ショートの物語─仲違い

幸せは空気に似ている。

目に見えないところとか、それでもいつでも近くにあるところとか。死んだらもう必要ないところとか。 終業のベルの音で目覚めた。

すでにホームルームも終わって、教室には誰もいない。

窓から吹いてきた風が前髪を揺らした。港町特有の磯臭い潮風におでこをくすぐられた。

校舎の中庭から、青春の声が聞こえる。

フットサルが二試合くらいできる中庭では、昼休みなると学生たちがお弁当を持ち寄って食べる。各学年の色んなグループが仲間内のギャグを笑い飛ばして食べている。その騒がしさは教室のあたしの席まで届いてくる。

たまに、ほんとにたまにだけど奇跡的に面白いギャグが聞こえてくる。その度に眉間に力を入れて、頬の筋肉を固定して、無表情でお弁当に箸を伸ばす。

中庭で友達と昼食。

言葉にすれば魅力的だ。でも実際はそうじゃない。友人関係を構築しながらの食事なんて疲れる。

別に羨ましくない。

そんなこと思っていたら、今の自分が辛いみたいになる。教室で安心してお昼ご飯を食べられる。一畳でも居場所があることは幸せなんだ。

人は多くのことを願ってはいけない。人間の欲は限りがない。無欲な人ほど幸せになれる。

それに小学校の先生も「ながら勉強はするな」とよく言っていた。友達作りだって、きっと同じだ。

机から椅子を持ってきて、白い木綿のカーテンの内側に置いた。窓枠に頬杖をついて、青春さん達がバレーボールで遊ぶ姿を眺めた。一回、二回と掛け声と合わせてボールが弧を描く。三回、四回と笑い声が聞こえた。

『あたしの中にもああした青春さんがいるなら、もう少し健康に高校生活を過ごせたのかな』と思っていると、10回目で松ちゃんがボールを見失っていた。

どうやら、こちらの存在に気付いたみたいだった。松ちゃんはバレないようにチラチラとあたしの様子を伺っていた。

でもバレバレだった。 

「松ちゃん、見すぎだって」

松ちゃんは中学の友達。よく授業をサボってラグビー部の筋トレルームで煙草を吸っている。

本人はそれがカッコイイと思っているけれど、煙を口に含めるだけのダサい吸い方しかできない。

松ちゃんは、女の癖に身長が高くて、声も低い、前髪も大胆にかきあげているから清潔感もヤバい。おまけに腹筋も割れているせいで女子から「男子よりもイケメン」とか言われている。今日も取り巻きの純情少女と青春ごっこに励んでいる。

「色んな人のご機嫌をとって松ちゃんも大変だねぇ」

彼女の胸元に目をやる。胸は窮屈そうに押しつぶされていた。

「どんだけ強いゴムを使ったんだよ」

中学時代は、そのデケェ胸とノッポの体型せいで男子にいじめられていた。体育の時間になると、『鬱だよ、軽く死ねちゃい』と泣きついてきた。

もしあたしがアイドルのプロデューサーなら松ちゃんはイケメン路線じゃなくて可愛い路線でデビューさせてる。

彼女の髪が短いのは、くせっ毛を隠す為だし、笑顔を見せないのも歯の矯正をしているからだ。そのギャップ萌えを全面に推していく。

趣味はマスキングテープ集めだし、ネット番組の恋愛リアリティだって興味津々で見ている。彼女のお弁当に入ってるタコさんウインナーは、よく見れば黒ゴマで目だって作られている。

でも取り巻きの女子はその事に気づいてないだろう。だから松ちゃんから堅苦しい表情しか向けられない。

喋ったこともない女子たちに、腹を立てている自分に気づいた。それは松ちゃんへの解釈に不満があったわけじゃない。

彼女の隣にいて、同じ空気を吸っていることへの嫉妬だと、分かっている。

高校生になってから、人といくら親しくなってもその人にとっては人生の中で2番目とか3番目とか4番目とか重要な人間にしかなれないような気がした。決して、1番目になれない。

一年前の夏。あたし少女漫画の最終巻みたいな夏にハッピーエンドを迎えるはずだった。彼女の手を引いて、閉じ込められた世界から連れ出す。それだけで世界は救われた。エンドロールは君とあたしの二人だけで終わるはずだった。

しかし弱いあたしは彼女を救えなかった。そして私たちの物語はバットエンドで幕を閉じた。

それなのにあたしはその物語から卒業できていない。エンドロールが流れ終わった映画館で一人だけ座席から立ち上がれないでいる。

周りの人間は満足した様子で出口に向かうのに、その結末に満足できなくて真っ暗な上映室に今も一人で座っている。

ずっとここで待っていれば、続編が流れるんじゃないかと有り得もしない微かな希望に望みをかけている。

もし、こうやって苦しむあたしの目の前に、彼女が姿を現して、静かに微笑んでくれたら、それだけでハッピーエンドを迎えられるのに。

「松ちゃん、人称をボクから私に変えた時の心拍数エグかっただろうな」

窓から白い花びらが吹き込んできて、おでこに落ちた。それを指で拾った。

桜の花びらだった。もう5月というのに、よく生き延びていたなと思った。

花びらを握りしめて宙に放り投げた。だけど風に吹き戻されて、足元に落ちた。くしゃくしゃになった花びらと目が合った。

風は朝よりいくらか強さを増していた。太平洋沖で発生した台風の影響で沿岸部を中心に風が強くなるとお天気お姉さんが真剣な顔で言っていたことを思い出した。

吹奏楽部の練習の音。

男女から零れる笑い声。

運動部たちの掛け声。

そんな音を聞いていると、本当に時々だけど、息苦しくなるような悲しみに襲われる。

なんだか世界に剥き出しになっているようで落ち着かなくなる。

あたしは、イヤホンで耳を塞いだ。

Aメロが流れて、歌詞が流れる。

初音ミク『メルト』

この曲を聴くと、たまに訪れる朝の爽やかな気分にさせてくれる。

でも最近は『負けたな』と思うことが増えた。ミクが歌う物語の主人公に自分は決してなれなくて、それが自分に成しえない青春だと気づいてから『メルト』を聴くと身が悶えるようになった。

今の自分がいちばん若く、気力が充実して、ひとまずは健康だけど、何も行動に起こさない。こうしてひとりぼっちでただ風に当たっていると、何か取り返しのつかないものが虚無へと垂れ流され、未来の自分が痩せ細っていくのを感じる。

小説には起承転結があって、感情の爆発があって、結末がある。でもあたしの日常はいつまでもいつまでも薄らぼんやりした不安に満たされているだけ。 空っぽ、何もないんだ。

休み時間の教室でリプトンのレモンティーにストローを挿して飲んだり、部活帰りにコンビニでカップ麺にお湯を注いだり、自由に開かれた中庭でバレーボールをしたり、そういったことを容易にやってのける青春の姿に憧れているのに、漠然とした憧憬や畏敬の念を抱いたまま動けずにいるんだ。

教室を出て、鼻唄を口ずんだ。スキップもしてやる。そしたらテンションは嫌でもアガる。高音になると目を細めて喉の筋を懸命に伸ばした。自分が音痴なのを自覚したの『ルカルカ★ナイトフィーバー』の歌ってみたを投稿した中2の夏だった。

物静かな廊下をスキップで掛けていく。

階段を降りながらクルクルと回ってみた。

スカートが傘のようにふわっと膨らんだ。

その姿は踊り場に貼られた鏡に映っていた。

アニメのオープニングのワンシーンに使えるなと見蕩れていると階段を踏み外したことに気付いた。バランスを崩したあたしの体は重力に逆らえず、そのまま転げ落ちていった。

段差の角に内ももをぶつけ、耳の奥で大きな音が鳴った。全身が燃えるように熱くなって、その後に鋭い痛みに襲われた。

死んだと思った。でも走馬灯なんてものはなかった。それはあたしが自分の人生に何の意味も付与できなかったせいだと思った。

神様はいないけど、居るということにした方が何かと都合がいい。想像上の秩序は社会を維持するのに都合がいい。良い生活ができる。

しかし勘違いしちゃいけない。神様は平等に人を愛していない。

人生にこれ以上の進展が起きないことに気付いてから、アニメの最終回が観れなくなった。

辛うじて観れたのは、終わりを感じさせない日常系アニメだった。

ゆるゆりとか、ゆゆ式とか、きんモザとか、幼い女の子しか出てこないほのぼの系は、ショートストーリー仕立てで確たる信念や哲学なんてなかった。

観るにあたって、何も考えなくていいし、何も構えなくてよかった。ただリラックスして見流していればいい。

しかし時どき彼女らを観ていて思うことがあった。

こういう平熱な日々を彼女らはいつか慈しむ日が来るのを知っていて、ただ知らないふりをして青春を駆け抜けているだけじゃないか、って。

明滅する光を瞼越しに感じた。フローリングの冷たさを頬に感じる。

全身が痛かった。でも痛いということはまだあたしは生きていた。

しばらくその場から動けなくて、小窓から差し込む陽射しにフツフツとキラめく埃の粒を見つめた。右手を目の前に広げ、そこに何かしらの暗示を見出そうと努めてみた。しかし手のひらには、いつもと同じ何本かのシワが刻まれるだけだった。

放課後の人気のない階段では、不自由さと奥ゆかしさを撫でるように、何度も潮風は姿を変えてあたしの髪を揺らした。

誰が階段を駆け上がる音が聞こえてきた。

『どうか彼女ではありませんように』とあたしは床に寝そべりながら音の持ち主を待つ。


その間、窓から見える雲を見つめた。

東の空には、雲が行く宛てのない旅人のように漂っていた。そこには無機質な空がるだけなのに、なぜかそれはあたしを安心させてくれた。


𝑒𝑛𝑑

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