きみには愛を〜母がうつになりまして〜

ドォン ドォン ドゴォン
壁を叩く音を聞くと、今でも体がこわばる。頬が動かない。張り付いた表情の自分に気がつく。

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「2019年いちばん嬉しかったことは?」と聞かれたら、迷わず答える。母の病が治ったことだ。

うつ病を発症した時、母は深夜になると部屋の壁を叩いた。拳で殴っているのか、額を打ちつけているのか。それはわからないし、わかりたくもない。
睡眠の問題は人を追いつめる。眠れない焦燥感と絶望。彼女は大きな感情に飲み込まれるようになった。

私は布団の中で、表情を失いながら壁を叩く音を聞いた。これは、母が壊れる音だ。

人間にとってもっとも大切なものは、勇気と優しさだと思う。自分の勇気と優しさを信じて、布団を出る。そして、母のいる隣の部屋に入り、「大丈夫、大丈夫」と抱きしめて背中をさすった。時には、眠るまで手を握る。
ひとは無力感とやりきれなさが膨張すると、次第に実像を失っていく。その時、私はただの願いを抱く空気だった。

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その道に詳しい方に相談をしながら、母を病院に連れて行った。病院には電話で私からできるだけ詳しい情報を話して、母の状況を受け止めて話を聞いてくださる先生でお願いします、と伝えた。
メンタルクリニックは医師によってはより一層患者を苦しめてしまうことがある、と聞いたことがあったから。これ以上、彼女を傷つけてはいけない。母のことを理解して、寄り添って、もっともよい治療を判断してくれる医師であることを願った。

初診の日、連れ立ってクリニックに向かった。たぶん母は自分の心の置かれている状況を理解すればするほど傷つくだろう。だから、なるべくトンチンカンな話をしながら電車に乗った。「おいしいもの食べて帰ってこようね」とか「平日の昼間は電車が空いているね」とか。
年配の女性の医師は凛としていて、母の言葉に丁寧に耳を傾けた。「そりゃ大変だったね」という友達のような相槌にも共感を持てた。

その日から、母の投薬治療と通院の日々が始まった。「眠れない」という状態は人をどこまでも追い詰める。その問題を解決できただけでも、母は少し落ち着いたように見えた。
とはいえ、私は注意深く彼女を見守り続けた。うつはすぐによくなるようなものではないし、「病気だ」と見られることも、「治った」と思われるのもしんどい。だから、慎重に、視線を感じさせない程度に、確認し続けた。

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そんな母は旅行先では全てを忘れられるようだった。うつの中には、環境を変えるのがよくないというケースもある。だから、医師に確認をして「一人では行かせないように」という言葉を守り、さまざまな場所へ一緒に出かけていった。
「月一母旅」は我が家の恒例となっていった。

あるとき、飲み会で「ともさん、お母さんと一緒の旅行の投稿すごくいいよね。私は母が健康な時に旅行に連れていったりしてあげられないまま介護になっちゃったから、いいなぁと思ったの」と声をかけられた。
私は「投稿でしんどい思いをさせていないですか?」と尋ねた。
「ぜんぜん。むしろ元気になるんだよ」
そんな言葉に涙があふれて、白ワインで流しこんだ。

よく事情を知っている人に傷つけられることもあれば、なにも知らない人に優しさを分けてもらえることもあった。

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飲み薬は、2錠が1錠になり、そして半錠となった。「よかったね」とさりげない雰囲気を装って声をかけた。同時に「すぐ治るなんて思うな」と自分に言い聞かせた。治らないことに私ががっかりしたら、母はもっと気を落とす。だから、なるべく気のないそぶりで話を聞いた。

そして、2019年末に「先生に薬を飲まなくていいと言われた」と母は嬉しそうに報告をしてくれた。ほどなくして、通院も不要となった。その日、私たちはささやかな乾杯をした。「これでおわり」ではないだろう。でも、大きな前進であることはたしかだ。

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あの頃。家に帰る坂道を、「なんで自分にこんなことが起こるんだろう」と泣きながら登った。消化できない感情を抱えている自分を許してあげることもなかなかできなかった。近くにいてくれた友人にも愚痴を漏らした。支えてくれた人がいたから、私も逃げ出さずにいられたのだと思う。
一方で、苦しい状況からは逃げていい。家族の問題からだって逃げたっていいと思う。でも、私は逃げないと決められた。

母が病を抱えていた時に、一人だけ「佐藤さん大丈夫ですか?」と声をかけてきた男の子がいたという。外では誰にも不調を気づかれなかった母は驚いた。話を聞くと、その男の子のお母さんもやはりうつ病を患っていたのだった。

少し皮肉な言い方だが、30うん歳まで生きてくれば、過去の経験を「学び」として捉えることで今の自己を肯定できると知っている。過去はいずれ融解していく。溶けた記憶が自身の血肉になったのだと思うことで、当時の自分の感情を埋葬できる。それは人間が生きるためにしがみついた願いのようなロジックだと思う。

だけど、それでも、願わずにはいられない。
私はきっと母との関係性の中で勇気と優しさを拡張することができたのだ、と。母の異変に気づいた男の子のように、ひとの笑顔や強さの裏側には多彩な物語があると思いを馳せられるようになったのだ、と。

母には幸せになってほしい。私も幸せになる。究極的には、ひとは誰かを幸せにすることはできない。できることは、その人が幸せだと思えるようなきっかけをクッキーの破片を落とかのように散りばめていくことだけだ。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」、この一節が好きだ。完璧な幸せは存在しない。でも、どんな時だって、完璧な絶望も、ない。だから、きっと大丈夫です。母も、私も、あなたも。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。