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episode42 沈黙を呼ぶ出来事 前編


 東京に出て来て、「自分は俳優です」と名乗るようになって、一年が過ぎ、二年が過ぎた。

 俳優としての仕事は月に一本あるかないか。1シーンちらっと出るか、セリフがあればいい方で、受けるオーディションはことごとく落ち、まだまだ下積みの感は否めなかった。
 「どう、悟志。そろそろ荒波に漕ぎ出して
  みる?」
 事務所の近くの大戸屋という定食屋さんで二人で晩御飯を食べている時に、川口さんがふいにそう言った。見ると、大きめのカツを頬張りながらではあるけれど、いつになく真剣な眼差しをしていた。
 僕は一瞬ひるんだものの、
 「俺はもう…いつでも大丈夫ですよ」
 と答えた。
 大丈夫も何も、実際にはいつも本気を出していた。ただ、自分を慰めるために「まだ荒波に漕ぎ出すタイミングじゃないですから」と言い続けていたのだった。
 どうしても取りたいと思ったオーディションに落ちるたび、そのショックを和らげるために、臆病な心が次々に都合のいい言い訳を用意してくれていた。そして、そのことを自覚するたび、「これじゃいけない」と気持ちを引き締め直しては、また落ちた自分を慰めて、ということを繰り返していた。
 僕はもう、とっくの昔に荒波に飲まれていたのである。

 「わかった! じゃあ、攻めに出よう。俺も
  必死でいい仕事探してくる!」
 それから何日かして、なんとドラマの仕事が立て続けに2本決まった。
 「どっちも大きな役ではないけど、放送時間
  はゴールデンだし、人気のある2時間ドラ
  マシリーズだからさ」
 「ありがとうございます。 俺、頑張ります」
 この頃にはもうマツキヨでのバイトはやめて、浜松町にある輸入牛肉を扱う会社でアルバイトをしながら、日々、レッスンを受けたりオーディションを受けたりとしていた。
 こうして別々の仕事が月に2本同時に入ったのは、ほとんど初めてに近いことだった。
 
 浜松町の駅から少し歩いたところに作業員の詰所があり、そこで準備を整えたのち、湾岸にある冷凍倉庫群へと散らばって行く。現場へ向かうぎゅうぎゅうのワンボックスカーの中では誰も話さず、窓の外を見てるか、眠っている人がほとんどだった。
 このアルバイトを始めたのは、ひとえに日給が高いからだった。僕ら作業員はマイナス12度が保たれた冷凍庫の中にいて、その壁にちょうどトラックの荷台の大きさに合わせて取り付けられたシャッターがあり、外にトラックが着いた合図を受けてシャッターを上げると、そのままトラックの荷台へと連結される仕組みになっていた。
 その荷台にキンキンに冷えた15メーターほどのベルトコンベアを差し込み、冷凍牛肉が詰まってカチカチに凍った段ボール箱をベルトコンベアで後方へと送る。ポジションは交代制なものの、多くの場合、慣れた人がベルト先端の左右に一人ずつ、二人がかりでトラックの荷台に乗り込み、ベルトコンベアへと箱を降ろすパートにつく。そして僕のようなまだ慣れていない者がベルトの横にずらっと並び、ものすごいスピードで流れて来る箱をパレットと呼ばれる運搬用のトレイの上に並べていく作業を受け持った。

 凍った段ボールはひとつ40キロ以上のものが多く、運ぶというよりは「落とす」に近い。その一瞬の中で、パレットパターンと呼ばれる置き方のルールに則って箱を配置していく。途轍もない力仕事である反面、几帳面さと繊細な技術が求めれた。
 僕は学生時代に引っ越し屋さんのアルバイトを経験していた手前、力仕事には少し自信を持っていた。あまりにきつい作業に音を上げて辞めていく人を見送るたび、「やっぱり自分は向いているんだ」という思いを強めるようになった。
 そして、このアルバイトをやっていると、時折とても特別な瞬間があった。それは輸入元であるアメリカで、今僕らがやっている作業のちょうど逆の作業、冷凍牛肉をトラックに積む作業をやっている人たちからのメッセージが書かれたメモ書きが箱と箱の間に挟まって来ることだった。大概は短く一言、「日本のみんな、元気に頑張ってるか」とか「調子はどう」のようなことが多いのだけど、たまには「彼女に振られたんだ。どうしたら良い?」みたいな内容のあることが書かれていたりして、受け取る一方で返事ができないことにやきもきしたものだ。それでも、ただアルバイトをしてるだけなのに、海外に友人ができたような気がして、とても嬉しかった。

 そんなある日。この日は朝から冷たい雨が降っていた。

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いま一度、人生を振り返りました。こんなどうしようもないやつでも、俳優になり、そして仮面ライダーになることができたという道のりをありのまま書き記しています。 50日で完結するハッピーエンドです。 ぜひ最後まで読んでください✨