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ボルサリーノにタンゴパンプスー私の性自認、性的指向、ナルシシズムのこと 6


自分の性自認や性的指向に関することを思いつくままに書き散らしているので、読者様は読みづらいかと思います、申し訳ありません(自分でもまとまりないな~と思っています)。

まず1ページ目には子供時代、おぼろげながら(本当におぼろげながら)、自分が男だったらいいのになぁと思ったり、劇では男役をかって出たり、また両親からそれぞれ違った内容ですが服装に関する虐待レベルの制約、強制を受けたこと、そして偶然中学で友達になった子がパンクやロックの住人だったこと、外国の図鑑、雑誌等を見てモード系ファッションに憧れたことなどがごちゃごちゃと雑じり合い、個性的なファッションや化粧を好むようになり今に至るという話をいたしました。

2ページから4ページまでは「私が唯一、恋愛感情を抱いた同性」について書きました。私はヘテロセクシャルだと思っているのですが(ネット上の簡易テストをやってみてもそう出ますし、そんなことしなくても明らかです......。第一、女性に対し性的なファンタジーを抱いたこともありませんし、真剣に女性に恋をした経験があるとはいえ、自分をバイセクシュアルだと標榜するのは非常に違和感がありますし、事実違うと思います)、しかし本当に本当に自分は異性愛者なのか?それとも類似の何かなのか?と疑問に思わないこともありませんので、そうなると彼女への恋の話は到底外すことのできないものですので、詳しく書きました。

5ページには1ページ目の延長のような、自分が好む服装の話、その背景や影響されたものについて触れました(余談も多かった気がしますが)。これから長々と書こうとしている、何故私は男装を好むのか?の前口上のようなものでもあります。

「何故私は男装に惹かれるのか」という話を掘り下げる前に、数か月前にちょっと(いや、かなり)嬉しかった小さなことの話をしたいと思います。
私は60年代のイヴ・サン=ローランのスモーキング・スタイル(説明するのは野暮ですけども......婦人用ですが紳士が身に付けているような大変エレガントなパンツスーツスタイルのコレクションです。著作権の問題があるので写真は掲載いたしませんが、ご興味のある方はぜひ画像検索をなさってください)が大好きなのですが、当時発売されたもの、そして状態がよく私の背格好に合うものを探すのは限りなく不可能に近いので、そのスタイルを踏襲した、三つ揃えをフルオーダーであつらえてもらいました(都内の知る人ぞ知る、ある界隈では有名なテーラーに頼みました。本切羽や裏地やボタンを替える等のオプションを付けなければ5万円台から日本製のフルオーダー、しかも当時物の生地もある店は稀有な存在ではないでしょうか?また何着でもその店でスーツを作りたいです。なお、シャツはその店では扱っていませんが、これまた昔ながらのテーラーでフルオーダーで作ってもらっています)。私はその三つ揃えが大変気に入っていて、一張羅と言っても差し支えないものですが(その服を着て死にたいです)、それをクリーニングに出した時のことです。代金を支払い、何気なく「引換証」をみたら「紳士上着」と書いてあり、ものすごく気分が高ぶったのを憶えています。ボタンは婦人服仕様ですが(サンローランのスモーキングに倣いました)、生地もデザインもどうみても紳士服にしか見えないでしょうから、そう認識されても不思議はないです(裏地に私の下の名前《男性にもいる名前ではあります》のネーム刺しゅうが入ってますが)。店員はもしかしたら自然に「旦那のスーツを持ってきた奥さんだろう」くらいに、いや、それすらもいちいち考えてはおらず、淡々と普段のように業務をこなした、対応しただけのことだと思いますが、私には本当に一日中にやけてしまうくらいの出来事でした。なんか分かりますかね......この気持ち。

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私は男装をしているときの自分が大好きです。けれど男装なら何でもいいわけではありません。これは女性の服でもそうなのですが、カジュアルすぎるものというかラフな服は全く好みではありませんのでほぼ持っていませんし買いません、着ません(登山をしていたことがありますので、気に入ったブランドの登山服を街で着ることもありますが、超例外ですし、それで電車に乗ったりもしません。またその登山服でさえカラーリングがメンズの方が好みのものが断然多いため、機能性無視なのを承知でレディースを選ばないことも多いです)。私が好きなのはエレガントで粋な服装や正装、盛装です。カジュアルなものを着るにしても着心地の良さや機能性は優先事項のかなり下です。というよりそれを基準に服を選びません。デザインや色などの意匠重視です。

コンゴにサプールという人たちがいるのをご存じでしょうか?数年前、日本のメディアでも取り上げられたこともありますし、日本語の本も数冊出ていますので知っている方もいらっしゃるでしょう。50年代、60年代のパリ紳士のような格好で街を闊歩し、平和を愛し、ファッションを愉しむ人々です。月収の何倍もするジャケットやスーツを着こなし、ただお洒落なだけではなく、争いを避け、粋であること、豊かな教養も求められるのです。私はサプールにものすごく憧れています。女性のサプールも存在していて、男性と同じに着こなします。残念ながら私は彼らのような見事な体躯を持ち合わせておりませんし、原色が映えるような肌や顔立ちではないのですが、彼らの生きざま、ファッションへの姿勢にただただ共感、賛同します。そう、私はサプールのような生き方、着こなしがしたいのです。

昨今、女性は装飾(服装や化粧等)を社会、もっと言うと男性から強要されてきたから、それを取っ払おうという活動がようやく盛んになりつつありますが、私は装飾の多い「男装」が好みです。この問題についてここであまり議論はしたくないのですが、私のような男装を好み、化粧をする男のような格好をする女性もその男社会に毒されているというのでしょうか。何度か書いたように、私はいわゆる男らしいとされている服も女らしいとされている服もどの性別の人が着ても何とも思いませんが(個人的にああ、素敵だなとか、これは私の好みではないなとは思うことはありますが、それはまた別の話でしょう)、私のように男装が大好き、けれど女性の服も好き、しかも機能面ではなく装飾重視という女性に対しても「男性社会に隷属している」と思われるのは心外なのは事実です。私は自分のため、自分が好んでそのような服や化粧をしているのですが、彼(彼女)たちからしたら、私も潜在的(?)にはコルセットを着せられた女性なのでしょうか......。ちょっと今は答えが出ません。どうみても、私がしているのは一般男性ウケしないメイクだったりするのですが......。当然モテやウケを意識などしておりません(そういうタイプの装飾をむしろ好む男性もいるにはいるのでしょうが、私はリアルで出会ったことはありません。余談ですが私の三つ揃えにボルサリーノの出で立ちを褒めてきた男性はただ一人ーー私が顎変形症でお世話になった執刀医です。お世辞でも嬉しかったです。また、ネット上に男装写真、男装メイクをアップした時もコメントをくれたのは女性ばかりです)。

「顎変形症」という言葉を出したついで(?)にお話ししますが、私は40過ぎてから外科的手術を受けました(こんな遅い年齢でやる人は少数だと思います)。その結果、顔が短くなってしまい、ボルサリーノのハットがまったく似合わなくなってしまい、かなり悲しい思いをしております。私はボルサリーノに限らず、ありとあらゆる帽子、婦人用のつば広帽も、20年代(といっても1920年代ですよ)のアールデコ調のヘッドアクセサリー、ニット帽、ウズベキスタンの伝統的な衣装で身に付ける被り物など、自分でいうのもなんですが帽子、被り物と名の付くものだけは非常に様になっておりました。面長で額が広く、顎のある輪郭が帽子との親和性が高かったんでしょうね。O・ヘンリーの作品であるでしょう?『伯爵と婚礼の客』って。特別美人というわけではなく、印象に残らないような地味な女性だけれども黒い喪服姿となると非常に魅力的で......というのが。まさに私はそのような感じでした。顎変形症の話は本作と大きく脱線するどころの話ではないので、また別の機会に譲りたいと思いますが、一言だけ。「小顔だからって必ずしもいいわけではない、小顔信仰にNo!」

私はほぼ毎日化粧をします。無職で、日々の買い物に行ったり、通院、用事以外で外出することはほぼないのですが、それでもフルメイクをします。たとえ家に一日中いてもです。「フルメイク」っていうのがどの程度のものを指すのか細かいことは分かりませんが、私のフルメイクというのはファンデーションを塗って、眉を描き、チークを入れ、アイラインを引き、アイシャドウを塗り、マスカラを塗るというものです。日によって適当、もう少し手抜きだったり、もっと丁寧に念入りにやるときもありますがこれが基本です。口紅は最近は外ではマスクを着用しているので今はつけていませんし、そうでなくとも家にいるだけの時はつけないです。私が化粧をする気も起きないときはかなりの鬱状態です。また、すっぴんで外に出るなんてとんでもないことです。それほど化粧をしていないと落ち着きません。何故か?っていう話を始めると、これまた長くなります。

私の母は大変な美人でした。父に言わせるとあの人は昔から写真を撮られるのを嫌っていたようですし、極貧家庭育ちなので写真など撮る余裕がなかったのか、母が子供の頃や若い頃の写真など1枚も見たことがないのですが、私が生まれてから、つまり母が30過ぎくらいの写真は何枚か残っています(学校行事などの集合写真がほとんどですが)。母は美貌の持ち主ではありましたが、化粧をしないどころか、顔を洗わない、髪を梳かない、歯を磨かない上(本当に一度も磨いているところを見たことはありません)、いつも同じボロボロの穴のあいた汚れた服を纏っていました。その理由は色々考えてみたけど未だに答えは出ていませんーー仮にその理由が解明できたとしても私は「母のようになりたくない」という思いがあるのです。あの環境のせいか、何のせいか分かりませんが私はちょっとズボラな性質です。なので一旦「もうやらなくていいや」となると母のようにどんどんみすぼらしくなってしまうのではないかと恐れています。ですが化粧をしないと、お洒落をしていないといつの間にか母のようになっているかも!という強迫観念もあることは否定できないものの、それが全てではありません。私は化粧をした自分、お洒落をしている自分が大好きなのです。化粧をすること自体も好きだし、化粧品も好き、化粧をした自分の顔を見るのも好きです(自分の顔の造形、パーツ等は不満だらけです。嫌いな部分をあげていったらキリがないくらいです。それでも私は好きなのです。何故なら私が自分の好むように化粧という手段を使ってセルフプロデュースしたからです)。あんなに父や妹や同級生に「ブス」と言っていじめられた私が、よく整形手術や肉体改造をしなかったなと思います(tattooは1つ入っていますが)。しようと思ったこともないのです。尤も、化粧がある意味私の肉体改造の手段みたいなものです。

私は化粧も装飾も大好きですが、しない人、したくない人がいるのは当然のことながら承知ですし、これまた当たり前すぎることですが強制したり勧めたりもしません。けれど以前「実は今まで一度も化粧をしたことがなくて、してみたいけど、どうしたらいいか分からない」と言って来た私より年上の友人がいました。何1つ分からないというのでとりあえず彼女とデパートに行き、化粧品コーナーを回りましたが、「なにこれ!きれい!見ているだけで幸せになれる!」と目を輝かせていました。そして気になるものがあるけどBAに声を掛けるなんて絶対に無理というので代わりに私が話をして、化粧の仕方から指南してもらっていました。結局彼女は気に入った商品を数点買い「世界が開けた気がする」「次はどっちにしようか迷った方のやつを買う!」などと本当に嬉しそうにしていたのでこっちまで嬉しくなりました。

次回以降、何故私が男装を好むのか?ということについて切り込んでいきたいと思います。

続く


★資料館★
↓今年の5月、髪を20数年ぶりに超短くした直後。
左が男メイクバージョン、右が女性メイクバージョンです。例によって画面全体の彩度、明度、色調、コントラスト、エフェクト以外は加工無しです。メイクや表情でこれだけ変わります。面白いですね。因みに右側、女バージョンなのにオールバックなのは自室でブリーチ中に自撮りしたからです。私は各パーツは小さいけれど額は広いし、切れ長の目、鼻は低いけれど筋が通っていて、彫りは浅いけどすごく浅いってわけでもなく、唇は小さく薄く......それに顎変形症の手術後ですので、前はこれよりもっと顎がシャープで長かったです。正直、前から見た輪郭のことだけを言えば、術前の方が断然好みでしたが、顎変形症の手術は美容整形でもなければ、ましてや外科手術は魔法ではないことは十分認識しておりますので、新しい顔を好きになろうと努力、工夫しているところです。私は一般的には薄顔系だと思いますが地味ではないという不思議な顔立ちだと思います。男性メイク、女性メイク、どちらがお好みですかね?

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