離任式シーズンに思い出す、ある言葉とある後悔
人事異動で感じる時の流れ
毎年この時期になると、教職員の人事異動が新聞に掲載される。その日は早起きして紙面を確認するというのが、小学生の頃からの習慣だ。大学生になり上京した今でも、地元新聞のオンライン版をチェックしている。
今年も、関わりのあった先生の名前をたくさん見つけた。気づけば、中学卒業から6年、高校卒業から3年が経つ。顔見知りの先生が母校からほとんどいなくなってしまうのも、当然のことだ。時の流れをひしひしと感じる。
一方で、胸が熱くなるような知らせもあった。中学1年生の時にお世話になり、その後教育庁へ異動した国語の先生が、管理職として再び同じ中学校へ赴任することになったのだ。
みずみずしい感性を大切に
その先生が離任式で残してくれた言葉を、今でも覚えている。
「みずみずしい」の意味を辞書で調べてみると「新鮮で生き生きしているさま」とある。「みずみずしい感性」は「子どものような感性」と言い換えていいのかもしれない。
小さい子どもにとっては、毎日の何もかもが初めての体験だ。だからこそ、あらゆるものに対して感動できる。でも大人になるにつれて、それが難しくなっていく。見慣れた光景も増える。「恥」という感情も出てくる。生活に余裕がなくなったりもする。
それでも美しいものを目にした時、素直に感動できるような「みずみずしい感性」をいつまでも持ち続けていたい。虹とか、桜とか、自然の風物だけじゃない。友達のさりげない気遣いや、スポーツ選手のフェアプレー。「美しいもの」は日常のいろいろな場面に転がっているはずだ。
ちなみに「rainbow(虹)」という英単語は、「rain(雨)」と「bow(弓)」が組み合わせられて作られた複合語。人類で初めて虹を見た人がその美しさに感動し、思わず名前を付けたくなって、既成の語を使ったのではないか。あくまで想像だが、そんな気がする。
唯一出席しなかった離任式
これもいつかの離任式で、ある先生が残してくれた言葉だ。先生との別れは寂しいが、ときどき金言が飛び出す離任式という場は、嫌いではなかった。強制参加ではなかったのに、小学校の頃から必ず出席していた。
だが、高校を卒業した年の離任式だけは、唯一出席しなかった。ちょうどその頃自分は、大学受験に失敗して打ちひしがれていた。髪を染めて、スーツをビシッときめて、これからの大学生活にウキウキしている同級生に会うのが、悔しかったんだと思う。
その離任式に行かなかったことは、今でもすごく後悔している。同級生に会いたくないとか、そういうちっぽけなプライドを振りかざしていた自分は、ダサかった。
あの時ちゃんと感謝の言葉を伝えられず、それ以来会うことのできていない先生もいる。最近では、コロナの影響で離任式を行わない学校も多いようだ。せっかくの機会を無駄にしてしまったということを、今となって、より痛感する。
出会いと別れの季節だ。新しい出会いはもちろん大切にしたい。でもそれと同じくらい、別れもないがしろにしてはいけない。
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