見出し画像

『小僧の神様』志賀直哉1920年

 この作品によって「小説の神様」と謳われた、志賀直哉の代表作。代表作ではあるが、極めて短い、いうなれば超短編小説だ。じっくり読んでも、ものの30分もあれば読了。しかし、読み終えて顔を上げた時、世界はたしかに、変わって見えた。
 ネタバレになるが、デッチの小僧が鮨を夢見、決心して飛び込むも資金が足りず窮地に。しかし見兼ねた紳士に御馳走になるという、書いてみたらシンプルなプロットである。しかし、屋台で握られる寿司の酢飯の香り。それを無造作にポンポン自らの口に放りこむ板前の仕草。そしてなにより、喉を鳴らしてそれらを見上げる小僧の心情。この短い短編の中に、これでもかというほどのレトリックを駆使し、最後には作中において、虚構であることを作者に登場させ語らせるという、究極の綱渡りを演じながらも、それらが紡いだ弁証法的な展開と昇華の様は、『お見事!』の一言に尽きる。

画像1

 正に、彩り、香る小説だ。

 何よりもヤラレたのは、読み終えた直後の生理体験であろう。鮨とそれを喰らう客たちの描写、おしいただく小僧の、心理描写。種明かしをされながらも残る抱かれる余韻。ホッと包まれる心の温かさ。そして極めつけは、鮨を無性に食いたくなるよう想起される衝動。書き言葉を読むという電磁波の刺激が脳の中で、話し言葉という音波を生み、振動という物理的な性質を紡ぎ、あらゆる感覚器にフィードバック刺激を与え、逆に未体験の屋台寿司という現実を作り上げる、その様。まずは絶望と、予想外の展開と、ついに喰らう、鮨と。その得も言われぬ酢飯の香り…。

画像2

 なかんずく幼少の時分に、教科書でこの短編に出会ってしまったが故に鮨が、Specialな物として刷り込まれてしまった。
 以来、自分の中で鮨は別格で、必ず食べながら一度は、自分の中の小僧と対話する。
 いやあ、コトバは偉大だ!
 などと思いながら昨夜も、Specialな鮨をつまんだ。

画像3


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?