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noteを読む理由

もなかです。

気づいたらnoteばかり読んでいる日々。
休むことも忘れてひたすらに記事を読む。

元々文章を読むのが好きで、小学生の頃国語の教科書を休み時間に読んでいたりした。昔からほとんど小説しか読んでおらず、難しい評論や新書は苦手だった。

今は、医療関係の学校に通っているためレポートを書くときに論文を必要とするときがあるので読むようになった。むしろ、小説はほとんど読まなくなってしまった。

年齢が上がるにつれて、私の本棚は小説の数が減り自己啓発本やビジネス本が多くなった。高校生になってから精神的にしんどくなり生きるのが辛くなった。
このどん底から抜け出したくて、方法が書かれていそうな本を片っ端から読んだ。(それが自己啓発本だった。)

小説を読むのが無意味に思えた。
恋愛話だの、家族愛だの、友情だの、今の私を救ってくれそうな気がしなかったのだ。
どうせ読んでも何も変わらない。
ここに私が必要とする答えは無い。
読む時間がもったいない。

そんな訳で、小説を読まなくなった。
今となっては、子供の頃大変お世話になった本という存在に、なんて失礼なんだろうと思う。
しかし、私はそれだけ必死だったのだ。
心底好きだった小説というジャンルを不要としてまでその時の自分をどうにかしたかったのだ。

今の私は、あの頃と比べてどう変わったのだろうか。環境が変わり、人間関係が変わり、読むものも変わった。
学んだことも多かった。

そして、今はnoteを使い色々な人の価値観で書かれた文章を読むことが多くなった。
自分の小さな頭じゃ思いつかなかった考え方を無料で読めるのだ。
それに、人が考えていることって面白くてそんな考え方もあるのか~と大変ためになる。
これがタイトルの理由。

ここで私は気づいた。
家に居るだけで、多くの経験を学ぶことかできると。ひたすらに記事を読めば必ず自分の思考になると。

でもそれは間違いだった。
文章を読んでふ~ん、なるほど。となっているだけだった。学ぶことはあっても経験にはならない。経験した気になっているだけ。

頭でっかちになる自分。

本当に自分の経験にするには、行動しなくてはならない。考え、行動しなくてはならない。
noteで読んだ記事は所詮他人の経験談なのだ。
それを自分の経験にするには、自分が行動し、体験するしかないのだ。
そうすれば自分の経験になる。
自分オリジナルの経験になる。
それこそ、本当の学びなのではないだろうか。

最近はこれを実践し、少しずつではあるが学びが増えてきた。

だからnoteを読むのは面白い。

自分の経験にできるきっかけがたくさんあるから。

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