めちゃくちゃ長い散文詩だと思って3

ギターの練習…というか、コード表を見て弾けそうな曲のコードを順番にジャーンってやって、それに合わせて歌をつけて…ってやっていると、いままで何気なく聴いていた歌詞を改めて噛み締めることが出来て、とてもいい。
弦を押さえるのに四苦八苦してやっと一節歌える。激遅テンポでも繋げて歌えた時はなにより気持ちがよく、その時だけはぽろりろりーんな僕もぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーんでロックンロールは鳴り止まないし、カラスとオレはジャジャジャジャーンで胸がドキドキな気持ちなのである。バレーコードはいまだに弾けないくせに!

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ファッションは着る人の姿勢や思想が少なからず出ることと、見た目は繁殖のきっかけになり得る(要検証)こと、生まれ持っての体型が関わってくるため対立が起きやすく、実際批判もしやすいと思う。本能がくすぐられるのであろう。ただ残念なことに、バカにしてくるやつは大抵うすのろである。

しかし、金だけ持ってるオジンがゴルフ場やキャバクラで粋がるためのブランドは(悲しいが、世の中にはそのためのブランドが存在する)どうしても好きになれない。その生い立ちもそうだが、値段がべらぼうに高いわりにデザインは今や時代遅れなお兄系で、縫製や生地も普通と、正直良いところは一つもない。無理に一つ挙げるとしたら経済が回っていることくらいだろうか。名称は伏せるが初見では読めないブランドネームにしているところも、「えっこのブランド知らないの?」と、おじさんが偉そうに自慢してマウントを取ってあるところを想像すると背筋が寒くなる。金も地位も手にしたおじさんが唯一持ってないオシャレさを、金を出すことによって解決した気になっているだけなのである。
実際それに似たような連中がsupremeを崇め、NIKEを食い散らかし、抽選には文句を言い、ストリートファッションは終わった(と言われるようになった)。

ファッションは着る人の姿勢や思想が少なからず出ることと、見た目は繁殖のきっかけになり得る(要検証)ためにしょうもない連中の間で対立が起きやすいと先述したが、実際ファッション系YouTuberのコメント欄に、まるで繊維を食いちらかすヒメマルカツオブシムシのように沸いた連中をみれば、そのひどさは火を見るより明らかである。まぁそれらの意見はどれも極々小さな意見に過ぎず、リアルでは無いため何も信じる必要はない。そう考えると、ヒップホップのように、ファッションもSNSとの相性はあまり良くないように感じる。
だが忘れないで欲しいのは、嫌いなものがないってことは、それはそれで寂しいものなんだ

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自分を持つって一体なんなんだ?
もし過去あった出来事や事象から判断して、自分の道を選択しているのであれば、自我=経験から答えを導き出した結果 にすぎなくて、じゃあオレってみんなって、経験に基づいて答えを計算するだけの機械なんかいって、よく分からなくなる
たぶん正解は無いんだけど、きっとSNSを控えて自分で考えたり本を読むことに進歩の近道がありそうな気がするんだ

神様ならばきっときっと 僕の答えと同じはずだね(それは思い上がりが過ぎるか…)

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