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『寄生獣』が教えてくたもの。「母」という存在。

今日は僕の好きな漫画について書いてみます。

『寄生獣』という漫画です。

超有名な漫画ですね。日本中の誰もが知っている本ですね。え?知らない?うん、今すぐ読みましょう。名作です。素晴らしい作品です。映画とかアニメもありますが、ぜひ原作の漫画を読んでください。

僕はこの本を二十歳の頃に読みました。きっかけは忘れました。実は、この本を僕が中学生のときから勧めてくれていた友人(岩田くん)がいました。僕は8年もの間、彼の勧めをスルーしてたわけですが、二十歳になって読んであまりにも面白くて、その後、岩田くんには謝りました。

主人公の右手に寄生したミギーが「大学受験?あんなのただの暗号の一種だろ?」と言ってるのをみて、大学生だった僕は自分の常識がぐるんとひっくり返りました。

寄生生物からみる人間社会や、人間という生き物。そこでは自分が常識と思っていたり、当たり前だと思っていたことが、まったく違う視点から語られ、まったく違う解釈が与えられ、当時の僕の心は揺れに揺れた。すごく揺さぶられました。

中でも忘れられないのは、主人公の新一とお母さんの関係。そしてそこに関わる、人間の子を身ごもり、人の母になった寄生生物の田村玲子。この3人が語りかけてくる「母」というものに、僕は毎回、涙しました。

母の右手にある火傷のあと、自分を救ってくれた母の記憶、母との別れ、母にあけられた胸の傷、そして、実験でしかなかった子育てが田村玲子という寄生生物にもたらした人の心、命をたてにして子を守る姿、強くてかよわい生き物、笑うということ。

8巻の公園での一幕、新一のところにやってきた田村玲子が、警察の発砲から自らの身を挺して我が子を守り、新一を引き止めるために、新一の母の姿になって歩いていく。逃げるのをやめた新一の前で、田村玲子は自分の胸の内を語り、最後に子どもを新一に託して絶命する。最後のセリフ「この前、鏡の前で人間の真似をして大声で笑ってみた。なかなか気持ちがよかったぞ。」決して理解し合うのことなかった断裂が、優しく解けていく。

公園に鳴り響く子どもの泣き声。「おまえ悲しいのか?そうだよなぁ。おまえの母さん死んじゃったもんなぁ」

思い出される母の記憶、火傷のあと、玄関が開いて「ただいま」と微笑む母の姿に「おかえり」と答える新一。

ずっと流すことの出来なかった涙が。

僕はこの8巻に集約される物語を、一生忘れないでしょう。

残酷なシーンが多々あり、すべての人が読める作品ではないけれども、その中に脈々と描かれている人の心の深さ、命の尊さ、母という存在に、僕は読む度に胸を、心を、打たれます。

『寄生獣』は、僕の人生と、共にある作品です。

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