見出し画像

成功する人には「仮決め力」がある

今日、宣伝会議主催の「編集・ライター養成講座」の無料セミナーに登壇してきた。その中で、「活躍するライターはどんな人か?」というテーマになった。

このセミナーは、ライターと編集者の掛け合いで進行していく。私は、ライターの立場で話をして、登壇相手は現代ビジネス・マネー現代の編集者・滝さんだった。

私は、活躍するライターについて、「専門性が比較的しっかりしていて、それを忘れない程度の頻度で発信していけるライターが成功するんじゃないか?」と、話をした。

続いて、滝さんが悩みながら言っていたことが、私のなかでヒットした。

「仮決めでも、自分の人生とか方向性を決められる人なんじゃないかな」

私も、今でこそ「教育ライター」と名乗っているが、当初は「教育」に絞るような肩書きにして仕事が減らないかな…という不安があった。
だから、「ひとまず名乗ってみよう」と仮決めした。仕事が減ったらまた、「なんでも書けます!」のライターに戻ればいいだけの話だ、と思った。(いまのところ、仕事は増えていっている。)

仮決めする力は何も、ライターだけに必要な素養ではなく、人生を自分らしく生きていく上で欠かせない力なのではないか…?と、いま電車のなかで思っている。
100%正解だという道は、いまの社会においてはおそらくない。どんなにもてはやされる企業に入っても、数年後にはなくなっているかもしれない。加えて、弁護士だって、医者だって、AIに代替される可能性があるといわれている時代だ。

そんな「読めない時代論」を展開すると、「じゃあ、なにをやっても意味ないじゃん」と、どうしてもいろいろなことに尻込みしそうになる。が、そうではない。
むしろ、仮決めして、どんどん何でもチャレンジしていけばいいのだと思う。

なにかを決めるということは、すごくパワーがあることだ。なぜならば、決めたことが知られると、周りの人が自然と支援をしてくれるからだ。
「教育関連でおもしろい媒体あったよ」
とか
「この前教育の企業の人と仕事したよ。紹介しようか?」
とか。

人間の大半は、人の役に立ちたいと思いながら生きている。その分量は人によって異なるけれど。虎視眈々と、人の役に立てる機会を伺っていると言っても過言ではない。
なにかを見える形で仮決めすると、周りにいる誰かの役に立ちたい欲、いわゆる「応援スイッチ」を押すんじゃないかと思う。

暫定的で、ぜんぜんいい。なんせ、仮決めだ。
モヤモヤして道が見えない人は、「私はこれをやります」と、仮決めして公表すると、霧が晴れていくのかもしれない。

<ツマミにこちらもどうぞ>
「ライターに向いているのはどんな人?」という質問に対して。
わけのわからない奴になれ。


いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。