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自分と他人の境界線がわからない

「そろそろさ、もっとともさんのわけがわからないところを書いてみたらどう?」
今一緒に会社をしているまおさんにそう言われた。十年そこそこ友人をしてくれているので、家族並に性質を理解している。

「わけがわからないとこ?」
当たり前なんだけれど、私は私しか生きたことがないので他人にとって何が「わけのわからないとこ」なのかがわからない。

「あの、自分と他人の境界線がない問題
小首を傾げていた私にまおさんが言った。ああ。でも、それは心底わけがわからないやつじゃんか。実のところ、他者にうまく説明できる自信もないんだよ。

…でも、いいか。
noteならば、1000人いたら3人くらい「なんとなくわかる」って言ってくれるかもしれない。そんなことを思って、見切り発車で書いてみる。最後まで読んでも、やっぱり「わけがわからない」ままだったらごめんね。先に謝っておきます。

◆同一化は無用な傷のもと

私は自分と他人が一体であるような感覚を持っている。たぶん、生まれた時から。人と人が別の個体であることは理論上わかるのだけれど、意識の境界が曖昧だ。

図示したかったけれど、絵心の問題でうまくいきませんでした。。。
かといって、言葉で説明するのもむずかしいんだけれど。自分と他者が緑色のアメーバのようになり、溶け合っているイメージなのだ。
理論上は別の個体であるということは、わかる。体が離れていることも、別々の人生を歩んでいることも、理解している。しかし、根本的には境界がなく人間同士がアメーバ状態になっているイメージを持っている。

では、自分と他人の境界線が曖昧だと、なにが起こるか。”勝手に傷つく”頻度が激増するのだ。自分と他者が同一のものであるという前提で、他者と接してしまう。

だから、電車の中で大声で喧嘩をしている人を見ると、自分が罵られているように(もしくは罵っている側のように)感じ心臓が痛くなり、血圧がバクバクと高まってしまう。

仕事などでも、相手と自分が同じだと思っているから、自分の常識の範囲外のことを言われるとえらくえぐられてしまう。「そんな予想だにしないレベルのことを言うなんて、私のことを相当嫌っているに違いない」と思う。相手にまったく悪意がなかったとしても、だ。

相手が刃物をかざして私を傷つけにきているならば、仕方ない。
でも、あえて人を傷つけようと接してくる人はそういない。だから、私が負っている傷のほとんどが無用な傷だ。
相手の言動や行動で勝手に傷つくのは、多様な人が生きているこの社会において非常に厄介な性質である。ほんと。ひじょうに。

◆怒りの根源は同一化

私は元来怒りん坊で、「なんでこうなっちゃうかな?」「まったく、どうして!」とよく腹を立ててきた。
後天的な訓練により、いまではかなり〝おだやか〟のツラをかぶれるようになった。それでも、親しい人にはバレていることがあるんだけれど。

そもそもなぜにこんなに怒るのかを考えてみたことがある。
そして、その根源にもまた自己と他者の同一化があった。他人が自分と同じ存在だと捉えていると、自分の尺度では想像しない振る舞いや言動に対して、「裏切りだ」と感じるのだ。

裏切りは、人に強い感情を引き起こす。さきほどは、「怒り」と表現したし、表出の仕方としては「怒り」なのだが、正確には「怒り」と「虚しさ」と「喪失感」をミックスしたような感情が奥から湧き出るように思う。

話を戻すと、私はこうした裏切られた感覚を抱く頻度が高かったのだ。それは、自分と他者との同一化に由来する。
すれ違いがあったとしても、自分と他者が分離していれば、「へーこんなこと言うんだ。ちょっとコレコレ(なんらかの物理的問題)で困るなぁ」と、強い感情が挟まれる余地はなく終えられる。

◆「人は多様だ」と自分に言い聞かせている

近年、「多様性」「多様性」「多様性」とあらゆる場面でこの言葉を見聞きする。「その通りだ」「その通りだ」「その通りだ」と、私も返す。

でも、一番は自分に対して、「人は多様だ」と言い聞かせている。「自分とは違う生命体なんだ」と。
そうしなければ、自分自身が無用な傷をどんどん重ねてしまうから。
そして、私がもっとも嫌いな枠に他者をはめることにもつながりかねないから。

勝手に命名するが「同一化スイッチ」をOFFにすることにより、私は”多様な”人間が跋扈するこの社会で明らかに生きやすくなった。スイッチをOFFにすれば、自分と他者を「分離」できるようになってきた。今でも意識を集中させる必要はあるけれど。

◆同一化スイッチをOFFする虚しさ

楽にはなった。でも、時に、同一化スイッチに手をかけることに、虚しさを感じることもある。自分と他者は「同一ではない」「同一じゃないんだ」「絶対同一化はしないんだ」、それをことあるごとに自分に言い聞かせなければいけないから。

仕事ならば、いい。怒りをマネジメントできたり、変に期待してがっかりすることを防げたりする。距離感をちょうどよく保つことができる。

「自分と他者は違うものなんだ」とセッテイングされて生まれた人と、「自分と他者は違うものなんだ」と自分に言い続けて後天的にスイッチをOFFにできるようになった私。見た目も、アウトプットも、たぶん同じだ。
だから、同一化スイッチをOFFにできるようになり、私の問題はすべて解決されたように見える。

でも、私は、家族に対してもそのスイッチを押さなければいけない。恋愛相手に対しても、そう。どんなに好きな人に対しても、いや、好きな人に対してこそ、あえて、丁寧に、力を込めて、同一化をOFFにしなければいけない。

同一化スイッチをOFFにするたびに、虚しさを感じる。「私とあなたは別人なのだ」。少しずつ何かが自分に降り積もっていくように、重さが増していく気がしている。

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