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「自分にないもの×性欲=恋愛感情」ならば、僕に恋愛はできないと思う

アセクシャル であっても、恋愛をあつかった小説や漫画、映画、ドラマを見て、恋愛感情が理解できるという人は少なくないらしい。
僕も恋愛小説や恋愛映画は嫌いじゃないし、それに出てくる登場人物たちの恋愛感情を想像することはできる。
恋愛感情を想像したり、理解したりすることができるからこそ、自分にそんな恋愛感情が起こらないということも、逆に理解できるというところもあるわけだ。

自分に恋愛感情が湧かない、あるいは湧きにくいということについて知りたいと思うこともあるし、他の人たちが恋愛に対してどんな悩みを持っているのか、その悩みと答えを知りたいという興味から、恋愛相談や恋愛に関する記事や本を読んでみることもよくある。
それで、先日たまたまcakesでこんな連載記事を見つけたので読んでみたら、これがけっこう面白い。

本の発売に合わせた無料連載記事で、最初の記事を読んで続きが気になったので本を買って読んでみることにした。

この著者の見解によれば、恋愛感情は「自分にないもの×性欲」の掛け合わせによって生まれるという。
自分が「ないものねだり」をしているものを他人に見つけると、それを魅力的に感じるというわけで、それに性欲が合わさったものが「恋愛感情」だというわけだ。
なので、著者はこうも言っていて……

自分に足りない内面をないものねだりしている人ほど惚れっぽく、ないものねだりしない人ほどあまり異性を好きにならない傾向にあります。

まあ、そりゃそうだ。

自分の内面で足りないものを知っていて、それが良くも悪くも自分だと考えてないものねだりをしていなければ、自分にないものを持っている人に強く惹かれることもない。
また、過去に与えられなかった愛情などを取り戻したいという欲望もないものねだりの一つと書かれているけれど、それも過去は過去と受け入れていれば、その過去に与えられなかったものに飢えることもない。

そして僕の中には、あまりそういう動機がないんだよなと思う。

性欲に関しても著者はこう言うけど……

顔、声、雰囲気に惹かれるのって、本能やから、ただの性欲やで?

あんまり、納得感がない。

顔や声や雰囲気の良し悪しって、文化的、時代的背景でずいぶん変わってくるわけで、それを本能と言い切ってしまうことに違和感を感じるのだけど、百歩譲って性欲だとしよう。
僕だって、可愛い女の子が好きに決まっている。
宮崎あおいやガッキーや石原さとみは可愛いと思うし、惹かれる。
写真家の青山裕企さんが撮る女の子のポートレートは好きで、タイプの女の子が写っていれば、それにも惹かれるし、なんなら性欲も感じる。
リアルでも女友達が可愛いなと思うこともあるし、カフェやコンビニの店員さんが可愛いと思うこともある。

でも、その「可愛い」「惹かれる」というのと、「キスしたい」「セックスしたい」ということの間には何か薄い膜のようなぼんやりとしているけど、はっきりと隔てるものがあって、直接つながる感じがしないのだ。
だから、可愛い、抱きたい、付き合いたい、とはどうやってもならない。

この本の結論としては、恋愛関係も人間関係のうちの一つであって、特別なものではない。
恋愛だからといって、その時だけ、その相手だけに特別なことをやろうとしても無理で、普通の人間関係の延長として信頼関係を結ぶことが重要だという。

至極まっとうな結論だと思う。

至極まっとうな当たり前の結論だからこそ、僕みたいな人間にはよくわからないのだけど、その信頼関係を恋愛にする特別な意味はどこにあるんだろう?
それって恋愛じゃなくても、よくない?
信頼関係を結べる相手が見つかったのなら、それを恋愛とする必要性がやはり僕には理解できないのだと思う。

けっきょくのところ、入口が違うのだ。
普通の人は「ないものねだり」と「性欲」で「恋」をして、その恋の相手と信頼関係を結ぶべく努力をして「愛」を育むから、「恋愛」になる。
僕はその「恋」という入口が見つけられない。
僕は「恋」で相手を選べない。

だとすると、信頼関係を結びたいと思える相手は「恋」以外の方法で探すしかなく、運よく相手が見つかって信頼関係を結べても、それは「恋愛」にはなり得ないわけだ。

ここまで書いてみて思ったのだけど、信頼関係を結びたいと思える相手を探すところが、まず課題かもしれない。
難しそうだけど。

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