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本当に求めているもの?

すっからかんのトイレットペーパーの棚。早朝、マスクを求めてドラッグストアに並ぶ人の行列。ひとつの光景が、また同じ光景を生む。ハムスターがカタカタカタカと回し車のなかで走り続けている。集団心理は、同質の不安を次から次へと生み出し続ける。カタカタカタカタ。
回し車のなかにいる限り、不安の終わりは見えない。

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人は、なぜ買い占めてしまうのだろう?
スーパーのからの棚を眺めて唐突に思った。そして、この虚しさは、なんだ。
棚がガランガランだからではない。トイレットペーパーが買えなくて呆然としていたわけでもない。なんなら、「お尻がかぶれない葉っぱってどれかな?」と図鑑を開いたくらいだ。

買い占める人は、心底「マスクやトイレットペーパーがなくて困る!」という衝動から動いているのだろうか。メディアは買い占めをやめるように訴え、SNSには買い占める人への非難が飛び交う。どれももっともだ。
しかし、たぶんそれで買い占めがやむことはないんじゃないかな、とも思う。

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空っぽの棚を見て感じた虚しさを私はしばらくの間、ラクダのように反芻した。いわゆる「非常時」は、他者や自分の感情と価値観に気づく機会となる。

買い占めの心の奥底にあるものは、「誰も自分のことなんて助けてくれない」ではないではないだろうか。「自分の身は自分で守れ」、そんな自己責任の呪いがトイレットペーパーの棚の向こう側に見え隠れした。

無理もない。私たちは隣の人と競い合い、少しでも社会的に得ができるようにと教えられてきた。1円でも得ができるように。1つでも高い評価が得られるように。
しかし、その一方で、隣の人と助け合う方法を学ぶことができなかった。だから、「誰も自分のことなんて助けてくれない」と、恐怖で震える。必死になって、トイレットペーパーを溜め込もうとする。

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買い占める人たちの中に、「自分以外死んだっていい」なんて思っている人は誰もいないだろうと思う。だって、この人たちが本質的に求めているのは「困ったことがあったら支え合えるんだ」という安心感だから。むしろ他者を排除したいのではなく、他者を必要としている。

それなのに、今、真逆の行動を取ってしまう。
欲しているのは、5年分のマスクでも、いくらお尻を拭いてもなくならないトイレットペーパーでもなくて、「何かあったら助け合える」という包含の感覚だ。

こんなことを言えば、「自分の身を自分で守らないでどうする!」という怒号が聞こえそうだ。…でも、「助け合おう」は依存心なんだろうか。「助け合える」というのは、人間という生き物への心からの信頼だと思うのだが。

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もうひとつ。先日、「コロナの影響もあり出版市場も冷え込む」という話を聞いた。ほんとうだろうか? 
実は今日、書店に行ったら人が溢れていた。街は閑散としているのに、書店には人がいる。家の中にこもりながら、本を通じてでも人とつながりたいと多くの人が求めているのではないだろうか。

東日本大震災の時、物資が少しずつ行き渡り最低限の生活が営めるようになると、人々は続いて本を求めたという。生活を守るために、と心が硬くなるのはひどく苦しいことだ。ひとりひとりのその苦しさは社会の閉塞感にもつながっていく。それをほぐすのは、人であり、本であるのではないだろうか。

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在宅勤務が広がり、多くの人がより「孤立化」している。
孤立は不安を呼ぶ。もし不安になったならば、その不安の正体を見極めたい。「本当に求めているもの」はなんだろう。社会を批判しても、いくら買いだめても、心が晴れないのはどうしてだろう。
自分の心が求めているものが見えたら、少しだけ世界が変わって見えるかもしれない。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。