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「有用性」から解放されれば、世界はこんなにも面白い【自己紹介】

突然ですが、あなたに有用性はありますか?

では、あなたの仕事には有用性はあるでしょうか?
あなたは有用な時間の使い方をしていますか?
有用なお金の使い方をできているでしょうか?

...矢継ぎ早に質問ばかりで失礼しました。伊地知です。

鹿児島出身の27歳。IT企業の人事/広報を経て、今は福岡のソーシャルベンチャーで障害児通所支援の事業運営に関わっています。まだ産まれて3ヶ月の娘と会話するのが毎日の楽しみです。子育ての面白さはこちら↓

今回は書くメシU30'sのメンバーとして自己紹介をテーマに記事を書こうとPCを開いたのですが、どうしても今日の僕は「有用性」の話がしたい。そこで今回は、まともな自己紹介は諦めることにしました←おい

「有用性」に関する個人的ヒストリーを紹介するということで、なんとか自己紹介のかたちをとらせていただきたいと思います!(どんっ!!)

この記事を読んでほしいのは、例えばこんな人です。

・自分は世の役に立ってるのだろうかと不安な人・自分は世の役に立っていると自負と誇りがある人

一見対照的なターゲット像ですが、その理由は後ほど説明します。合理主義に傾倒していた10代から始まり、商店街と和傘工房を経由して、ベンチャーとバタイユの話を盛り込みながら、最終的に冒頭の「有用性」の話に着地させていただければと思います。

学生時代のPCパスワードはGourisyugi

学生時代まで、僕の判断軸はいつでも「合理主義」でした。
もはやアカウントは失効してるのでオープンしますが、大学のPCアカウントのパスワードをGourisyugiにするほど(笑)。軽くひきますよね。。。

というのも、中学2年で読んだ宮本武蔵の「五輪書」に色濃く影響を受けていたのが背景にあります。(↓人生を変えた1冊です)

宮本武蔵の徹底的な合理主義が書かれていて、具体的には、これを読んだ翌日の剣道の試合からめちゃくちゃ勝てるようになりました。真面目一辺倒に立ち向かうのではなく、フェイントや視線誘導、技の組み立てなどいろんな「思考」が増えたのが理由だと思います。

五輪書から合理的な視点を学び、勝負事におけるその応用を体感した僕は、20歳になっても相変わらず合理主義が一番だと思っていました。突き詰めて論理的に考えれば何事も解決できると本気で信じていたわけです。


商店街の活性化会議で気づく。「僕には何も覚悟がない」

学生時代、相変わらず合理主義を振りかざしたまま、僕は大学近くの商店街の活性化に関わっていました。合理的に考えた自分なりの企画書をひっさげて商店街の活性化会議に参加し、意気揚々と参加した地域のみなさんに発表。ただ、「いいアイデアだね」と褒めてくれる人はいるものの、結論は何も決まらず、会議は一向に前に進みません。

▲毎日のように通っていた前原商店街イリスロード

理由は明白でした。「私がやりましょう」とオーナーシップを発揮して手をあげることができない。「明日退学届出してくるんで、登記の準備手伝っていただけません?」の一言が言えない。だから僕のアイデアには実質的価値がない。

ある日のこと、元ホテルの大きい空き家があるから何か総合娯楽施設にできないか、という(今思えば地方あるあるの)アイデアが商店街活性化会議で議題にあがりました。みんないいねと言うですが、ただそれだけ。

そんな沈黙がしばらく続いたあと、とあるラーメン屋の若大将が手をあげました。「僕、やりますよ」

これだ!と電撃が走りました。僕がどんなに合理的に思考を重ねても突破できない壁。自分が背負う覚悟があるか否か。その若大将の一声から、ようやく建設的な議論が始まりました。

ロジカルな思考力だけ鍛えても、自分がやる覚悟がなきゃ意味がない。。。ここで初めて、合理主義万歳の自分に少し疑問を抱き、覚悟を持って取り組める何かを見つけたいと強く思ったのでした。


あれ? 僕って、生産性を高めて何がしたいんだっけ?

その後、ナノテク材料の基礎研究が肌に合わないと感じた僕は、より社会に関わる学問をするために文転し、感性学を扱う大学院に入ります。

感性学の面白さの話はまた次の機会に譲りますが、ここで過ごした2年間で、僕は色んなプレイヤーに出会いました。

特に印象的だったのが、ゼミの先生の知り合いで、熊本の和傘職人の工房を訪ねたときです。生産性と新しさばかり追い求めていた僕は、正直まったく伝統工芸に興味が持てずにいたのですが、工房訪問から数日経った頃、じんわりと価値観が変化してるのに気がつきました。

「あれ? 僕って、生産性を高めて何がしたいんだっけ?」

古い木造家屋の2階。きれいな和傘が所狭しと置かれた、屋根裏みたいな部屋でした。

梁まで手が届きそうな木材に迫られる感覚と、塗料なのか何なのか不思議な香りがする空間で、緑茶と羊羹でもてなされました。

そのご夫婦の暮らしを見たとき、彼らが生業にしている美しい和傘に触れたとき、僕のなかで何かが、静かに、ほろほろと少しずつ、崩れ始めたんだと思います。生産性があるかとか、役に立つかどうかとか、そういうモノサシでは測れない圧倒的な美しさや価値や意味、存在が、そこにはあったのです。


ITベンチャーで学んだ合理主義の限界

ご縁がつながって卒業後にITベンチャーに就職した僕は、人事部兼社長室に配属されます。経営陣に近いので、意思決定のスピードやダイナミックさに刺激あふれる毎日でした。

一方で、合理的に正しい意思決定でも、簡単には人に共感してもらえない、という場面に何度も直面しました。社内広報や社内コミュニケーションの活性化も広報担当の僕の仕事。でも、思うようにいかない。どうしても伝わらない。そのうち、伝わるときと伝わらないときとの違いに敏感になりました。ときに、合理主義は相手を傷つけてしまうことがあるのです。

それまでの経験からわかっていたことではあったはずですが、そのとき改めて体感知として、「合理的なだけでは人は動かない」ことを学んだのです。

また地方ベンチャーの採用担当だったので、東京の優秀なエンジニアが、年収や便利さ以外のところに価値を見出して地方移住するケースもたくさん目の当たりにしました。「同じ物事でも人によって感じる価値が異なる」というのが感性学ですが、まさにそれです。まるで感性学専攻の延長でした。

そして僕も、妻が子どもを授かったのを契機に、合理的思考からでない、直感的な意思決定によって、福岡への引越、福祉ベンチャーへの転職を決意するのです。


僕らの「有用性」は、僕らの幸せに結びついていない

転職して、引越をして、子どもが生まれて、生活が何もかも変わるなかで思ったのは「あれ、いま幸せだな」ということでした。ただ、その幸せの尺度も、手に入れるための計画も、僕が想定していたものとは全く違っていました。

今まで、生まれたからには何かを成し遂げたい。どうにかして大勢の人の役に立ちたい。だから時間を最大限に生産的に使いたい。と、自分の「有用性」を高めることばかり考え、自分の「有用性」を後世に残すことこそ、人生の至上命題であり幸せだとさえ思っていました。俗っぽく言えば「名を上げたい」ということですね(笑)

だから、産まれたての0歳の娘と、母親になった妻の顔をみたときのあの気持ちが不思議な感覚でした。あれ、僕の有用性とは全然関係ないところに、こんなところに幸せがあるんだな、と。

そういえば、振り返ってみても、楽しいとき、面白いときはいつだって、有用性なんて忘れてただただそのことに熱中していた気がします。わりと早めに結婚したので、時折その理由を聞かれますが、論理的な理由なんてありません。ただただ熱中してたんです笑。

今でももちろん、仕事をするうえで、自分の「有用性」は意識しますが、僕の人生の幸せや面白さはいつも、僕の有用性とは無関係なところからやってきました。ふと、和傘職人のご夫婦の姿を思い出します。彼らは和傘の有用性のためでなく、和傘そのものやその職人の暮らしを愛しているように見えました。

もしかしたら、いえ、きっと間違いなく、僕らの「有用性」は、僕らの幸せには結びついていないのです。

有用性(生産のサイクルに役立つこと)という価値が麻薬のように機能し、副作用として呪うことが蔓延した。この麻薬にやられた近代人は、個人の延命と発展を讃え、その反対の事態(死、喪失、消滅)を呪うようになった。

過激な物言いですが、これは、フランスの思想家バタイユ著「呪われた部分」からの一節です。

昨年この本を手に取ってから、新しい視点にハッとなりました。乱暴に要約すれば、バタイユはこう言っています。

有用性を求めるばかり、成長を求めるばかりの資本主義社会では、人は、無為な消費、蕩尽を忌み嫌うようになった。生産性の向上ばかりを唱え、生産することで何を消費したいのかを考えていない。

バタイユの理論には不完全な部分もたくさんありますが、人間を生産する者ではなく、ただただ無為に消費する者とみなすところから始めるのが新鮮で、すごく大事なことに思えました。

「蕩尽(とうじん)」とは「財産を湯水のように使いはたすこと」を意味します。僕らは「有用性」という財産を溜め込むことばかりに夢中になって、肝心のその財産を消費して楽しむことを忘れているのかもしれません。


「有用性」から解放されれば、世界はこんなにも面白い

先ほど、僕は、この記事をこんな人に読んでほしいと書きました。

・自分は世の役に立ってるのだろうかと不安な人・自分は世の役に立っていると自負と誇りがある人

パッと見、両者正反対の性格の人に思えますが、ここまで読んだみなさんならもうおわかりかと思います。僕から見れば、両者とも、自分の「有用性」からしか人生を捉えられていない、「有用性」に縛られた同じような人たちです。

「役に立つかどうか」という有用性志向な視点は、なんとなく賢そうに聞こえますが、人生の視野を極端に狭めてしまう、ある意味おそろしい視点です。

もちろん、有用性志向な視点が重要な場面は、特に仕事をするうえで何度も直面するのですが、大切なのは「役に立つかどうか」以外のモノサシを持っておくことです。自分しか持ち得ないモノサシで自らの人生を測定できるようになったとき、つまり「有用性」から解放されたときに初めて、本当にこの世界が面白くなってくるのだと思います。

また面白いことに「役に立つかどうか」を気にも留めていない、自らのモノサシを持つことが、実社会でのイノベーションに結びついて世の役に立つということもあるようです。そのあたりまとめてるのでよければどうぞ↓

さて、この記事の冒頭で僕は、あなたに有用性はあるか? あなたの仕事に有用性はあるか? 有用な時間の使い方をできているか? 有用なお金の使い方をできているか? と矢継ぎ早に質問しましたが、最終的な結論は、あれらの質問はすべて無意味だ。有用性以外のモノサシを持とう!ということになります。

これを読んで、「有用性」から解放されれば、世界はこんなにも面白い!というのを少しでも感じてもらって、明日からの毎日が少しでも気楽になれば幸いです。


...以上、とても自己紹介がテーマとは思えない長文になりましたが(笑)、逆に僕のことをより深くわかっていただけたのではと思います。はい、そう思うことにします。

次に機会があれば、有用性から一歩先をに進んだ資本主義社会について書いてみたいです。僕が今回みたいな話をすれば、
「でも結局、今の社会で評価されるのって個々の有用性じゃん!」
「言ってることはわかるけど、きれいごとに聞こえるわ」
そんな声がきっと出ます。その気持ちもすごくわかります。だから、そんな社会そのものを変えていきたいよね!小さいコミュニティからなら意外と変えられるかもよ!という話をしてみたいなと。

引き続き、書くメシU30'sでも毎週アップしていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

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