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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<76>

秘密

受験勉強をしつつ、アメリカ研修の友達数人と文通をしていた。家や学校、他の子たちへの愚痴や私がもっと長い文章で返事を書かないことへの不満だらけの由紀からのワープロ書きの手紙で机の引き出しはいっぱいになっていた。

キャロラインは読書のみならず手紙も好きだったようで、学校生活や家族のことを書いて送ってきた。同じ部屋で過ごした10日間よりも沢山話しているのがなんとも不思議だった。キャロラインの学友のアスターとも絵ハガキや手紙を送り合っていて、彼女は奨学金を得てアートスクールへ進学を希望しているのに両親の猛反対に遭い、説得するのに難儀していた。
「近い将来にはヴィクトリアンスタイルの家を借りてアーティーストたちと共同生活をするの!実現したらあなたも来てくれるわよね?いや、絶対に来て!愉しくなるわ!」

プログラムで一番仲良くなった智子ちゃんとも頻繁にやり取りをしていた。いつの間にかどちらからともなく、プログラム中には決して語ることのなかったお互いの「秘密」を打ち明けていた。

「ミホちゃんのお家も色々大変そうだね。簡単に言えることじゃないけどさ。私はまだ子供だから、自分で自分のことを守り切れるとは思えないんだよね。あ、もう話したっけ?私の父と兄って血が繋がってないんだ。私が2つくらいの頃、親がリコンして、母に引き取られたからホントのお父さんの顔すら知らなくて。でもこの間祖母の家に行ったのね。みんながお墓参りに行ってる時こっそり押入れをあさってたら古いアルバムが出てきたの。そしたらきっとこの人が私のお父さんだなって人の写真が何枚もあって。ひそかに10枚くらい抜き取って持ってるんだ。母の言う通りなかなかオシャレな人だ。いまだに兄のホントのママからも時々電話かかってきたりするし、よく分からない家だよ。私には祖母っていえる人が3人もいたりする。普通は2人なのにね。こういう家がよく続いてきたなって思うよ。けどいつかきっとなんらかの形で「借り」は返すつもり。今のお父さんとかにね。このことを知ってるのはミホちゃんだけだよ。他の人に話したことなかったからね」

私は人から些細な秘密から重大なことまで打ち明けごとをされることが本当に多かった。今でもそうだ。この人なら話してもきっと受け入れてもらえると安心しているからなのだろうか。それとも同じような匂いを私に感じているからなのか。分からないが、こんなに自分のことを恥ずかしげもなくペラペラと語っている私にだって秘密はあるのだ。しかしそれを共有する相手はきちんと選ばなくては、見極めなくてはいけない。話すことで相手にとって重荷、負担になってしまわないかどうか。そしてずるいことだが、相手に嫌われ去られてしまわないか。いつか仲違いした時に永遠に秘密にしてくれるかどうか。

「私もさー。この間なんとなく死のうと思って洗面器にお湯を張って遺書みたいなものも書いて包丁を手首にあてたんだけど、そのまましばらく動けなかったんだ。私に自殺は向かないってわかったよ。死んでみたいって思うくせに、いざってなったら死ねない奴なんだなーって思った。とりあえずあと7年は生きてみるよ。それじゃーまたね。少しくらい忙しくても返事くださいよー」

智子ちゃんは私の友だ、仲間だと思った。私などとは比べ物にならないほど優秀で聡明でとってもいい子なのに私を秘密を共有できる仲間だと思ってくれていると思うと涙が出てきたーー今まで死だとか、自殺だとかそういう話が自然に出来る人なんて他にはいなかった。カナちゃんやあのマコトさんとすらしたことなどなかった。出来なかった。智子ちゃんは一度たりとも「あなたを信用してる」なんて言ったことはないし、私もない。そんな言葉などは薄っぺらく、あの紙飛行機よりも軽い。けれどこうしてお互いのことをありのままに綴って、共感し合っている。また手紙をすぐに書いて欲しいと思っている。それが全てではないだろうか?

ああ、プリンストンのドミトリーの落書き。「死にたい」と書いた学生は今どうしているのだろうか。あの机に向かって毎日何を思っているのだろうか。カフェテリアでラザニアやマッシュルームのオイル漬けを毎朝食べているのだろうか。ああ、まだ智子ちゃんにはあの落書きの話をしていなかった。

「どんなに他の人のことを理解しようと思っても、人がホントは何を考えているか分からん。いくら話しても理解し合えないこともあるのもフシギだけど当然とも思うよ。けどふとした瞬間にああ、分かるなぁって思うこともある。ミホちゃんにはそれをよく感じるよ」

あれから30年近く経ち、智子ちゃんやあの落書きの主の「秘密」もこうして書いてしまった私は裏切者なのだろうか(野暮なことは言いたくはないのだが、他人のあまりに個人的なことに関しては少し虚構を交えていることを断っておく)。

私がアメリカに行って得た一番の宝はこうした仲間だった。自分の居場所が出来た気がした。彼女らに恥じないようにもっと勉強を頑張って、いつの日か胸を張って再会したい。手垢と付箋、蛍光ペンのマーカーだらけのリーダーズ英和辞典とロングマン英英辞典、彼女たちからの手紙、好きな音楽。それが私の聖典だった。拠り所だった。