さよなら、わたしの心の中のリカちゃん
肉の多い生涯を送って来ました。
わたしはポッチャリになりつつある、いやこの際デブになっているという事実をはっきり認めようと思う。
わたしの心の中のリカちゃん人形が叫ぶ。
「お前はデブだ!」
この事実を認めるまで、意外にも時間がかかった。
というよりも、気がつかなかったのである。人は身近な出来事の変化には、本当に気づかないものなのだなあと改めて実感した。
ある日の職場にて、
課長から新しい作業着サイズの記入を求められ、
ウエスト欄にはいつも通り余裕を持って65cmと記入。
後日、
届いた作業着ズボンはウエスト73cmであった。
「ごめんね、それが一番小さいサイズなんだよー申し訳ないけど、ベルトでなんとかしてね」と申し訳なさそうな課長。
私はまあダボっとメンズっぽい着こなしもアリだよね、なんておもって着てみる。
入らない。
ん?
73cmのズボンが入らない。
正確には、ギチギチに肉を詰め込めばなんとか入る。
しかしこのまま可動することは不可能なぐらいパッツパッツである。
あ、そっか。
これはメンズのズボンだからなんか色々違うんだよね、しょうがないね、
と私はギチパツ作業着ズボンをなんとか脱ぎ捨て、
ユニクロののびのびストレッチパンツに着替え課長のデスクへと報告に向かう。
「課長、届いた作業着ズボンのサイズが合わないようです」
「あっそうでしょーごめん、ブカブカだよね。ベルトあるよ余ってるの、ちょっと待ってて」
「いえ、そうではなく」
「ん?」
「サイズがもっと上のものでないとまずいんです」
「上?」
というと? とオフィス内の男性社員(しかいない)の注意がこのデスクに集まっているのを感じる。
しかし私は言わなければならない。
パッツパッツのズボンでプリプリ働くのだけは避けたい、すなわち私は今から全社員に私のウエストサイズを公表しなければならない。
さあ聞け男どもよ、
「78cmです。78cm。虚偽申告をしていたようです、本当にすみませんでした」
静寂。
「あっ、あっわかった、うんハイッでは」
課長はなぜか困って焦っている様子であった。
おそらく女性に面と向かってウエストサイズを公表されたことは人生で初めての経験だったろうと思う。
さっきまで耳をそばだてていた心優しい男たち、
一瞬のポーズのち聞いてなかったフリを決め込み急に真剣に仕事してます風な顔でもってPCカタカタし始める。
彼らは女性のウエストは58cmが標準という神話を信じていたのかもしれない。
申し訳ないことをしたな、と思いつつ私はそれでも尚自分が「太った」という事実に1mmも気づかなかった。なぜなのだ。どれだけ鈍感なのだろうか。
いままでダイエットをする人たちにフーン大変だね?とくるくるイス高楊枝していたじぶんを、ほんとうにミキサーに入れてつくねにしてタレじゃなくて塩でハイお待ちしてやりたい。
どこの肉塊がフーン大変だねと言っていたのだろうか。ただただ被害者には謝りたい。
肉塊に「わたしさ、たべてもふとらないんだよね」と言われた時の彼らの気持ちはどんなだったろうか。それにしてもとんだ忍耐力の持ち主たちである。
ユニクロでXLを試着した自分をみて、おや、最近のユニクロはサイズをちいさめに作っているのかな?
ととうとう大企業まで疑いだした自分を徳川埋蔵金ばりに未知の地中に埋めたい。
おまえさんはデブなんだ。
まずは己を知るところからはじめないか。
はい。
わたしはきょう、とうとう気づいた。
先日SNSにアップされた写真に映った自分のまるまると肥えた姿をみて今、
中学3年生のころに味わった感覚と同じ衝撃を味わっている。
小学生〜中学生にかけて、私はデブであった。
デブ/オタク/運動音痴といういじめに欠かせない3要素をしっかりと持ち合わせていた私は、もれなくクラスの派手軍団からデブいじめを受ける身の上となった。
私は何を根拠にしてかお絵かきさえしていればなんとかなると頑なに信じており、
じっと耐えてシャカシャカ鉛筆を動かす日々であった。
そのうち「石」というあだ名をいただき、
私はすっかり動かない・喋らない・動じないデブとしての地位を不動のものとする。
そのうちにだんだんいじめっ子たちの興味は削がれていったようだった。
その内心、私はずっと傷ついていた。
デブはいやだ。
ほんとは皆といっぱい喋りたい。遊びたい。
でもデブだから何をしてもダメだ。
私の思考は完全にデブを基軸に置いたバッドなスパイラルに陥っており、
ビューティーコロシアムを血眼で見る日々が続く。
この腹の肉を胸に、そして太ももの肉を尻にくっつければボンキュッボンになれるのではないか?と真剣にその方法を考え続けた時もあった。
私が描く女の子はどれも細い細い女の子ばかりであった。
デブのまま私は中学3年生になる。
修学旅行の写真が教室前に貼り出され、
「あーやっぱり細くて可愛い女の子の写真ばっかり、カメラマンもひどいよなあ、平等にしろー」
毒づきながら私は自分の写真を探す。
しかし、どの写真にも私が写っていなかった。
ショックだった。
デブは写真にも撮ってもらえないのか、と悲しくてその場に立ちすくんでいた。
と、そこに唯一のオタ仲間がやってきて一言。
「あ、あったあった〜うちら写ってるよ」
とその写真の番号をメモしている。
うちら?
そこに写っていたのは、
バーベキュー広場の前でトング片手に微笑む友人と、細い人だった。
その細い人は、よく見ると私であった。
「……?」
私はその写真をじっと見つめた。
紛れもなく私だった。
信じられなかった。
私はおそるおそる、友人に尋ねた。
「私って……もしかして、痩せてるのかな?」
すると友人は何言っちゃってんの?という風な顔をした後
「え? 痩せてるけど」
とあまりにも公然の事実(例・チワワって犬だよね?)を質問されたときの人のような反応を見せた。
これは事実だ、と私は息を呑んだ。
「え〜!全然大丈夫だよ〜!痩せてる痩せてる〜!」とは全く異種の反応である、ということはデブ歴の長い私にはありありと分かった。
私は痩せていたのだ。
いつのまにか、もうデブじゃなくなっていたのだ。
あの時の解放感、なににも変えがたかった。
こころの中はショーシャンクの空にのクライマックスであった。
嬉しくって叫びたい。
それから私は高校デビューを飾り、憧れだったギャルファッションを楽しんだり髪を染めたり、順調にデブ以外の人生を歩んでいた。
はずだった。が、
時は経ち、15年後——2018、第二のデブ人生のはじまりである。
呆然と鏡に映る自分のくびれレスの腹を見てふと、思った。
おや?
デブだが、私は前ほど自分が嫌じゃないな。
毎日毎日ああ嫌だ、デブは嫌だと頭をかきむしっていた自分はそこにはいなかった。
むしろこれを筋肉にかえれば憧れのマッスルボディを手に入れられるのでは?時代はガリガリより健康ボディだよねーなんて楽観して天下一品のこってりをすすっている自分がいる。
街ゆくぽっちゃりデブを見ても、心が波立たない。
おもえばわたしはガリガリの頃、デブを嫌悪していた。
ビーチで三段腹を弾ませながらビキニを着ているデブを見ると思わず網で大量捕獲したくなる気持ちが湧き上がってたまらなかった。
じぶんがかつてデブだったにも関わらず、である。
正確に言えば、デブなのに人生が楽しそうな人々を嫌悪していた。
暗いデブはそうだよね、そうなるよね、と過去の自分を見るかのような哀れみの目でもってみていた(とんだ嫌な奴である)
これは、いじめられっこがいじめっこになる原理とすこし似ていると思った。
散々デブいじめをされ、デブであることの痛みをわかっているはず、なのにデブのくせに元気はつらつな人々を見ると「おまえはデブなんだ、自重しろ!」と言いたくてたまらなかった。
せっかく楽しそうなデブに、どうしてわざわざ悲しい思いをさせなくてはならないのか。
それがどんなにつらいかわかっているはずなのに、どうして私はそんな気持ちを抱いていたのか。
いま、わたしはふたたびのデブとして人生を再スタートさせたわけだけど、
どういうわけか心が軽くなったような気さえ覚えている。
これは、デブめ!とカリカリしていたわたしに「目を覚ませ」と肉神様が与えてくれたありがたい肉なのだとおもう。
しかし、である。
ふとした時に、わたしの心の奥深くに住まうリカちゃん人形がおまえは肉塊だ、このデブめ、とささやいてくるのがわかる。
出たな、リカよ。
わたしは今までの人生、おまえの言いなりであった。
ほんの少しでも腹の肉がぽよつくと「太り過ぎじゃない?」と間髪入れず言ってくるスーパースレンダーボディーのリカ。
そうですよね!はい!自重します!とわたしはいつもビクビクリカちゃんのご機嫌を伺って、
なるべくリカちゃんに怒られないようなボディでいようと無理していた。
だから、そんなわたしの努力を尻目に肉弾ボディでイエーイのデブを見ると理不尽に怒っていたのだ。
今なら言える、
体型に正解はない。
自分がいちばん心地いい体型で、健やかに人生を送れるならば、デブでもガリガリでもなんでもいいのだ。
もう逃げないぞ。
今までへえすいませんとロクに目も合わせずただただ恐怖していたリカちゃんに、今度こそしっかり向き合ってみたい。
ついでにいっしょに、串カツ屋でちょっと一杯やってみたい。
「肉が肉食っていいと思ってんの?」と激おこ状態のリカちゃんの目を、ちゃんとみて言いたい。
わたしはデブだけど、たのしく人生をおくっていくよ。
今までありがとう、
さようなら。
いまこそ私の中のリカちゃんに立ち向かう日がきたのだ。
リカよ、
お前の天下は終わった。
いただいたサポートは納豆の購入費に充てさせていただきたいと思っております。