別れはいつも、突然に
先日、飼っていたキンクマハムスターを亡くした。
1歳と5ヶ月だった。
ハムスターの寿命は2〜3年だというのに、早い死だった。
用事から帰って、キンクマくん(名前は伏せます)の夜ご飯の準備をしていた時のこと。なんだか様子が変だった。巣箱から頭を出して項垂れている。呼吸も荒く、苦しそうに見えた。急いで抱き抱えると、手足が信じられないほど冷たくてぐったりしていた。
以前にもハムスターを亡くしたことがあったので、状態から見て今夜が山だとすぐに気付いた。
今日は持ち堪えられそうにないな。
でもどうして?
昨日まではご飯も食べれるくらい元気だったのに。
ご飯を口元に寄せても、水を飲ませてもキンクマくんの目が開くことはなかった。ただ、苦しそうに呼吸するだけ。手足には力が入らず、自力で立つことはもうできなくなっていた。
1月に入ってから食欲が落ちたのか、ご飯を残すことが増え日に日に痩せていった。幸いひまわりの種とチーズのおやつ、生野菜は食べれる様なのでペレットや穀物の代わりに与えた。それでも巣箱には食べ残しが残り、眠ることが多くなった。大好きな部屋んぽ(部屋の中をお散歩)も回しぐるまもできなくなり、ひょっとしたら死期が近いのかもと思った。
体をチェックするため抱き抱えようとすると、滅多に噛まないキンクマくんが噛むようになった。今思えば、具合が悪いから構わないで!という意味だったのかもしれない。
キンクマくんの最後は静かだった。
冷たくなった体を少しでも温めようとわたしは手の中で温めた。次第に呼吸はゆっくりとなり、手足はさらに冷たく苦しそうにキューンと鳴いていた。
わたしは涙が止まらなかった。自分の手の中で小さな命が尽きていくのを、ただ見ていることしかできなかった。それが悔しくて、何もできない自分が酷く無力で無慈悲に思えた。
こんなに苦しいのに、辛いのに飼い主であるわたしは何もできないよ。ごめんね、苦しいよね、とキンクマくんの最後を見届けることしかできなかった。
こんな急に逝ってしまうなんて。
まだ心の準備が全然できてなかったのに。
どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろう。
手の中で冷たくなったキンクマくんにごめんね、としか言えなかった。まださよならなんてしたくないよ、まだ逝かないでよ。
キンクマくんの顔は安らかだった。いつものように、ただ手の上で寝ているだけにも見える。それが余計にキンクマくんの死を否定していた。
家族にキンクマくんが亡くなったことを話したら、お父さんは涙ぐんでいた。いきなりの報告で驚いていたけれど、仕方ないねと言っていた。
母にまだ亡くなったことが受け入れられない、だってこんな急に逝くなんて。と話したら、動物は急に逝くものだよ。飼い主がちゃんとありがとう、一緒に過ごせて幸せだったよと伝えなきゃだめだよ。そうしないと、キンクマくんも安心して天国に行けないからね。と言われてしまった。
確かにそうだ。
キンクマくんにとっては短い生だったのだから、飼い主のわたしがちゃんとありがとうと伝えなきゃだめだ。もっと遊んであげれば良かった、もっと好きなものをあげれば良かったと後悔して悲しい時間を過ごすよりも、ちゃんと感謝の気持ちを伝えて、わたしの元に来てくれてありがとう、わたしは幸せだったよと伝えることが飼い主であるわたしがキンクマくんにしてあげられる事だ。
いつも大切な存在との別れは突然で、覚悟なんて一生できなくて、別れる覚悟なんてできないままで突然「バイバイ。」と無慈悲に告げられる。
自分に神様のような万能な力があれば、この別れを無かった事にできるかもしれない。
でも、わたしはただの人間で、何の力もなくて、ただ目の前の出来事を経験して生きていくしかないのだ。
わたしにとっては大切な存在でも他人から見たらどうでもいいことで、逆も然りだが、死は生きているもの全てに平等に訪れるもので、逃れられない定めのようなものだ。
大切な存在の実体がなくなったとしても、一緒にいた記憶や思い出、声や形は忘れることは無い。ずっとその人の心の中に在り続ける。生きた証を残し続ける。
だからわたしはずっとキンクマくんのことを忘れないし、例え生きていた時間が短かったとしても、ずっとわたしの心に残り続ける。
この記事を見返していると、自然と涙が溢れてくる。
キンクマくんにあった出来事や、好きなおやつ、幼ハムだっの頃の思い出。そしてわたしの手の中で息を引き取ったこと。全てが鮮明に思い出される。
ただ泣くことしかできなかったわたしには何ができただろう。
仕事で辛い日々も、自分が嫌になって泣いたあの夜も、キンクマくんがいてくれたから救われた日々がある。
だからキンクマくんに伝えたい。
君がいてくれてわたしは幸せだったよ、ありがとう。
いつまでも大好きだよ、と。
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