見出し画像

番外編3: 「ボーダーライン」

「そう。送れないの。」

ハイボールグラスの表面に付いた水滴をボンヤリ見ながら彼女はそう言った。

「意味が分からん。送っちゃダメっていう通達でも経産省から来たのか?」

彼女は一旦話すのをためらうように少し間を空けて話し始めた。

「2つを別の場所に離そうとするでしょ? そしたらそれをしようとした人はひどい頭痛に襲われるらしいの。頭が割れるんじゃないかと思うくらいの。で、元の場所に戻すと収まる。」

「そんな・・・バカな・・・」

「誰だってそう思うわよね。でも、そうなのよ。
何度やっても無理。みんな怖くなって、パニック状態よ。でもその時点では、テロ指定事案だったからもちろん何も言えない。夜中にブツが勝手に動いているのを見た、と言う人も現れる始末。監視カメラでは動いていなかったから、幻覚だろうけど。
Spring-8 での調査にはそれほど大量の資料を必要としないので、ブツから剥がれ落ちた部分を取り出して、加速器を使って調査をしたらしいのよ。」

「それには頭痛とかはなかったのか?」

「それはまったく。2つの塊を離れた場所に移そうとしなければ、何も起こらないの。」

2人はしばらく黙り込んでいた。
店は相変わらずに賑やかで、オーダーが通る声が絶えず聴こえる。
前田は、手に持っていたグラスの残りを空けた。

「なぁ、自分の記憶がすべて正しいわけじゃない、と思ったことはあるか?」

「何?突然。まぁ、覚え間違いなんてしょっちゅうだから、私。」

「でも大事なところは覚えているだろう?昨日は自分の周りで誰も死ななかったこととか。」

「そりゃぁ・・・もちろん。」

「でも、その自分の記憶がすべて正しいと言い切れるか?」

前田はそう言って続けた。

「現実とあまり変わらない夢を見ることがあるだろう?
起きてすぐは、起きたばかりという状況から ”今のは夢だったんだ” と脳は認識して、その記憶を夢だと判断する。
でも、だ。夢というものは直前に見た部分以外はほとんど忘れていないか?
現実とあまり変わらない夢の場合は特にそうだ。その忘れていた夢の断片は頭のどこかに残っているかもしれない。そうは思ったことはないか?」

「確かにそういうことはあるかも・・・ね。」

彼女がそういうと、前田は彼女の目を見て続けた。

「じゃあ、その残存していた夢の断片が、あたかも現実のこととして過去の他の記憶と間違って統合されてしまう可能性だってあると思わないか?
その逆に過去の自分の記憶が夢の断片と一緒に夢として片付けられて消失してしまう可能性だって考えられるだろう?統合失調と健常のボーダーラインなんて、あいまいで危ういものなんだよ。」

「言いたいことは分かるけど、今回の件といったいどう関係するの?
私の中では、まったくつながらないわ。」

前田は何も言わず黙っていた。
そして、空になったグラスを掲げて、ジャックのロックをもう1杯頼み、少し考えてこう言った。

「俺は俺が見てるこの風景が ”現実” なのかどうか、分からないんだ。なぁ、これは現実なのか?」

「前田君、どうしちゃったのよ。これは現実よ。今、居酒屋でジャックダニエルのロックを飲んでる前田君も、それを見てる私も。」

「俺、この前から夢を見るんだ。同じ夢。恐ろしくリアルで。あり得ないのだけど、夢を見ている間は、そちらの方が現実のような気がしてくる。
なぁ、あのブツは地球外のものだと思う俺は頭がおかしいのか? あのブツに夢を見せられていると思う俺はイカレちゃってるのか? 」

前田はそこまで一気に話すと、言葉を切った。
騒がしい居酒屋なのに、前田はまるで無音に感じているようだった。
もう氷しか残っていないハイボールグラスをじっと見つめていた彼女が口を開いた。

「実は、これまで言ってこなかったことがあって。
言ってこなかったといっても、秘密にする必要があったわけじゃなくて・・・
なんだか現実離れしているというか、まぁ、そういうこともあるかもね、くらいに思ってたので。」

彼女は、前田の目を見つめて続けた。

(つづく)


この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?