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責任と思いやり

「1番大事なのは人として、ごく普通の思いやり」だよねってお話です。自分の反省と気付きを紹介します。

始末書
かつて僕は、主に物販を取り扱う全国チェーンのお店で働いていました。いわゆるサラリーマン店長です。何種類か書いた始末書の一つに「遅延オープン」というものがありました。「開店時間に店を開けられなかった」というやつです。15分程度です(言い訳。短ければいいわけではない)

始末書のおまけ
始末書・減給・お叱りは無事に(笑)済んだのですが、これにおまけがつきました。当日のお客さんからの苦情です。ただ、その苦情内容は、遅延自体に対するものではありませんでした。

お客さんの苦情内容
「時間通りに開いてなかった。時間になって従業員がやってきたのでトイレを貸してほしいと頼んだが断られた」というものです。
その苦情を受けた時は最初、そんな理不尽な!と思いました。

トイレを貸してください
当日の現場は、誰が見ても一目瞭然。遅刻です。待っているお客さんには「すみません少しだけ待ってください」と平謝りしかありません。

その時考えていたことは、「責任者としてやらかしてしまった」「店を開けなかったのでお客さんに不便をかけてしまった」「早く開けなければ」「二次災害は起こさないようにしなきゃ」「叱られる・責任とらされる」「ツイてない」といったことでした。

そうです。目の前のリアルな「人」への思いやりが一切ありませんでした。「お客さんに迷惑」というくだりも「店を開けられなかったマズい」の言い(思い)回しに過ぎません。

反省と気付き
お客さんにそういわれて、浮かんだ考えは「(申し訳ない、すぐ開店しなきゃ)」でした。いま会社員としてできることは、ミスのフォローを速やかに行うことだからです。「お客さんのために、早く店を開けるんだ」という無意識の自己欺瞞(わかっていながら自分を正当化する)が頭を占めていました。

当然、答えは「申し訳ありません、ちょっとだけお待ち下さい」となります。自分のすぐ後ろに解決手段があり、それに困っている人を目の前にしてです。会社員以前に、一人の人間ということを完全に忘れていました。当時の自分はサラリーマンであっても人間ではなかったのです。

僕の判断は、人間として間違っていたわけです。もっとも、人間じゃなかった過去の自分を責めるつもりはありません。こうした反省や気付きが得られるだけ、最近では人間らしくなってきました(笑)

責任転嫁
思いっきり責任転嫁してみます。この事件、悪いのは会社であり上司です。僕に責任はありません!

僕はその苦情について叱られました。「お客様の気持ちが~とか、立場になって~」とか。でも責任転嫁します。僕がその会社で学んだのは、売上目標の立て方や人件費管理。店舗管理の責任や業務ばかりです。もちろん表面的な接客やらは学びました。でも、根本的に自分の店がどう、社会・お客さんの役に立っているか、存在にどういう意味があるのかについては学んでいません。僕は真面目な方なので、教えられたら飲み込みもいいほうだと思います。責任感も人並みにあります。自分なりに、会社の教えを受けた結果がコレです。上司が悪い(笑)

でも、問題点は別
会社批判ではありません。会社のやりか教え方に沿って店を運営した結果、苦情がきたら処理するのが店舗責任者の仕事です。もちろん中には「会社のやり方ではダメだ」と察する賢い店長もいました。独自にお客様ファストの姿勢で店を営業している者もいました(素晴らしいことですが、これではチェーン店の意味がないですし、上司の無能さを表しています)
話が逸れました。

責任と思いやりどっちが・・・
結局、1番の問題点は「会社の常識」を疑うことができなかった自分の未熟さです。いちばん大事なものはなにか。会社はわかっていませんでした。でも、自分はそうでないことを無意識では知っていました。愚かだったのは会社ではなく、気づくことも・疑うこともできなかった真面目バカの自分だったのです。

この始末書を書いたのはかれこれ、5年ほど前になります。責任より大事なものがあると悟ったのは会社を辞めてから。
わかるの遅っ。
そして、早く人間になりた~い

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