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エッセイ ─ メンズメイクとワシ

人生で初めてメイク。真っ赤の唇、うさぎみたいな赤い目元、フェイスファンデーションとBBクリームで肌を整えたら、ざっくりこんなもんよ。

ワンチュ、ワンチュ、⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン

BBクリームの万能感に若干チビりましたわ。自分がメイクして改めて思ったけど、スッピンとメイクの顔って全然べつモノなんですね。近頃、ネット上に美人が増えたなぁって思ってたんですけど、もしかしてあの人は全部ワシと大差ない顔をしてるんじゃないかって疑心暗鬼になります。

昨年の9月から12月まで友達の実家で居候してたんですけど、そん時に友達の妹ちゃんに『ネットの顔は信じれへん』って愚痴ったんです。『現実と乖離した顔を自分と言い張る奴ら多すぎやろ』ってね。

そしたら『バリバリにメイクした自分とすっぴんの自分は別人だし、自撮りとかどれだけ元の自分から遠ざけるか勝負なんよ。あんま加工やんなかったら、それこそ舐められるわ』と言われたんですね。

彼女らにとって、現実の顔とSNSの顔は別物で、そこにどれだけのギャップがあろうが構わないんです。もう成人式のヤンキーみたいな意気込み、なんですわ。そもそもメイクの起源ってなんやろうってを調べてみたら、どうやら魔除けみたいで、古代エジプトのクレオパトラの時代に(紀元前一世紀)、ラピスラズリ(濃紺色)やマカライト(深緑)などの宝石を砕いて、アイシャドウとして目尻を真っ赤に塗っていたそうです。

メイクってものが、自分の守るために使用していたのは興味深いです。現代の人たちも、メイクは美を飾るものだけど同時に他人の視線から自分を守るものでもあると思うんです。顔面ニキビだらけでマックのポテトを大量に注文している姿を、イケイケの大学生集団に見られたら『そんなもんばっか食ってるからニキビができんだよ、ブス』って思われそうじゃないですか。実際は友達と一緒に食べるために買ってるのに、顔面だけで『マックのポテトばかり食う不摂生なニキビ面野郎』と定義されちゃんです。どれだけ自分が聖人君子で、食生活に気を使っていて、綺麗好きな自分が素の姿でも、他人の目に移った自分に支配されちゃんです。

メイクってのはそういった『自分が定義する自分自身の姿』を他人に支配されないためにもやった方がいいのかなって思うわけですよ。少なくとも僕の中には他人様にお披露目できるような素の自分みたいなものはなくて、しんどい思いをしないと人前に見せれる自分にはなれないんです、きっと多くの人がそうやと思います。

だからメイクはそういったしんどい思いを幾らか楽にしてくれそうです。バリバリにメイクを決めて、もはや自分とは言えない顔になれば、どれだけ他人の視線に晒されても素の自分は傷つかないし、こちらも他人と心地よく接することができる。妹ちゃんが言ってた『舐められる』とか『本当の自分から遠ざける』とかの意味が少し分かったような気がします。

コロナが落ち着いて、マスクを外すようになったら、メイクは男子にも需要がありそうな気がします。美容業界もこのビックウェーブに乗らないわけないです。しかし結局のところ何が一番怖いってニキビじゃなくて他人の視線なんですよね。綺麗になりたいってより、取り残されないために、僕たち男子はメイクをするようになるんです。停滞しているのは後退しているのと同じで、どんどんどんどん周りの肌がきれいになるから、当然偏差値も上がるわけです。僕たちは偏差値50を目指して頑張るんです。他人から注目されない様にメイクするんです。

もしかしたらクレオパトラも魔除けとしてではなくて、実は民衆の視線から自分を守るために気合い入れてアイシャドウを塗っていたんじゃないかって思うんです。弱冠18歳で女王として民のために生きなければならず、ローマからの脅威を感じつつ、常に人々から品定めの視線に晒され続けたら、そりゃ病みますよ、目尻だって真っ赤に染めちゃいますよ。

ホント、人類に視覚なんて可笑しな機能がなければ世界平和も夢じゃないのに。。。




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