクトとすべてが未熟でとても「音楽」と呼べません。多くの人は呆れ、失笑し、数あるアマチュア・バンドの一つにすぎない「パンク(チンピラ)」と切り捨てています。ただし、あくまでも大部分の人は、です。

 彼らに既存の音楽の破壊と新たな音楽の萌芽を見出したミュージシャンが現われます。当時、ポップ・ミュージックは行き詰っています。高度に洗練されていくものの、多くのミュージシャンはマンネリを感じています。そんなときに、登場したのがドールズです。彼らはただロックが好きだという動機だけで、何一つ持ち合わせずに、人前でパフォーマンスを行っています。それを見て、ロックは、本来、シンプルな率直さだったのではないか、洗練されない生(き)の自由なフィーリングを忘れていたのではないかと苦悶していたアーティストたちはショックを受けているのです。

 上手いと下手の違いは。自身に対するメタ認知の有無によります。例えば、教室での子どもの質問は何を聞きたいのか意図がわからず、輪郭がぼやけていることが少なくないのに対し、学会における質問は極めて明晰で鋭く、はっきり言って、意地悪です。

 詩人のパティ・スミスは、バンドを結成し、ドールズ風のやかましいサウンドと耳障りなヴォーカルにラディカルな歌詞を乗せています。また、ラモーンズは、意識的に、装飾を剥ぎ、荒々しいストレートなサウンドをつくりあげます。パンクと呼ばれるこういった音楽は、ニューヨークを中心に、アメリカのロック・シーンを革新するのです。

 さらに、イギリス人のマルコム・マクラーレンは、ドールズのだらしないファッションをヒントに、カギ型に裂けたシャツをロンドンにある自分のブティック「セックス」で売り出し、バンドのメンバーを募集します。オーディションの合格者と店で働いていた店員とあわせてバンドを結成させ、その突飛な服を着させて、ドールズ風の曲を演奏させています。そのバンドこそセックス・ピストルズです。

 ピストルズの登場はイギリスに一大センセーショナルを巻き起こします。クラッシュやダムド、ジャムといったパンク・バンドもすぐに生まれ、音楽だけでなく、ファッションにも影響を与えることになります。ついには、ピストルズはエリザベス女王の口元に安全ピンを刺したレコード・ジャケットを発表したため、右翼に襲われてしまいます。

 ムーブメントとしてのパンクは70年代で下火になりますが、80年代以降、ポップ・ミュージック自体を構成するようになります。パンクの方法が応用されるのです。トーキング・ヘッズはコンピューター・サウンドとブラック・ミュージックをパンクに結びつけ、U2はシンプルなリズムにドラマティックなヴォーカルを展開、R.E.M.はパンクに基づくフォーク・ロックのサウンドにクラシックを取り入れ、ニルヴァーナはハード・ロックに援用しています。90年代に入ると、インディーズ出身のオルタナティヴを標榜するバンドは、パール・ジャムを代表に、パンクを基盤にしています。

 『ローリング・ストーン』誌が、先日、偉大なアルバム500を選んでいます。その中には、パティ・スミスやセックス・ピストルズ、ニルヴァーナなどの名前はありますが、ドールズは見当たりません。

 彼らに新たな音楽の萌芽を見出したトッド・ラングレンがプロデューサーをかってでたものの、ファースト・アルバム『ニューヨーク・ドールズ』は無残に失敗し、次の『悪徳のジャングル』では、同様に大物のジョージ・モートンを起用しても、同じ結果に終わり、この二枚だけでバンドは解散してしまいます。ハルウララと違い、一般の人気はさっぱりです。そんな彼らに、まさか、自分たちがエルヴィス・プレスリーやビートルズの登場に継ぎ第三の革命を起こしたという自覚はないでしょう。何しろ、史上最低なのです。

 夏目房之介は『マンガはなぜ面白いのか』の中で次のように述べています。「マンガがとても豊かな娯楽性を発揮して、大衆文化として根づいているとすれば、先鋭的な表現と定型的な表現とが互いに完全に分離しないで、交流しながら発展しているからだろうと考えられます。おうおうにして批評家やマニアがバカにしてしまうような作品、どこを読んでも同じような類型的な作品がたくさんあることによって、初めてマンガ文化全体が豊かなダイナミズムを持ちうるのです。『いいマンガ』、『優れたマンガ』、『先鋭的なマンガ』のみを評価して、『くだらないモノ』は排除するという発想でマンガをとらえると、自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」。

 これはマンガに限らず、文化全般に言えることです。音楽も競馬も文化であるとすれば、「『くだらないモノ』は排除するという発想で」とらえると、「自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」。その業界が行き詰ってしまうのは、そういった原因で起きるのでしょう。史上最低のものはそれを伝えてくれているのです。
〈了〉
参照文献
夏目房之介、『マンガはなぜ面白いのか』、NHKライブラリー。1997年
モリタヨシミツ、『困ったときのアミダ様』、フジテレビ出版、1987年

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