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ヒート 1995 アル・パチーノ ロバート・デ・ニーロ アクターズスタジオ出身

過剰な演技を見るにつけ、鳥肌が立つ。
人はニュートラルな状態では、それほど演じることをしないからだ。
その瞬間瞬間の状況に反応した条件反射的な生理が、感情や理性に乗って、出力されているだけだ。だからこそ、そこに、リアリティーが宿る。

人の生理について、エビデンスを求めない俳優の、リアリティーの無い演技に出くわすと、余りにそれがプロットに対して、わざとらしすぎて、鳥肌が立ってしまうのであろう。
舞台や映画を観て、ピンと来た監督なり俳優のキャリアを調べると、必ずヒットする団体がある。
それが、アクターズ・スタジオだ。
スタニスラフスキー・システムに着目し、メソッド演技法を確立。後に数多の名優を輩出したこのスタジオは、1947年、ニューヨークで産声を上げた。
小説家 安部公房は更にそこから生理を追究し、演劇法である安部システムを確立。安部公房スタジオでの成果を渋谷の西武劇場で上演。その集大成はアメリカ縦断公演で結実した。

さて、この年代を知っている、アクターズ・スタジオ出身の俳優達の演技を観ると、更に秀逸に感じる者と、シンパシーを得れない者が出てしまう。
例えば、ロバート・デ・ニーロが前者であり、アル・パチーノは後者だ。
そしてこの評価は、生理的な受け取りだから、自分でもいかんともしがたい。

昨夜、久し振りにこの、アクターズ・スタジオ出身の、名優二人が火花を散らした作品、ヒートを観た。
この作品が封切られた当初は、デフォルメされすぎたロスでの銃撃戦に引きずられて気付かなかったが、カフェで二人が対峙し、会話するシーンに昨夜は、コトバを忘れ引き込まれた。
このシーンの、過剰さを圧し殺したアル・パチーノの演技の在り様は、ロバート・デ・ニーロに比肩して見事だった。これこそミックスアップの成せる技だ。この珠玉のシーンがある限り、何度でも観る価値はあるだろう。

この作品は、リアリティーを追求してやまないマイケル・マンによって、1995年、誕生した。
(配給.ワーナーブラザース)








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