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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<47>

古傷、あるいは陽炎

高校生になってもマコトさんとの文通は続いていた。彼は変わらず私の心の支えになっていたが、次に家でなにかあったら俺の家に迷わず来いというマコトさんの言葉に私は戸惑いを禁じ得なかった。

マコトさんの家に行ってどうするの?それからの生活は?私は外交官になるのを諦めなくてはいけない?高校は退学して働かないといけないのか、そしてなによりマコトさんは一体どう考えているのだろうか、私の将来、私との?将来を。

マコトさんは私を恋人だと思ってくれていたようだった。まだ見ぬ恋人。声をたった一度、電話で聴いただけの。中学時代、コンパスで彼の名前を左腕に彫った。今でも薄っすら痕が残っている。彼は
「俺のことを想ってくれるのは嬉しいけど、俺のことは腕じゃなくて心に刻んでくれ」と言っていた。
市営地下鉄のホームにあった
「かたちはこころをすすめる こころはかたちをもとめる」というコピーが書かれた仏具屋の広告をじっと眺めて私は考え込んでしまった。弥勒菩薩様かどなたか存じませんが、私は間違っているのでしょうか。愛ってなんでしょうか。好きというだけじゃ一緒に暮らしたりすることが出来ないことくらい、まだ15歳の私にもよく分かっていた。ああ、けれどお互い好きだという勢いだけで突飛な行動をとれるのは若さゆえの特権なのかもしれない。すると私に足りなかったのは若さだったのか。小学生にして二十歳の分別を持つことを強いられた哀れな私。二十歳まであと5回夏を越さないといけない。けれど5年ではあの時の彼の年齢には及ばなかったのだ。

マコトさんを、年少者に下心を持つ怪しい大人だと思い込もうとした。けれどそれはなかなか難しく、確証など何一つなかったが、あの人を悪い人だとはどうしても思えなかったのだ。愛なんて何だか分からなかった、今でも知らない。けれど彼を大好きで大好きでたまらなかった。それは事実。腕に彫った名前があの時の私にとっては全てだった。

母に何通も隠された彼からの届かぬ手紙は未だに私の心に欠けている一部かも知れない。何が書いてあったのだろうか。どんな思いが綴られていたのであろうか。62円切手の貼られた白い封筒にレポート用紙、汚い字。

「あの坂をのぼれば、海が見える」
中学校の一番始めの国語の授業で読んだ小説か何かの冒頭部分。彼は坂をずっと上ったところにある高校に通っていたという。
7つ年下の私はその頃、なにをしていたっけ。ああ、学校で計算ドリルが全然出来なくて居残りさせられたり、クラスの子のそろばんを壊したと罪を着せられて泣いていたっけ。家では......。

遠足の日に、勇気を出して3日分の服をバッグに詰め、気が付くとマコトさんの家の近くまで行くバス停にいた。けれどクラスの子に出くわし
「一緒に駅まで行こう」と言われてしまったので家出は失敗してしまった。あの時のバッグの重さを今でも左肩に感じている。きっと今、酷い神経痛に悩まされているのはあの時のせいだと思っておこう。そうでないとこの30年の間に私に起きた数々の出来事と釣り合いが取れないのだ。と格好をつけてみるものの、ただ単純に私は歳を取り過ぎてしまったのだ。

ちょっとしたすれ違いから、彼との1年と少しの文通は途絶えてしまった。したがって彼とは一度も逢うことなく終わってしまった。私の初恋の人。今どこでなにをしているのか私は知らない。40余年の人生であれほど真っ直ぐで純粋な人に私は出会ったことはない。尤も、直向きな情熱が美点なのかどうか、汚れつちまつた私にはもはや分からないけれども。あの人はいい人すぎて私には相応しくないと子供ながらに感じていた。いい大人になった今、
「あなたはいい人すぎる、優しすぎる」というのは体のいいフラれ文句だと思って疑っていないが、あの時から彼の横にいるべき人は私じゃないと心からそう思っていたし、今でもそう思っている。

二十歳を過ぎて、家を出た後に廃墟になったオンボロアパートに赴くと押し入れから黴臭い封筒の束を見つけた。その中に一通の見覚えのある白い封筒があった。
「ミホのお母さんへ」から始まるその手紙。母に文通だけは許してほしいということと、私のことを大事にしているという想いが切々と綴られていた。あれほど美しくも悲しい手紙を私は受け取ったことがない。いや、受け取ってはいないんだな。ああ、気がつけばもう私はあの頃のマコトさんと同じ年齢になっていた。あまりにも残酷なタイムカプセル。

’Leave home’ーー「家出」と名付けられたラモーンズの2ndアルバムの中に
I remember youという曲がある。夜に目覚めて寝っ転がりながら君のことだけ考えてたこともあったけど、そんなことは続かないんだ、ベイビー、分かるだろ?ってさ。ああ、分かるよ、痛いほどにねぇ。コンパスで腕に名前を彫るよりずっと痛いや。

いつか、あの人の目線でものが見たいと思っていた。今、あの坂を上れば当時の彼が見た風景にたどり着けるであろうか。ピントが合うだろうか。私がもう戻らない時間を喩えるときに好んで用いる表現ーー失敗した日光写真に彼の姿は写るであろうか?閉じた瞼の裏側、陽炎の向こうには?あれからいくつもの夏を超えた。半袖になるとあの傷跡が見える。海は見えるであろうかーーさて、なにを着て行こうか?