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#223 「目の見えない人は世界をどうみているのか」の序章を読んで福祉的な行動より興味を持つ意味の話

こんにちは!けーたです。

今日は、「目の見えない世界をどう見ているのか」の序章を読みましたので、気づきなどをnoteに残しておきます。


〇どうしてこの本を手に取った?

この本の存在は知っていました。自分が毎日聴いている荒木マスターのVoicyで語られていた内容が脳の奥に引っかかっていました。

それから、3年以上自分の脳内で温められており、先週末にとうとう本を手に取りました!

存在を知って、本を手に取り読むまでの時間の長さ(3年)を許容できるところも「本」の良い所の一つだなとしみじみ感じます。

最近はTverなど見逃し配信などの動画が登場してきますが、歴史の風雪に耐えた本が本屋さんの棚に残り続ける。

そして、耐え抜いて来た本と出会うことにより、また新しい世界の扉が開かれる。後世につなぎたい素敵な体験ですね。

なんだか、語っていますが、わたくし、この本をまだ序章しか読んでいません笑 しかし、既にめちゃくちゃいいのです!!

激推しです!!

〇新しい気づき達

・見えない事と目をつぶる事は全く違う

わかる。確かに見えない事と目をつぶる事は全く違うのは肌感でわかる。ただ、自分の言葉を使って二つの差分を言語するのは私には難しい。

この本では、このように説明されていてスッキリしました。

目が見える人が目をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如です。
「見えている状態を基準として、そこから視覚情報をひいた状態」ではありません。
視覚情報なしで成立している状態です。
それは、4脚の椅子と、3脚の椅子の違いのようなものです。

出典 目の見えない人はどのように世界を見ているのか P30

もともと、3脚で設計された世界と4脚マイナス1脚の3脚の世界の違い。

凄くわかりやすく、目が見えない事で私たちには見えない世界が見えていることに気づきました。

見えない事がかわいそうと思う自分のバイアスも同様に気づけました。

・情報ベースと意味ベース

この二つの言葉をつかって、障害をもっている方へのかかわり方について説明されております。

・情報ベースの関わりとは、乱暴に図式化してしまえば、それは福祉的な関係です。見える人が、見えない人に必要な情報を与えサポートしてあげる。
見える人が見えない人を助けるという関係がこの福祉的な発想の根本にある
・意味ベースの関りとは、意味に関しては、見える人と見えない人のあいだに差異はあっても優劣はありません。
見えないからこその意味の生れ方もあるし、時にはみえないという不自由さを逆手に取るような痛快な意味に出会う事もあります。
そしてその意味は、言葉でシェアすることができます。そこに生まれるのは台頭で、かつ差異を面白がる関係です。

自分は身内には意味ベースで踏み込むも、日常にそのような環境があるけれども、普段接しない人には、情報ベースのかかわりをとっているなと気づきました。

〇まとめ

自分が生きている「環世界」を越境して、他の生き物の環世界を知ろうとする。無理かもしれないけど、まずは興味を持ってみる。

いつも自分がある状態を基準にして、足りない部分を福祉的な関係を無意識的にでもとってしまう。

まずは、いい悪いではなく、そういう状態になりやすい社会構造にいることをメタ認知して、福祉的な関係を造るのではなく、違う環世界が存在し、そこに興味を持ってみる。

それが第一歩であり、大きな一歩なのかなと感じました。

ただ、本当に踏み込んでよい一歩なのかはまだまだ躊躇しているので明日以降も読み進めて自分自身のモノの考え方、見え方をアップデートかけていきたいと思います。

だれかの選書の参考になれば幸いです。

ではでは

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