見出し画像

酔いどれ雑記 72 26年前の電話


阪神淡路大震災から26年の月日が経ちました。当時私は大学一年でしたが、それにまつわる苦い思い出があります。

確か震災の当日か翌日の午後、電話がかかってきました。前年私は某プログラムの神奈川県代表でアメリカ東海岸に行ったのですが、同じ班に神戸の子がいたのです。電話はその阪神淡路大震災の激震地で多数の犠牲者が出た区に住む子からでした。

「さっき電話くれたんだってね?私の家は大丈夫だよ。ありがとう」と私は電話などしていないのに彼女に言われてしまったので困惑してしまいました。けれど「電話してないよ、他の誰かだよ」とも言えず私は「ああ、よかった」というセリフが咄嗟に出てしまいました。

正直、私はその子がちょっと苦手でした。いかにもいいところのお嬢さんって感じだけれど派手ではなく、聡明でみんなからも人気があって。神奈川からは2人、そのプログラムに参加しましたが、もう一人は男子だし、私の苗字と似ている人も参加者にはいなかったので何故私が電話を掛けたと勘違いしたかは分かりません。けれどものすごく苦しかったです。被災地に住んでいる彼女のことなど何も思い出しもせず、震災に遭った人々のことよりひとつ屋根の下で行われている虐待の方が私にとってはきつかったから。

その約10年後、私28歳か29、リア充だった頃に某SNSで彼女が日本で一番有名な大学を出て、超一流企業の男性と結婚することが決まり、渋谷の某高級エリアに一括で一軒家を購入したということも知りました。彼女が夫となる人のボーナスくらいの月収を稼いでいるということも......。披露宴には是非プログラムの仲間も来てほしいという書き込みを見ました。アメリカンクラブのボールルームを貸し切っての披露宴......。私とは縁のない世界です。そもそも彼女は友人でもないから行く理由などないし、行っても惨めな思いをするだけだと分かっていたので行きませんでした。その前後どちらか忘れましたがプログラムの仲間4人と再会したのですが、みんな立派な会社に勤めていたり、才能を生かした仕事をしていました。そのオフ会に参加していない人の話もたくさん出ましたが、みんな立派でした。私一人、偏差値40前後の高校の出だったのに他のみんなは難関私立高校か県内一の公立高校出身で、何ら不思議もないのですが............。

私は当時「リア充」でしたが真っ当とはかけ離れた生活を送っていました。オフ会の二次会でカラオケに行きましたがシャーリーンの『愛はかげろうのように』を歌った人がいて「あ......これ、まんま、私の人生じゃん......」と思いました。顔には出しませんでしたが。欧州や中東に自由に旅行に行かれる私が羨ましいとみんな言いましたが、私はみんなの方が羨ましかったです。あれから15年くらい経って、改めて私の人生はあの歌そっくりだとしみじみ思います。けれど違うのは歌詞の女性の若い頃には気に掛けてくれる人がいたのにかかわらず自由を求めるという理由から自分を消費したのと、私は牧師とは寝てないことくらいでしょうか。

「阪神淡路大震災」と聞いて一番に私が思うことは被災者のことではなく、あの彼女のことなのです。私はいくつになっても人を羨み、妬む情けない人生を送ることになるのでしょうか。