心配という病気
聖書の中で、イエスさんが こんなことを言うてはります。
「今日は野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」
だから心配するなってこと。これは4つの福音書のうち、ルカによる福音書 にも、マタイによる福音書にも同じことが書いてあるので、きっと本当にイエス様が言われたか、よほど人々の心に響いた言葉なんだろうな〜と、思います。それほど「心配」は昔から、人の心にひっついてきたんでしょうね。
特に、ヴァータの人は心配性です。うちの母なんて、心配をするのが仕事だと思っている!笑 とにかく、いつもネガティブなことを考えています。たとえば 施設へいくと毎回言われる。
「運転気をつけなさいよ〜〜 若い女だとみると おちょっかいだして割り込んでくる男がいるから〜」...って、60才超えた娘になにいってんだか。笑
ありもしない現実。まだ何もおきてないのに、おきたらどうしよう...と、妄想の中で育てたおばけを恐れている。
ピッタの人も、いつも心配をします。先々うまくいかせるための計画を早々と練って、少しでもぬけおちがあると、その穴を塞がなくては!と、思う。それが 正しい と思う。
だから、抜け落ちがある状態は 正しくない と認識してしまう。
自分は間違いたくない。自分は正しくありたい。だから、間違ったらどうしよう、という心配と隣り合わせで、いつも緊張を強いられている。
どちらの心配も、実はゴーマンの裏返し。
だって、自分が「ナニかできるはず」だと思っているんだもの。
私たちは、「髪の毛1本すら 白くも黒くもすることはできない」と、これもまた聖書の言葉。
完璧に準備したって、雨はふる。止められない。
その中でやるしかないのよ。開会式だって。笑
人間はまちがう。失敗はおきる。失敗があったからこそ、ペニシリンは見つかった。青カビを生やしてしまうダラシナイ研究員がいたから世界は救われた。
どこに神の意思があるかなんて、私たちにはわからない。だから、結果は神にあずけて、ただ、やるしかないの。
結果がよくても神様のおかげで、自分の手柄なんてない。
結果が悪くても神様の思し召し。
そう思っていたらストレスがない。
心配には、いいことがない。
私たちの体が、食べ物から吸収する最初の栄養はラサという体液になります。ラサがあるから血液がつくられ、筋肉、脂肪、骨が生まれて、脳が働く。
ラサが減ったら、全部が減りだす。ラサを減らす一番大きな原因は....心配。
心配するから、消化力がおち、ラサが作られずに減っていく。
だから、心配には何もいいことがない。
子供のことを心配してあげるのはいい親?
いいえ、それは神におまかせしていないってこと。
どうせ心配したって 完璧になんかならないんだから。
やるだけやって、祈ればいいだけ。
心配することは愛じゃない。
人には失敗する権利がある。
転んで、泣いた時にしか見えない景色がある。
だから明日できることを今日やるな
今日は、今日の苦労だけで十分
心配する癖を手放そう!
....え?極楽トンボすぎるのもどうかって?笑
ま、そうとも言う^^ ワハハハハ~~
とにかく、聖書の世界とアーユルヴェーダは矛盾がないなあ〜〜
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