朝のくしゃみ

詩と挿絵

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きみたちのうた

日常を歩く 決して走らない 歩く 歩く 歩く ドライブで過ぎ行く残像も綺麗だ でもぼくはこの目で確かめたいものがある 深海を泳ぐ 身体がずぶずぶ 潜る潜る潜る 朝焼けは心を洗い流す でもぼくはその寂しさに耐えられない 大切なものを壊したくないだけなのに どうして地球が回る度に重力を無視して宇宙へと消えてしまうのか 僕はもう疲れた 疲れきったんだーああ 僕が痛い分、あの子の痛みが無くなりますように 祈るよ神様 僕が2回当てた大吉があの子の元へ渡りますように 大嫌いだ神

    • マチアプの返信速度と私

      マッチングアプリを始めた。 色々な人とやり取りすると、当たり前だけど色々なタイプの人がいて、その多様さに驚かされたり、悲しまされたり、面白いと思わされたりすることがある。 そんな中で、自分で自分が面白いと思うことがあった。 それは、相手の返信速度と自分の凹み方には相関関係は無いということだ。 私はてっきり、返信速度の早い人ほど興味を持ってくれているだろうから自分が嬉しいと思うだろう、と、思っていた。 しかし、ずっと返信速度が早い人が急に何時間も、あるいは丸一日とか置い

      • 辛さというものは毒だ

        辛さというものは毒だ。 どれだけ絞り出しても1度体を巡った毒はなかなか排出されない。 手足に痺れが残り、目からは涙がこぼれる。 テレビも音楽も体が拒絶する。 誰かにいて欲しいのに誰かがいると鬱陶しい。 しかし、毒というものは気付かぬうちにどこか遠くへ去っているものだ。 霧は晴れた。体の隅々まで縦横無尽に伸びる。 音楽は私を鼓舞し、リビングで観るテレビは顔をほころばせる。 人と一緒にいる自分を好きになれる。 そして毒の味を忘れてしまうのだ。

        • 心の傷が色んな形で刻まれていく。

          心の傷が色んな形で刻まれていく。 悪夢を見た。本当にほんとうに怖かった。 たかが悪夢と思われることが本当に恐ろしかった。 わたしは弱虫だ。自分で自分も傷つけていた。 眠ることが怖くなった。 気付けば眠れなくなっていた。 こういう風に、心の傷が色んな形で刻まれていく。

        きみたちのうた

          朝の公園【詩】

          朝の公園が明らかにする 滑り台の縁の輝き 太陽を反射するフラッシュ 待ち焦がれるブランコ 期待の共鳴を胸に感じる 怖いものなんてもうない 悪夢だってもう見なくてもいいんだよ 君は解放された 解き放たれたんだ ありがとう ありがとう 朝の公園は明らかにする

          朝の公園【詩】

          年末のお買い物

          年末のお買い物は特別な感じがあって好きだ。 夕暮れのグレーとオレンジジュース色に溶け込みたい。 この穏やかな空気の一部になってしまいたいなあ。 重たい買い物袋を右腕、左腕と持ち替えながらゆらゆら歩く。 食材が料理になるのがいまから楽しみだ。

          年末のお買い物

          時間は伸び縮みするゴムのようなものだ

          時間は伸び縮みするゴムのようなものだと思う。 例えば「ジャネーの法則」というものがある。歳をとるほど時間が早く経つように感じられるというものだ。 一般論として子供の頃の方が世界が新鮮に見える一方、歳をとると経験したことあることの繰り返しであることが多いからだ。 また、「待ち時間」を長く感じるか短く感じるかも過ごし方によって変わってくる。 例えば読書に熱中していれば早く感じられるし、時計とにらめっこをして「いつ来るか、いつ来るか」とあくせくしていると余計に長く感じられるもの

          時間は伸び縮みするゴムのようなものだ

          喜嶋先生の静かな世界/森博嗣

          根っからの理系で研究に没頭する主人公のハードボイルドな視点が私には新鮮で面白い。ただ、どうしても滲み出てしまうという具合で人間味が感じられるのもまたいい。 静かな水面のような研究と、複雑で混線した電波のような人間社会とが交差する時の展開に息を飲むものがある

          喜嶋先生の静かな世界/森博嗣

          雨【詩】

          ギャロップのような雨音で大地が頬を濡らす。 それはやがて深い森林の血肉となりあるいは天に昇って私たちを見守る。 そしてまた私たちと交わりを持つ時、時としてそれは災厄と呼ばれあるいは恵と呼ばれる。 だが雨は私たち俗物の声などを超越しているのだ。 誰一人として我の呼ばれ方など気にせず一心に降り注ぎ森羅万象と交わっていく。 私はそんな雨が好きだ。 この声もどこへも届かないだろう。 それでいいのだ。

          布団

          一日の終りに疲れた足が毛布の繊維とぶつかり合ってなんともいえない快楽がぞわりと襲う。 もぞもぞ脚を動かしながらベストポジションを探って眠りの海に沈んでいく。 スピーカーからは小さくテイクファイブが流れている。 今日の記憶とテイクファイブが洗濯機に放り込まれたようにぐちゃぐちゃと混ざりあって脳内で溶けていく。 少し寒い感じが眠気に拍車をかける 12月の布団という幸せがこの世にあって良かったと思う。

          歩きながら喋ること。

          私は歩きながら喋ることが好きだ。多分人並み以上に。 きっかけは不純な動機だった。高校三年生の時、上野にある(自称)進学校に通っていた私はあまりにもクラスの受験モードガツガツな雰囲気がすごいものだから息が詰まってしまい、二年生までそれなりに頑張っていた勉強を三年生にして放棄してしまった。 どうしても勉強から逃げたかった私は上野から自宅のある足立区までの9.6キロを当時付き合っていた人と歩いて帰ってみた。 最初こそ勉強から逃れられることの清々しさが歩くことの目的だったのだが、

          歩きながら喋ること。

          白いしるし/西 加奈子

          ひどく簡潔に表すと、主人公の夏目が痛々しいまでに真島という男に恋をするという話だ。 どこまでも真っ直ぐで素直な作品だったので、自分の生き方が恥ずかしくなるような、隠れてしまいたいような気持ちにもなってしまった。 中でもこの文章に共感すると共に、なぜ今まで私は当たり前にこのような生き方をしてきてその事に気づかなかったんだと恥じた。 自分が心の中で本当に思っていることを口に出したり、素直にこれがいいと思ったものを手にしたりと、相手や環境に左右されずに石のようにいられたのはど

          白いしるし/西 加奈子

          わたしの月と六ペンス

          留学先で読んだからだろうか。 印象深く心に刻まれている本がある。それは月と六ペンス。 全てを投げ捨て、絵画に人生を捧げた男の話だ。 ゴーギャンがモデルだという説が濃厚らしい。 私はこの本を留学中の旅行のお供にしていたのだが、終盤、男の命が絵画と共に燃え尽きていくシーンが余りにも強烈すぎて眠れなくなったのを覚えている。 月と六ペンスを思い出すと自然と旅行中の思い出も引きずり出されてくるみたいだ。 トロントの路地裏のホテル。近くのコンビニで買ったタバコをなれない手つきで夜中

          わたしの月と六ペンス

          フミンキロク【詩】

          PM11:00、今日も眠りの深海に向かって脚をばたつかせ、泳ぎ続ける。 浮の沢山着いた身体を必死に底へ底へと運んでいく。 AM1:00、苦しくなって浮上する。スマホの画面が顔を白く照らす。 今度は海の方から誘いが来て欠伸と涙。 AM3:00、痺れを切らした鯨のように海面に顔を出す。 小さく流していた音楽はSweetMemoriesに切り替わっていた。 AM5:00、身体の芯から締めあげられるように悪夢が私を痛めつける。手足に残った痺れは微かに残る夢の記憶を振り払わせては

          フミンキロク【詩】

          酩酊【詩】

          ゆらゆら、ふらふら、ごとん、ガチャッ 頭の後ろが締め付けられていながらもそれがどこか遠くの出来事みたいにふわふわと感じられる。 胃は「もう入りません」と言っているけど、喉が「ラーメンを下さい」と言っている。 困ったもんだ。 ビールは私に相反する事象を引っ張りこんでくるみたいだ。 「もう飲まないぞ」「あ〜仕事終わりはビールだ」 未来にもだ。 困った困った。なんて楽しい夜だったんだ。

          1Q84読了(ネタバレなし)

          1Q84を読み終わりました! 2,157頁、2ヶ月以上かけてゆっくり読みました🐌 非現実的で神秘的な描写と、実際的で巧妙な描写が巧みに交差することで、現実離れしたような心地よい離脱感を味わいながらも物語にぐいぐいと惹き込まれていく作品でした。 青豆、天吾、牛河の物語が絶妙に折り重なってどんどん展開が面白くなるし、人物描写が細かいので読み進めるごとに一人一人に愛着が湧きます🍀 共感できるかどうかではなく、登場人物を好きになれるかどうかは私の中で重要ポイント⚪️ あと、や

          1Q84読了(ネタバレなし)