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#224 「目の見えない人は世界をどうみているのか」の1章を読んで道から自由という世界観を知った話

こんにちは!けーたです。

今日も「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の読書録です。一日の隙間時間を作り出してのコツコツ読書なので、今回は第1章だけですが。

この本を読み始めた読書録のnoteはこちら


〇第一章からの気づきと学び

・彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれない

衝撃だった学びは、何気なく道を歩いている状況において、目が見えるということは、目の前に広がっている「道」というものに無意識のうちに縛られているということに気づけたことです。

小さい頃から歩道を歩きなさい、大人になっても工場内では緑の歩行帯を歩きなさいなどルールは多く、そのラインなどがあると無意識的にその道を通るように体は反応し、道に縛られている。

一方、目が見えない方はその道を指し示す情報は何も視覚から入ってこない。

入ってくる情報は接地している地面との感覚からがメインになる。

それって道ということに縛られていない世界なんだと初めて捉えることができました。

見えないことにより見える世界の存在に気づける。これは本当に驚きでした。

・それ以外にも山ほど学びがザクザク

あまりも、自分にとっての新しい学びがあるので、書ききれないので、気になったことを示しておきます。

ピンときたら、きっとこの本との出会い時ですねw

・私たちはまっさらな目で対象をみるわけではありません。「過去に見たもの」を使って目の前の対象を見るのです。
・視覚の能力は思考法に影響を与える
・私が情報を使っているのか、情報が私を使っているのか
・全盲の人にとって、色を混ぜるのは、机といすを混ぜるような感じで、どうも納得がいかない
・視覚がないから死角がない

出典 目の見えない人は世界をどう見ているのか

〇まとめ

これまで出会ってきた本は、どこかで触れたことがある学びや体験を言語化されていて、納得し、自分の脳内の何かと結合しい新しい学びとして自分の脳にインプットされる。

イメージとては、読書により新しいレシピが増えるイメージでした。

ただし、今回の「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、これまでに出逢ったことがない新しい知識を学べる(仕入れる)機会が本当に多い。

ただし、その土台にあるのは、日常がベース。何も特殊性はない世界。

自分が見ている日常を違うフィルターを通してみるとまったく別の世界の存在に気づけるというもの。

わざわざ、料理を使って例えていることに、若干の遠回り感を感じながら例えると、まったく見たこともない食材を手に入れて、新しい料理の世界が開ける感じという読書体験です。

見えない事による世界の認知の仕方や、これまでと違った視点を得る読書体験をされたい方には是非この本はおススメです!

誰かの選書の参考になれば幸いです。

ではでは

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