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アメリカのママの畑とアーミッシュの商店

ママの畑

私にはアメリカの「Mom」と「Dad」がいる。
つまりは私のホストファミリーだ。中2の夏の1ヶ月と高校留学の1年を彼らの元で家族の一員として迎えられ一緒に暮らした。ミシガン州中部、人口2000人ほどの小さな町の静かな住宅地で彼らと暮らし、アメリカのカルチャーにどっぷり浸かり、異文化と言うものを体験させてもらった。生きた英語のシャワーを浴びながら英語という語学の基盤も養うことが出来た。彼らと濃厚な時間を過ごし、多感な時期の私を本当の家族のように温かく受け入れてくれた。特別なご縁は20年以上経った今でも変わることなく、数年おきに行き来しあい、やりとりは続いている。

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当時の記憶は色濃く残っている。
ミシガンの夏はカラッとしていて過ごしやすく、パティオでホストシスターとレモネードを飲みながらまったりと過ごし、庭ではリスが行ったり来たりしていて、ハミングバードが花の蜜を吸いに来ていた。夜8時近くになっても暗くならず、やっと暗くなって来たと思ったら、芝生を蛍が飛んでいて、なんて美しく、幻想的なんだろうと感動した。東京では見られない景色に、私にとっては全てが新鮮であった。彼らとの滞在で、ひときわキラキラと記憶に残るのは、ママの畑だった。

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パティオの裏のママの畑には、コーン、ビーンズ、トマトにきゅうり、リンゴや梨の木、ブドウもあった。畑の周りにはラズベリーとブラックベリーが植っている。ママは、コンポストもしていて、午前中の畑仕事ではよくコンポストの土をかき混ぜていた。

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「TAE, could you go and pick some berries! たえ、ベリーを摘んで来てくれない?」
とバスケットを渡されよく頼まれた。つまみ食いしながらベリーを摘み、詰んだベリーでママは、パイを焼いてくれたり、ジャムの作り方も教えてくれた。

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ママは、夏から秋にかけて採れるあらゆる果物をジャムにし、冬はパパが狩る鹿を瓶詰めにして保存する。ホストブラザーのクローゼットを開けると、右側には服、左側にはママが瓶詰めにした食材が何列にも並んでいた。

アーミッシュの商店

たまに、ママの買い出しに付き合うこともあった。
家から10分ほど田舎の道を走った場所に、木造の小さな商店があった。
そこは、アーミッシュの人たちが経営するお店で、
「ここで売っている全てのものが無添加のオーガニックなモノなのよ。」っとママは教えてくれた。
ママはいつもそこで、決まった調味料や野菜の種なんかも買う。野菜の種もアーミッシュの人たちの畑から採った野菜の種だった。

ママはさらに教えてくれた。
「アーミッシュの人たちは、電気を使わない生活をしていて、移動も馬車なのよ。彼らはオーガニック野菜を作るプロなんだから」っと。

車でアーミッシュのコミュニティーを通りながら、
「あれが彼らの学校、あれは教会で、あのお店では彼らが作った家具を売っているのよ。」と教えてくれた。
ホストファミリーの家のリビングには木製の木彫りが施されているチャイナキャビネットがあり、それはアーミッシュの家具屋さんで購入したそうだった。

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たまに、馬車を見かけた。緑色のつなぎを着た、長い髭を生やした男の人が、馬車を走らせていた。フリーウェには、馬車の絵が描かれた道路標識もあった。商店のアーミッシュの女の人は、足首まである長いグリーンのスカート履いていた。

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アーミッシュは、キリスト教の一つの宗派であり昔ながらのシンプルな暮らし方をしている。
ちなみにフランス人がルーツのホストママはカトリックで、ドイツ人がルーツのパパはプロテスタントだった。日曜の朝はほぼママの教会に行ったが、たまにパパの方の教会にも行った。
彼らと過ごす中で、キリスト教にも宗派がたくさんあり、家族でさえも宗派が違うこともあると言うことを知った。

近年ミシガンへ戻ると、私はホストファミリーにアーミッシュの商店に連れて行ってと必ずお願いする。そのお店で私はママと同じように、調味料などを購入する。
ホストシスターの話では、近年ではアーミッシュの素朴な暮らし方をしたいという若い人たちが州外から集まって来ているそうだ。私が高校生の頃は、年々アーミッシュ人口が少なくなっている傾向であったが、近年は逆に人口が増えているそうだ。

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ミシガンでのママの畑の記憶、アーミッシュの人々の暮らし方は私の中で特に色濃く残る記憶だ。
私自身が現在、夫と静岡県の里山で循環型な暮らしをするのも、その色濃い記憶が影響しているのだろうと感じている。

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