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ルーツを追う旅はご縁の旅だった

きっかけ

NHKのファミリーヒストリーという番組にはまった。ファミリーヒストリーは芸能人や有名人のルーツを何世代も追い、彼らの祖先がどのような人生をたどって来たのかというドキュメンタリー。大陸から渡ってきた先祖、戦国武将だった先祖、江戸時代人気の役者だった、太平洋戦争では軍艦に乗っていたなどドラマチックなファミリーヒストリーを見ている内に、徐々に自分のルーツが気になってきていた。

「私の祖先はどのような人生を送ってきたのだろう?」

祖父のこと

私を含め両親も東京で生まれ育った。私は、旧姓を花上(ハナガミ)という。父方の名字である。ハナウエさんは居てもハナガミという人には、生まれてこのかた会った事がなかった。祖父、花上克治は明治43年(1910年)広島生まれ。進学をきっかけに上京したと聞いている。下町出身の祖母と出会い結婚し、生まれたのが叔父と父だった。私が生まれた頃は、江戸川区小岩に住んでいたので、私たちは祖父母を「小岩のおじいちゃんおばあちゃん」とよんでいた。

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口数の多い方ではない、やさしくいつも温かいオーラを持つ祖父、よく水戸黄門とまんがニッポンむかしばなしをテレビで一緒に見た記憶がある。大のカープファンだった。写真を撮る事が大好きでどこに行くにも大きなカメラ鞄を持ち歩き写真を撮っていた。

祖父は戦争にも行っている。祖父の日記やアルバムから、昭和11年(1936年)27才、太平洋戦争が始まる前の日中戦争に招集された。戦地に行く前、祖母は千人針を縫い、大工で彫刻家でもある祖父の兄は木彫りの兵隊人形を祖父に贈った。1年ほど戦地にいたようだが、病気になり台湾の病院へ送られる。日本に帰って来た時、祖父は30才だった。終戦までの6年間の祖父母の生活は、悪化する戦線のなか年々厳しくなっていったに違いない。空襲を避けるために祖父は、まだ乳飲み子の長男と祖母を広島の実家に疎開させた。祖母はこの時の事を、広島の実家のおばあさんが厳しい人でねえ、、、と語っていたことを覚えている。
祖母は下町の酒問屋の番頭の娘として生まれ育ち、農作業の経験は無い。そのような祖母だから、なかなか田舎のおばあさまの期待に応えるのは大変だったのかもしれない。
ほどなくして、終戦を迎え花上家は無事戦争を乗り切り、終戦から半年後父が生まれる。

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私は一度も広島の祖父の実家に行った事が無かった。わたしは、花上のルーツ、花上の本家がある所を見てみたい。同じ花上姓の一族に会いたい。
そしておじいちゃんが生まれ育った土地を見てみたいと強く思った。

おじいちゃんの故郷

2018年春、私たち夫婦、両親、姉夫婦と花上の実家を訪ねる機会がやってきた。
広島市内から車で山の方に1時間半ほどの吉舎(きさ)という地が祖父が生まれ育った土地。古い長屋が並ぶ地区に花上の実家が、祖父が育った古い家があった。私が感動した事はその付近の表札が花上だらけだったこと。花上ミルクセンターもあった。

「私は今まさに花上生誕の地にいるのだ〜〜!」
っと興奮した。

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そして、本家の斜め向かいに祖母が疎開させてもらっていた家もあった。案内をしてくれた親戚が、ここのおばあさんはとても厳しい人だったのよ〜と教えてくれ、祖母の話は本当だったんだな〜っとまた感動した。
車でゆっくり近所を走りながら、祖父が通っていた学校の前を通り、みんなで花上本家のお墓参りをした。吉舎の里山の風景はきっと、変わっていない気がした。私は祖父と同じ風景を見ている、そう思った。
心がず〜〜と温かい気持ちだった。

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叔母が(父のいとこ)家系図を書いてくれた。祖父は5人兄妹で、それぞれに娘さん、息子さんがいらっしゃる。つまり父のいとこだ。広島や大阪に住むいとこがいる中、青森県に住んでいるいとこを発見した。私の夫、たっちゃんの母親は青森出身なので親戚が青森に住んでいる。気になってこの青森に住むいとこの住所を聞いてみた。

な、なんと、このいとこさんは、私も行った事がある五所川原に住むたっちゃんのおじさん家から30分のところに住んでいた。

「こんな事ある?!スゴい偶然!」

私たち夫婦は目を見合わせながら、きっと同じ事を考えていただろう。

父といとこさん、会えるかもしれない!


父と青森のいとこ

翌年夏、その機会はやって来る。

私たち夫婦は2019年の夏、五所川原の立ちねぷたを見におじさんの所に行く計画を立てていた。
祭り好きの私の両親も誘い、一緒に行く事になった。
願わくば、父がいとこさんに会えると良いな〜と思いながら。。。

「お父さん、いとこさんに連絡してみなよ。だめもとでも、会えたらすごいんじゃない?」

父、連絡する。。。。

。。。。。

。。。連絡が取れ、会える事になった。

そして、はるばる青森まで会いに行った。

少し緊張しつつも、73才にして、初めて会ったいとこ同士。。。。

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なんでしょう、このこみ上げる感動は。。。。

いとこ同士は少し照れながらも、会えたことを喜んでいる。
なんともきらきら温かい幸せな空気感。。。


お父さん、千鶴子さん会えて良かったね。

今思い出すだけで、こみ上げて来る。


千鶴子さんは広島のおばさんに小柄な所や雰囲気もとても似ている。
やっぱ、血縁なのかな〜。

千鶴子さんはスイカ&メロン農家さんで、伺った時はまさにスイカの収穫最盛期で大忙し。

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おみやげにスイカとメロンをたくさん持たせてくれて、そのお味のおいしいこと!

あ〜〜〜青森、本当に来て良かったね。とみんなでハッピーな余韻にひたる。

きっかけはテレビ番組であり、祖父の故郷を知りたいと言う強い想いが私たちを衝き動かした。

広島という祖父の育った故郷で花上のふるさとを知り、

さらに青森まで繋げてくれたご縁。。。

まさに「ご縁の旅」であり、温かくて忘れられない旅であった。


。。。。そして、気になるもう一方のルーツ、母側のルーツ
母の祖父は富山出身の敷島という関取である。
そのうち行くであろう、富山へひいおじいちゃん、「猪ノ助さん」を辿るたびに。。。

。。。。わたしのたびは続く。。。

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