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条件付きの愛

ご飯が作れてる自分はエラい。掃除ができている自分はエラい。勉強している自分はエラい。

じゃあ、何もできていない時の自分は‥‥?

何かができていて、何かをしている自分は愛するに値するけれど何もできていない自分は愛せないのか、愛することはできないのか。自分を愛することに条件をつけて満たしていれば愛せるのか。

こんな自分いらない。捨ててしまえ。そう願っても死ぬまで自分と共に生きることになる。逃げて逃げて逃げた先に光があるのなら逃げても良い。

湯船に浸からずシャワーのみで済ませても、ご飯をインスタントで済ませても、疲れていて何もする気が起きなくても、全部できなくても、自分の存在価値は変わらない。誰かに愛されたいと願う前に自分への愛が足りないことに気づけたらどんなに楽か。

自分を愛するために努力をする。

まだまだ努力が足りないとかこんな自分じゃ誰も愛してくれないとか努力ができない自分はダメだとかはどうでもいいのだ。自分を愛そうと決めた自分自身をまず褒めるべきだし、そこに他人の目や自己嫌悪は必要ない。すでに一歩は踏み出しているのだからそのまま一心不乱に走り続ければ良い。何かに夢中になっている時は、他人の目なんか気にしていない。無駄にSNSを見て他人と比較するのはやめよう。

短い人生でどれだけ自分を愛して過ごせたか。この中に人生の幸福がつまっている気がする。

他力本願ならぬ自力本願で生きたい。




空って広いなぁ


1日1日がただ通り過ぎていく景色のようで、なんでもないような日常を生きていると自分は何者なのかとか自分は何がしたいのか分からなくなる。人生を無我夢中で何不自由なく生きている人が羨ましくて、影を落とすことしかできない自分は何なんだろうと思う。

今こうして呼吸している間にも時間は、世界は動いているのにわたしは止まったまま傍観することしかできない。小さな希望を見出してはそれに縋ったり、与えられた環境で生きていくために必死にもがいたりして。世の中にとって正しいことをするのがよい人生なのだろうか。

他人は、わたしという名の表面的な情報だけで判断しようとする。
どんな経歴があって、どんな仕草でどんなことを話すのか。他人の考えていることが分からなくてよかったと思う。それはいい評価かもしれないし悪い評価かもしれない。自分が傷つくような悲しくなるような話だったら最悪だ。見た目は気さくに話すけれど、心の中では残酷な結果が出されてるんだろうな。怖い。



失った時間は元には戻らない。
人生で今が一番若い時。だから、やりたいと思ったことはどんどんやっていったら良い。若さがあるってことはそれだけ行動力もあるということで何かを学び始めるのにも良い時期だ。

わたしたちは刻一刻と死に近づいている。
若いことは財産だ。
貧乏な人にもお金持ちの人にも成功者にも平等に与えられる権利。年をとって体の自由が利かなくなり、目や耳も聞こえなくなってからもっと運動すれば良かった、もっと遊びに行けば良かった、もっとやりたいことをやっておけば良かったと後悔しても遅いのだ。平等に与えられた権利を使わなかったのは自分の責任だ。

だから、後悔する前に動き出すんだ。






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