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花曇りの午後に

#600文字のスケッチ
自分や身近な人のエピソードを掌編小説のように約600文字で書くシリーズです。

「この子、私以外だと泣きやまないんです」

カナコさんはベビーベッドで泣く赤ん坊を眺めてそう告げた。
カナコさんはとても疲れて見えた。

ベビーシッターとして訪問した私の本日の持ち時間は3時間。
お子様の体調、前回授乳した時刻、おむつを替えた時刻、散歩の希望などを聞き、時間内のすごし方を素早く脳内で組み立てる。

「お天気もいいし、少しお散歩してきますね」
ベビーカーの使い方をさっとチェックし、鍵を預かって外に出る。

桜が満開をすぎて面白いように降ってくる。
リリちゃんはベビーカーが動き出すと泣きやみ、シートベルトのミッフィー柄カバーをちゅぱちゅぱしながら眠りについた。

1時間後。
めざめたリリちゃんを連れて帰るとカナコさんがソファに斜めになりスイッチが切れたように眠っていた。

リビングのテーブルには難しそうな参考書が広がっている。
育休中に取らなくてはならない資格があるのだそうだ。

玄関の飾り棚には新郎新婦の写真立て。長い髪をアップにした花嫁の顔は誇らしく輝いてこの先の幸せを1ミリも疑うことがない。

「ママねんねだから、静かにあそぼうね」
リリちゃんにささやきかける。
リュックから取り出した柔らかなハンカチをひらめかせるとリリちゃんは目で追う。ハンカチで顔を隠し、いないいなばあをすると何度でも笑う。古典的だが本当に赤ちゃんはこの遊びを喜ぶ。

そろそろお腹が空くはずだけれどリリちゃんはごきげんで遊んでいる。

カナコさんはまだ起きない。
いいんだよ、いいんだよ。

ぐっすりお休み、カナコさん。


おしまいです。

あなたのサポート、愛をこめて受け取ります。