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【小説】 恩贈り #3

◆◆前回までのストーリー◆◆
父親を亡くした手島一也は、十五年ぶりに北海道の田舎への帰郷を決めた。教師であった父親の葬儀には、多くの教え子が詰めかけた。家に帰らず、帰っても自分に背中ばかりを向けてきた父親。なぜ、こんなにも多くの人が名残を惜しむのか。葬儀の翌日、一也は父を慕う卒業生たちに誘われる。そこで、二十八年前に起こった列車脱線事故の話を耳にする……。

「手島先生は授業でいつも、『自分の頭で考えろ』と言っていました。『歴史は、時代の常識は変わるといるということを学ぶ教科だ。自分の頭で考えれば、どんな社会であっても、本当にすべきことに辿りつける』。先生には、そんなふうに言われていました。だから、事故の時に僕らは動けなかったんです」

 役場で働く田川が続けた。列車事故と、その教えがどう紐づくのか。言葉の意味を計り兼ね、曖昧に頷いた。

 教壇に立ちながら父が、生徒たちへ熱く思いを伝えている姿を想像することはできなかった。息子の自分に対し、そんな歴史観を述べたことは一度もない。

「歴史という教科をそんなふうに捉えたことはなかったです」
そんなつぶやきに、卒業生たちは顔を見合わせた。
ただただ、父の真逆をいくように理系の道を歩んだ。
 父に対し、丸暗記科目の授業を教えて何が楽しいのだ、と中傷的な気持ちを抱いたことも一度や二度ではない。理系に進み、ITという分野を選んだ自分は、父よりもずっと社会に役立つ立場に立ったのだと思い続けてきた。

 二十八年前、田川をはじめとするその場にいた手島クラスの8人は、まさに自分の頭で考えて、行動した。列車事故に腰を抜かしてうずくまったお年寄りに手を貸して、安全な場所まで連れていった。転倒したはずみで落とした荷物も探して手渡し、駅員が持ってきた毛布を配って歩いた。

 既に学校で卒業式の準備を進めていた父は、ほどなくして列車事故の連絡を受けた。高校生の中に死傷者はいなかったという情報を耳にし、安堵する。それを裏付けるように、他のクラスの生徒たちは卒業式に間に合うように歩いて学校までやってきていた。
 しかし、自分のクラスの生徒だけがいっこうに現れない。携帯電話などない時代だ。何度もラジオのニュースを聞き返し、警察にも連絡したが、クラスの8名の所在はわからなかった。
 不安にかられ、校舎の前に飛び出した。しかし、ただただ白い平野だけが広がっている……何も見えるはずなどなかった。

 仕方なく、卒業式は手島クラスの8名を除いて行われることになった。
 式は粛々と進み、最後に生徒たちが教室に戻った頃、手島クラスの8人が学校にたどり着いた。「私たちの姿を見た手島先生の顔、忘れられないよね」、そうふくよかな体を乗り出して河合が言った。

 田口もその言葉に大きく頷く。

「どれだけ心配していたのか、先生の顔を見て気づきました。こっちは事故を体験して、興奮状態で、身体を必死に動かしていたのでクタクタで……先生の気持ちまで考えられていなかった。うわ、まずい! 叱られるかも!と、正直思ったな」

 「ビンタされるかと思ったよね」と、いうものさえいた。しかし、父の行動は違った。8人の生徒の前で「卒業式をするぞ、並びなさい」と言ったのだ。汚れた制服や先に到着した生徒たちの話で、8人が被害にあった乗客を手助けしている、ということを父は知っていた。

 その後、たった8人の卒業式が行われた。一人ひとりの名前を呼び上げて、その一人ひとりにクラスの生徒から拍手が送られた。

「手島先生は手渡しで8人に卒業証書を渡してくれました。そして、『自分たちの頭で考えられるようになった君たちを誇りに思う。これまでは私が君たちに教えてきたけれど、今日、君たちに教えられた』って言ってくれました。
先生と本当にお別れなんだなと、その時卒業を本当に実感したんです」

 「自分たちだけのための卒業式」は生徒たちの心に深く刻まれた。そして、きっと父の心にも。
その日、父は何を思って帰宅したのだろう。旅発つ卒業生たちを見送って。その出来事を、その思いを、母や私に少しでも話したのだろうか。本当の意味で巣立っていった教え子の姿をどう噛み締めたのだろう。
父の気持ちを、もはやだれにも尋ねることはできない。二十八年前の8人だけの卒業式。初めて、父に尋ねたいことが生まれた気がした。 <つづく>

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