1-6. スンニ派とシーア派の違い なぜ争うかをわかりやすく
【3行まとめ】
・スンニ派とシーア派の違いは指導者の選び方。教義に大きな差はない
・世界全体のイスラム教徒のうち、約9割がスンニ派
・宗派対立の多くは、教義をめぐる争いではなく、経済的な利権争い
スンニ派とシーア派が分裂した原因は、7世紀、開祖ムハンマドの死後に起こった世継争いです。イスラム社会の指導者は、ムハンマドと血のつながりのあるアリーとその子孫から選ぶべきだ、「シーア・アリー(アリーに従え)」と考えた人たちがシーア派を構成しています。
他方、イスラム社会の指導者は、血のつながりには関係なく、皆の話し合いで選出すべきだ、その際、ムハンマドの教えである「スンナ(慣行)」を重視すべきだ、と考えた人たちがスンニ派を構成しています。
サウジ人の友人や同僚に、「スンニ派とシーア派はどう違うのか」と聞くと、だいたい、「同じイスラム教を信じていることには変わりはなく、お祈りの作法や回数などが少し違うだけだ」という表面的な回答が返ってきます。
・スンニ派とシーア派の教義の違い
スンニ派のお祈りの数は1日5回、シーア派のお祈りの数は1日3回で、シーア派の人に言わせると、「お祈りの回数が重要なのではなく、大切なのは信心の深さ」とのことでした。
また、シーア派は、スンニ派よりも宗教指導者の肖像画に寛容です。シーア派国家のイランでは、宗教指導者の肖像画が街のいたるところに飾られています。
そして、シーア派には、スンニ派にはない宗教的行事が年に一度あり、アシュラと呼ばれています。アシュラでは、7世紀にシーア派の指導者フセインが、スンニ派との戦いに敗れて殉教した際の苦痛を理解するために、信者が自分の体に鞭を打つなど、熱狂的な儀式が行われます。
・スンニ派とシーア派の分布
世界全体のイスラム教徒約16億人のうち、約9割がスンニ派に属しており、サウジの人口の大多数もスンニ派を信仰しています。
ただし、世界的に見ればスンニ派が大多数ですが、東南アジアやアフリカの諸国の多くがスンニ派を信仰しているため、中東だけに限ってみると居住エリアの面積は拮抗しています。シーア派の居住区は、下記の地図中、黄色で描かれています。
出典:https://www.npr.org/sections/parallels/2007/02/12/7332087/the-origins-of-the-shiite-sunni-split
・スンニ派とシーア派はなぜ争うのか
先ほども述べたとおり、スンニ派とシーア派の教義にそこまで大きな違いがあるわけではありません。それにもかかわらず、なぜ、スンニ派とシーア派による争いが、世界各国で起こっているのでしょうか。
争いの背景について注意深く見てみると、大体の場合は、経済的な利権など政治的な理由が原因となっています。
経済的な分析を抜きにして、表層的な宗派対立だけで中東情勢を見てしまうと、情勢を見誤ってしまう可能性があるので注意が必要です。それでは、サウジ国内の宗派対立について見てみましょう。
出典:https://theintercept.com/2016/01/06/one-map-that-explains-the-dangerous-saudi-iranian-conflict/
サウジのシーア派居住区(地図中緑色)を見てみると、サウジの東側に集中していることがわかります。この東部州は、面積では1割にも満たないように見えますが、実はこの地域にサウジの油田の大半が集中しており、経済的に非常に重要な地域になっています。
油田は地図中の黒色で描かれており、東部州に緑色(シーア派居住区)と黒色(油田)が重なり合いながら存在していることが確認できます。
・サウジ国内に住むシーア派の不満
少数派のシーア派の不満としては、彼らの土地から湧き出ている石油で国が潤っているのにもかかわらず、サウジ政府の大多数はスンニ派で占められており、結果として、シーア派居住区域の基礎的なインフラ(学校、病院など)が整備されていないことが挙げられます。
自分たちのものを失った恨みや憎しみは、長く深く続いています。
・サウジ国内に住むスンニ派の不満
他方、多数派のスンニ派からしてみると、シーア派は厄介な存在です。というのも、シーア派を認めると、イスラム法の解釈が、スンニ派とシーア派で定まらなくなってしまいます。
サウジは政教一致を採用し、イスラム法によって国を統治しており、イスラム法はスンニ派の解釈によって成立しています。ここにシーア派の解釈が入り込むと、時に矛盾を引き起こしてしまうことがあります。一方の解釈では有罪、もう一方の解釈では無罪となってしまえば、法律としての体をなしません。
宗教で統治を行っている国にとって、教義に別の解釈が入ることは相容れないのです。
また、シーア派は敵対国イランの国教です。1979年にイラン革命が発生し、イランでは王制が倒れました。この王制転覆運動をサウジにも広めようとしたことが尾を引いており、スンニ派のサウジは、イラン、ひいてはシーア派を敵視しています。
・シーア派への差別
シーア派を快く思っていないスンニ派は、シーア派に対して、いろいろな弾圧を行います。例えば、シーア派居住区のインフラを整備しなかったり、シーア派の人を政府職員として採用しなかったり、商売の仲間はずれにしたり、学校でいじめを受けたり、いろいろな差別がいまだに残っています。
特に、サウジの政府高官のポストはとても旨みが大きく、給与や待遇だけでなく、部下の人事権や物品の発注権などを抑えることができます。こうしたポジションをスンニ派のみに独占されていては、シーア派も面白くないでしょう。
しかし、弾圧が行き過ぎて、シーア派居住区が独立運動を始めるようになってしまうと、スンニ派は石油利権を失うことになり大打撃となってしまいます。
・サウジの巧みなシーア派への分断統治
サウジの統治は巧みであり、一部の従順なシーア派住民を懐柔して、アラムコなど国営石油会社に採用し、シーア派を一枚岩にさせません。ディバイド・アンド・ルール、すなわち、対抗勢力を分断させて統治する手法にとても長けています。
具体的には、サウジは集会の自由を厳しく制限しています。国民に横の連絡をさせず、抵抗勢力を集結させないようにします。集会や、横のつながりがあるだけで、当局から、あらぬ嫌疑をかけられてしまうため、国民は集会にとても敏感になっています。
ある知人が、一族のWhatsappグループ(グループメールのようなもの)を作ったところ、それだけで「何の集まりなんだ」、「余計なものを作るのはやめてくれ」と猛反対にあったそうです。
石油利権を分配し続けてきた長年の経験から、こうしたディバイド・アンド・ルールの手法が脈々と引き継がれてきたのでしょう。
・まとめ
日本では、キリスト教徒だろうと、仏教徒だろうと、日連宗派だろうと、真言宗派だろうと、日頃の争いになることはありません。それは、日本では政教分離が徹底されているからです。しかし、サウジは政教一致の国です。
政治とは、簡単に言えば資源の配分です。資源の配分の論理に、宗教の論理が入り込んでくると、資源の争いは必然的に宗教の争いに結びついてしまうのです。
サウジや中東の場合、分配する資源の利権が大きすぎるために、利権争いは長期化・深刻化してしまっています。一昔前は、ここまで宗派対立が激化するとは考えていなかったようです。
以上、イスラム教の成り立ち・特徴、スンニ派とシーア派の違い・対立について、基本的なことを紹介したことをもちまして、本章を締めくくりたいと思います。
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