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【自己紹介】さばかんなの個人的日記帳

2018年に書き始め、一時クローズしていたマガジンを再開した。

「個人的日記帳」の由来は、カポーティ原作の映画『冷血』の犯人がつけていた「ペリー・エドワード・スミスの個人的日記帳」から。

意地悪いカポーティは、ペリーの前では、信頼と情を寄せるふりをしているが、実際は電話で相棒のハーパー・リー(同じく作家)にペリーの日記帳を声に出して読み聞かせ、学のない労働者階級の戯言だとバカにしている。

そんな日記帳が自嘲にはぴったりだと考えマガジン名にした。

東京を転々と

私は世田谷区で生まれ、幼稚園卒園間近まで過ごした。
そのあとは、大田区、横浜、渋谷区、江東区……父親の転勤、両親の都合で都内周辺を転々とし、20代で実家を出た。

学校では物静かなのに、家に帰ると母親に悪態をつく内弁慶。
運動音痴で集団行動が苦手なのにほんとは人気者になりたい。
一人が好きなのに、でも自分の好きなものは他人に共感してほしい。
ミーハーなのにミーハーな話題しかない友だちを軽蔑し、いつも孤独。

相反する内面を認識し、10代ですでに生きづらさを感じながら、登校拒否にならない程度に周囲にへつらう少女。

家に帰っても居心地はいいとは言えず、
二十歳過ぎても思春期のめんどくささを引きずるメンヘラ姉にバカにされるのがイヤで、本当に好きな小説や映画や歌手がいても、自分の心の胸にしまっていた。

中高一貫校では、スクールカーストの中の中をキープし、暗黒の6年間を送る。
容姿・学力・親の職業や年収・センス・着ている洋服・聞いている音楽……。
何もかもに対しわかりやすい区分標識が穿たれる毎日にほとほと疲れ果て、「もう勉強するのはイヤ」と高3の1年間だけガリ勉し、いわゆる有名大学になんとか潜り込む。

がしかし。
附属の小学校が「お受験会の東大」と称されるその大学は、中高以上に厳しいカースト制度が敷かれており、外部から、のこのこ入学してきた凡庸な女子大生は、劣等感を増大させるだけの4年間を送った。

ブランドで大学を選んではいけない。

最近、大学不要論は奨学金の返済が問題視されているが、保護者の経済状況を抜きにして、選択肢がある少年・少女は、勉強したいこと、少しでも興味のあること、自分の本当の嗜好に近い同級生だったらどこを選ぶか、そういう視点で大学は選んだ方がいいと思う。

そもそも「女子大生」って言葉が死語なのかな。

noteを始めた理由

私はいわゆる就職氷河期世代。

以前は大手メーカーの傘下にあるIT系だけど超保守的な企業に20年近く勤務していたが、数年前に今の会社に転職した。

職種は、企画・販促、経営企画、時々営業事務的な仕事の手伝い等など。
新人から中堅の頃は、手取り足取り教えてくれる先輩はいないものの、取材記事やプレスリリース、カタログやイベントの企画・推進、少ない予算のなかで、自分でやれることは自分でやってきた。

今思えば断続的に続くリストラと年次が上がってもたいして変わらない給与体系のせいか、前職の社内の雰囲気は最悪だったが、就職氷河期世代の私は、踏ん張ったり、時々逃げたり、無視したり、ほんとに嫌な時は上司に楯突いたり、なんだかんだサバイブして、いつのまにかベテランになっていた。

グループ間再編を繰り返した結果、バリバリの技術者が営業の前線に送り込まれたり、真面目だけが取り柄の購買担当が新規提案を求められるマーケティング担当になったり、幹部候補だったはずなのになぜか総務で電球換えてたり、とにかく変な人事のせいで、めっちゃ忙しくて残業し過ぎな人と、社内失業者(妖精さん)に二極化されていた。

私は実直な性格なのになぜか「これ私の仕事じゃありません」が言えなくて、何年も毎週のように休日出勤する日々が続いた。
経験値になったからいいけど疲れた。

多少の不満はありつつも、このまま続けるのかなとボンヤリ考えていたが、退職前の1年間、自分の中で処理しきれない出来事が重なり、環境を変えるしかないと判断。
思い切ってまったく違う業界に転職した(職種は同じ)。

最初のうちは慣れないことも多少はあったが、1週間過ぎたところで「転職して正解というか大成功」だと確信した。

待遇面もそうだが、人間関係がマイナス100からプラス30ぐらいに好転したことが大きい。
妬み・僻み・嫉みが三位一体となった前の職場によく長期間いたなぁ、と自分が不思議で仕方ない。

そんなわけで転職当初、同僚にこれまでの経緯をあれやこれや恨み節を含め話していたのだが、「そんなに悩んでいるなら、noteでも書いてみれば?」と勧められ『さばかんな』として静かにデビューした。

Googleが教えてくれた10年前の自分

当初の記事のほぼ100%が前職のオッサンへの憎しみで埋め尽くされていた。人というのは喜びよりも憎しみという感情に支配されているときの方が筆が進む。

過去記事(現在は非公開)を読み返していると、「私、よくこんなスラスラ書けるな」と自画自賛してしまうくらい、オッサンヘイトを表現する語彙力が豊かだ。

そんな私に心理的変化があった。

昨年末のある時、Google Photoにストックした写真から「10年前のあの日を振り返りましょう」とお節介なお勧めをされ、「知らねーよ。10年前なんて」と思いつつ、何となく写真をめくってみた。

そこには……。

ブルゴーニュ用のワイングラスを傾けながら、にっこり微笑む女性がいた。
当然今より10歳若いし、まだお肌ぴちぴちだ。
見覚えのあるTheoryのゆるっとしたニットから肩半分ぐらいだし、マスカラを綺麗に塗ったまつ毛でカメラマンの夫を見つめている。

なんだ。私、幸せそうじゃん。

反対に退職する数ヶ月前の写真は、窪んだ目、歪んだ口元、肌荒れ、投げやりなメイクになっていて、不幸をデフォルメしたようや過去の自分の写真に心配になってしまう。

あの頃の私に言ってあげたい。
「もう会社辞めてもいいいんだよ」

オッサンと私

2023年。
にっこり微笑む過去の自分を思い出し、私は考えた。
「オッサンの話に付き合ってればここまで拗らせなかったのかもな」と。

私は仕事は自分なりに努力したし、手を抜かずに、やっていたが死ぬほどつまらない飲み会は我慢ならずほとんど断っていた。

居酒屋で延々と繰り返されるオッサンの一人語り。
私はほとんど上の空だったが、いくつかは明確におぼえている。

「オレ。飛行機は絶対JAL。CAとお近づきになるために、化粧品に詳しいんだ。知ってる? エスティー・ローダーって?」

航空会社にこだわるのってどうして何だろう?
マイレージ以外にも理由があるのだろうか。
制服とか?わからん。

私は時間さえあえば、JALでもANAでものぞみでも、なんでもOK。
私は30分でも早く、より快適な座席で移動したい。
ラウンジのビールのために便を制約されたくない。

それになんだよ。エスティー・ローダーって。
そんな私でも知ってるドメジャーなブランドでコスメに詳しいとか言われたくないし。
そもそも、この時間、ほんとにつまんないし!

いかんいかん。
また憎しみの感情に戻ってしまった。

CA話は暗記できるぐらい聞かされたとは思うが、最後は
「もう聞いてらんないし、やってらんない」
と捨て台詞を吐いて、帰りの便に乗り込んだ気がする。

私が少し反省しているのは、同性に話すより、異性に聞いてもらい話もあったんだろうなってことに想像が及ばなかった点だ。

「私もCAに憧れてたんですよ」ぐらいリップサービスしても損しないのに、ひたすらつまんなそうな顔してたな、私、と思い出した。
ただ、「へーぇ。そうなんですか」が欲しかったんだろうなとようやく気付いた。

でも「あたし」が「あたし」であるための尊厳を切り売りしている気もするから、その処世術使うかな? あたし。

10年前の自分の写真は、ペラペラしゃべる雰囲気ではなく、アンニュイっていうか、一見朗らかなので(実際は激しく違う)、まさに聞き役・ホステス役にピッタリにも見える。
「CAと付き合いたい」世界一実現性の低い野望を振られても、あの写真の中の女性なら、「あら。うふふ」とか言ってくれそうな気がしないでもない。
言わないけどな。実際は。

それから、仕事上でギスギスしてても、お酒を潤滑油にして、会話したかった人もいたことが想像できる。

私は大衆居酒屋恐怖症のため(男女兼用トイレのスリッパ、プラスチックの取り皿、冷蔵庫で凍りかけたお通し等)、お誘いいただいた飲み会の95%をお断りしていたが、
「まあ、あとでネタになればいっか」
と割り切って参加していたら、最後の1年間まで人間関係をこじらせなかったのかもしれない。

かもしれない、かもしれないけど……。

やっぱり行かないと思う。
だって、どうせ外食するなら思いっきり美味しいものが食べたいもん。
それにCAと付き合うなんて妄想聞きたくないもん。

私は心の狭さには自信がある。

私は聞いてもらいたい話があるときは、夫・母、あるいはミッフィーのぬいぐるみに話しかけている。

たとえ、松潤と付き合う妄想をいだいていたとしても、私は仕事関係の人に話したりしない。

ミッフィーが1番傾聴力が高い。

転職してからの変化

このように、居酒屋というか、会社の外の付き合いというか、妄想話に付き合わされる辛い時間というか、そういう会社の付帯作業がトラウマだった私に大きな変化があった。
※退職の理由は飲み会がいやだったからではない。もちろん。

転職してからは、会社のみんなと飲みに行くのが楽しくなった。
みんなグルメに詳しいので、美味しいお店に連れて行ってくれるし、なんらかのカルチャーに造詣が深い人が多いので、話を聞いていて飽きない。

それに転職者が99%なので、それぞれ何らかの痛みをもっているように感じる。
だから、組織に固執したり、上司に媚びたりする社風がないので、私には居心地が良い。

飲み会恐怖症、克服した!

今の会社が業績がいいとか、いわゆるエリートが多く知的水準が高いとか、そもそも忙しすぎて他人に嫌がらせしている暇がないとか、根本的に環境が違うということもあるが、私にとっての心地良さはみんなの人柄の良さだと思う。

もし、20年間、会社の業績が安定していたら?
もし、追い出し部屋なんてなかったら?
もし、「どうしたの?」って、気軽に声をかけられる会社だったら?

いくつもの「もし」が重なっていたら、前の会社も居心地がよかったのだろうか?

一生安泰だと思いこんで入社したのに、世の中大きく変わちゃったせいで翻弄されてた大企業のおじさまたちの気持ちも、1ccぐらいは想像できるようになったかも。
そもそも、就職氷河期の私たちとは人生設計の考え方が違うんだろうな。

オッサンの悩みは想像はするけど本当のところはわからない。

だって、写真の中の10年前のわたしは会社がどうだろうと、関係ねーよって感じで、磨き上げたネイルとうるうる睫毛で、にっこり微笑んで、好きなワインを飲んでたんだもん。

ということで、これからの「個人的日記帳」は経験をベースにしつつも、オッサンヘイトマガジンにならないように、ポリティカリー・コレクト路線で行きたいと思う。

飲み会の帰り際に「さばかんなさん、頑張ってね」とオレは知ってるんだぜ風を吹かせてきた前社員のおじさまも、よかったらフォローしてください。

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