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noteはライターのストレッチ

ライターという仕事をしていると、「この文体で書く」「あの取材対象者のテイストで書く」というように、文体を気にすることが多い。一番、それを意識したのは、梅沢富美男さんのインタビュー記事だ。テレビの中のヒール役(本当はとてもイイ方!)を残しつつ、どう描くか。テープ起こしは業者の方にしてもらったものの、音源を何度も聞いて、しゃべりのリズムを理解した。

私は直近のブックライティングで、80歳のおじいちゃんのものと、新進気鋭の開発者のものと、女性の著者が語る児童書、そして、教員向けの専門書寄りのものが進行していた。(いろいろスケジュールがずれ込んで、こんなことになってしまった…。)

「です、ます」で、矍鑠あふれるように書くもの。
「だ、である」で、カリスマ性を出すもの。
丁寧に丁寧に、子どもの思考がついてこられるように描くもの。
少し引いた視点で、事実を述べるもの。

同じ人間が、まっっったく違うテイストで書き分ける。これはどこまで可能なものなのだろうか。

実のところ、文体を意識しすぎて書き続けると、モゾモゾと苦しくなってしまうことがある。ライターのみなさん、この苦しみは私だけだろうか・・・?
その苦しみの表現は難しいが、ちょっと肩パットが合わないジャケットを着せられているようなイメージだ。
合わない靴を履いているよりは気にならないが、自分の楽チンなかっこうかといわれるとそうではない。

そして、最近発見したことがある。
それは、noteで自分の文体で文章を書くと、思い切り酸素を吸い込めるような感じがするということ。バランスが取れる。肩パットを外せる。

書きたいように書く、この感覚、私にとってはストレッチに近い。
noteは「ライターのストレッチ」そんなことを最近思って、自分のバランスを保つために、毎日開いてワーワー書いている。
(今日もストレッチにお付き合いいただき、ありがとうございました。)

<ツマミにこちらもどうぞ>
「ライターに向いているのはどんな人?」という質問に対して。
ライターの可能性を最大化させる「チーム制」をつくりたい

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。