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拝啓から始まるお便り。地域ブランドの立ち上げとその想い(前編)

プロローグ
鹿児島県北部の内陸に位置する人口約2万人の町、さつま町。
鹿児島空港から車で約40分、市内からは約70分の距離に位置し、雄大な紫尾山麓と、豊かな恵みをもたらす川内川、湯治場として歴史のある温泉に恵まれた土地。
その土地に、2022年3月、役場、北さつま農業協同組合、商工会、観光特産品協会が組織の垣根を越えて一つになり、子どもたちの支援も見据えた地域ブランド『薩摩のさつま』が誕生しました。

『薩摩のさつま』は、独自の認証基準を通過した商品が認証品として登録され、さつま町が自信を持ってお薦めするブランドです。

そして、商品をお届けするだけでなく、その商品が生まれた背景にあたる人、風土、歴史といった土地が持つ豊かさも、お届けしたいと考えます。

そこで今回は、生みの親である作り手の方々から、商品への想いやこだわりといったお話を取材させていただきました。

最初は、認証品の作り手ではなく、ブランドを立ち上げから牽引されている堀之内力三さん(堀之内酒店 店主/薩摩のさつまブランド推進協議会 幹事長)のお話を前編・後編の2週に渡ってお届けします。

拝啓 さつまの手触りが届きますように。


聞き手:青嵜(以下省略)
こんにちは。今日は改めましてですね。よろしくお願いします。
堀之内さんとは、個人的に何度もお話をさせてもらっていますが、初めてこの記事を読む方へ向けて、普段はどんなお仕事をされているのかお話いただけますか?

堀之内力三さん(以下省略)
お酒や食品を扱う小売業なんですけど、できれば商品だけが動いていくのではなくて、うちは、”ラベルの向こう側に語りたくなる味がある”っていうのをキャッチコピーにしているので、お酒の向こう側の背景とかも一緒にお届けできるようしたいと思っています。

例えば、自分たちも商品を仕入れる上で蔵元さんたちと繋がった時には、現地に行ってその人たちを知って、その土地を見て、あぁこんな人のこんな土地でできたお酒を自分たちも飲みたいし、それをお店の棚に並べたいなっていう思いが合致したときに、初めてその商品をお店に並べているんです。

そして、商品を買いに来てくれるお客さんに、商品だけでなくて、その背景も伝えられるようするのが自分たちの仕事なのかなと思ってます。


今のお話の中で”ラベルの向こう側”という言葉がありましたね。
ちょっと極端な言い方をすると、商品が売れて利益が出れば商売としては良い思うのですが、なぜ、そのラベルの向こう側を伝えることを意識されてるのですか?

最初は自分たちも、お酒が売れて、お金が入ってきて、利益が出て良かったなって思うのも1つの喜びではあったんですけど、実家の店を継いだときにやっぱりお酒のことをちゃんと知りたいなって思ったんです。

そのとき、小牧醸造さんっていう同級生の蔵元さんに焼酎の勉強をしたいってお願いして2週間程入らせてもらって、制度の勉強というよりは、現場の農家さんであったり造り手さんたちと一緒になって、夜の宴会もしながら(笑)また朝から仕込みをして、っていうのをさせてもらいました。

そのときに、自分たちがただ何気なく飲んでいた焼酎の向こう側には、こんなに色んな方が関わってて、自分で畑回って、その農家さんたちもこんな思いで芋を育てて。
そして苦労して育てた芋を、今度は蔵元さんたちが1ヶ月、2か月…醸造まで含めると何年っていう手間暇をかけている。

そんな商品を、自分たちはただお金を払って仕入れてるだけだったんですよね。
何も知らずに。

それを知ってからお酒を売ったとき、お客さんが買ってくれるだけでも嬉しいんですけど、今でも覚えてるのが、自分たちが売ったお酒をお客さんが「美味しかった〜」って言って空のビンを持ってきてくれて10円払ったときに、もう、そのとき、なんかもう、その空ビンを見て。
うん。頑張ったねって。

自分たちのその焼酎が、お客さんの日常生活の中で、楽しさや疲れを癒すため、お祝い事だったりと色んなシーンに自分たちのこの店から旅立っていく。
みんなが手間暇かけた我が子のような子どもたちを僕らが預かってて、その子どもたちが外の色んなシーンの中にいる。
喜び、悲しみの中にいる。

それが、また帰ってきたときに、酒屋って、すごい素晴らしい仕事だなと。

こんな色んな喜びの中に、色んな喜怒哀楽の中に酒屋として関われるって、こんな素敵なことってないなって思ったんですね。

それが、なんかこう、”ラベルの向こう側”っていうのを意識するきっかけではありました。


今回、地域が認証する商品を紹介するだけではなくて、そのブランドや認証品の背景を届けたいという想いでこのインタビューをお願いしました。
そういった意味でも、以前から堀之内さんが仰っている”ラベルの向こう側”のお話はぜひお聞きしたいと思っていました。

そんな堀之内さんですが、地域ブランド『薩摩のさつま』では、酒屋さんとは異なる立場で皆さんを牽引されています。
そうなった経緯を改めて教えていただけますか?

自分でも、なんでこういう立場いるんだろうっていうくらい不思議な気持ちもあるんですけど(笑)

ちょっと話が遠回りになりますが、2005年頃、自分たちが人の思いを大事にする商売をしていた中で、町の商工会の青年部に僕が誘われるような形で入ったんです。

入ったときは、この町にもこんな事業者の方々がいるなら繋がりを作るには青年部もいいかなと思ったんです。けど、入ってからは飲み会も夜遊びも多い。
それが、僕にはどうも合わなかったんですよ。
焦りもあったので、もっと仕事の話がしたいなって思って1年間行かなかったんですよね。

それで、幽霊部員になったまま町内も3町合併(平成17年に宮之城町、鶴田町、薩摩町が合併)になるのと合わせて、商工会も合併になってメンバーが変わったんです。

そんなあるとき、商工会主催の若い経営者の主張大会っていう10分間の弁論大会に誰が出るかっていう話があって、僕はまだ幽霊部員だったんですけど、欠席裁判で僕が選ばれてしまって。
人前に出るのとか、そういうのを逃げてきたタイプだったんですけど、出ることになったんです。

まあ、その時は、焼酎「力三」(※後述)の活動をしていたんで、そのことを書いて読んだんですけど、対戦相手の方が人前で話すことにすごく慣れてらっしゃる方で、10分間の弁論を全部暗記で話されていたんですよね。

もう、何も知らないでただ作文書いていっただけに、引き受けなかったら良かったと思うぐらいで。
皆んなに誘われて煽てられて出たんだけど、知らずにやったら恥かいたわって思って腹立って、もう、ぶつぶつ言いながら成績発表を待ってたら…。
勝っちゃったんですよ。えっ!!?ってなって。

あんなに頑張ってらっしゃった方に対して、こんな不純な気持ちで参加した自分が申し訳ないなって思ったんですよね。
で、今度はそれから県大会で勝って、九州大会まで行って勝ったんですよ。

結果、全国大会まで行くことになるんですけど、勝っていくたびに、街も盛り上がるし、周りの青年部も盛り上がる。

そのときは、町が合併したてで皆んなそこまで仲が良かったわけではないんですけど、人が繋がって自分の周りで色んな物事が繋がっていく感覚をすごく感じて、お酒を通して、こういうまちおこしの仕方もあるんだなと思ったんです。

それからの青年部の活動も一生懸命にやりはじめて、夏祭りだったり、いろんなイベントを自分たちで企画してやってみたり、まちおこしをしたいっていう思いが出てきたんですよね。


 ※取材/撮影:青嵜 直樹(さつま町地域プロジェクトディレクター)

(後編につづく)


焼酎「力三」
地元農家さんの協力を得て、地域の子ども達や飲食店さん、焼酎好きの方々等が集まり、芋の植え付けや芋掘り・仕込み体験の一環で出来ている焼酎。

この活動から、新成人となる19歳の方々と、故郷の文化である芋焼酎造りを芋掘りから一緒に体験し、自分たちの手での造った焼酎を成人式でお披露目し祝杯をあげる企画「19歳の焼酎プロジェクト」へも発展している。



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