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死とは?
閲覧ありがとうございます(*´▽`*)
山田教の教祖をやっている山田です。
「うげっ、変なページ開いてしまった!」と思ったそこのアナタ!
お茶(´・ω・)っ旦~
まあ落ち着き給えよ。
山田教は架空の宗教なんだ。
そういうロールプレイなんだ。
詳しくは一番下のリンクを参照してくれ。
では、自己紹介も終わったことだし、テーマの「死とは?」について語っていきましょう。
山田教では「死」をどう捉えているのか。
人は誰しも死ぬ。
その最後が訪れる前にきっと皆一度は死について考えるだろう。
そのとき、「死」怖いよー (((( ;゚д゚)))アワワワワ
とならないようにこの記事を読んで貰いたいです。
この記事を読むと「死」への恐怖が薄れるでしょう。
薄れるといいな。
たぶん薄れる。
きっと薄れるさ。
でもね。大事なことだから最初に言っておくけど、山田教は自殺を推奨していません。
死んだらどうなるの?についてはこの記事ではなく、次回投稿しようと思っていますが、自殺したら地獄に行くよ。たぶんね。
その地獄は生きているときより苦しい世界だよ。
じゃなければ地獄として意味がないから。
だから今よりは楽になるはずだと楽観的に考えて自ら命を絶つのはやめようね。
この記事は自殺志願者の背中を押すためではなく、皆さまの終活のお役に立てればと思って書いています。
では前置きが長くなりましたが、「死とは?」について山田教の教えを語りましょう。
世の中に平等なものはあるでしょうか?
いきなりですね。ちょっと考えてみてください。
不平等な世の中です。
容姿、才能、環境、生まれ落ちた瞬間から差があり、その差に皆苦しめられます。
そして、世の中に平等なものがあるか?の問いに対して、こう答える人がいます。
「時間だけは平等だ」
と。
時間だけは平等に与えられており、人はその時間をどう過ごすかが大事であると。
成功者は才能や環境で成功したのではなく、その時間を他者とは違って成功のために費やした。他のものが遊んでいる時間も成功のために努力したのだと。
この「時間は平等である」という考えは、成功者が他の人々から妬まれないように広めた考えなんではないかと邪推してしまいます。
なぜなら「時間は平等ではない」から。
確かに1秒はどんな人にとっても1秒でしょう。
平等です。
しかし、総量が違います。
人は突然死んだりします。事故や病気、事件に巻き込まれて。
そんな大きなイベントがなくても寿命は人それぞれ違います。
命の時間、人が与えられた時間というものは決して平等ではないのです。
「時間だけは平等だ」
という方は、では平等なものなどこの世にないのかと思うかもしれません。
違います。
あります。
この世で唯一平等なもの、それが「死」です。
人間だけでなく、生物に平等に与えられているもの、それが「死」なのです。
神様が平等に与えてくださったものが「死」のみであると知って絶望するでしょうか?
いえ、絶望などしません。
なぜなら、死とは「優しさ」だからです。
死が優しい?
ピンと来ないでしょうか?
思い悩んでいる人がいます。
その人は死ぬと無になれると思い安らぎを得ます。
今世を満喫した人がいます。
その人は死んだ後の来世を夢みます。
リアルがくそだと思っている人がいます。
その人は死んだ後、異世界へ転生されることを夢みます。
人が大嫌いな人がいます。
その人は死んだ後、好きな生き物になれることを夢想します。
今世で最愛の人とお別れをした人がいます。
その人は死後の世界でまた出会えることを願います。
死とは可能性であり、希望であります。
死後を夢みる自由が与えられています。
死が怖い方は死後の素晴らしい世界を想像しましょう。
死はどんなものにも最後必ず訪れる救いです。
死とは神様が与えてくれた優しさです。
それでは、皆さまの人生がより良いものになることを祈っております。
山田教の教祖
山田教については下記記事をご参照ください。
バックナンバー
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