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「なんでもよくない」のに「なんでもいいよ」と言っちゃう感じのそれ。

日常会話の中で、「なんでもいいよ」というフレーズがたまに出てきます。
あなたも何気なく使っていることがあるのではないでしょうか。

さて、それは本当に「なんでもいい」のでしょうか。

以下のような光景は誰でも遭遇したことがあるように思います。

彼氏:今日は何食たい?
彼女:なんでもいいよ!
彼氏:そっか、じゃあカレーにしようか!
彼女:うーん、カレーって感じじゃない。
彼氏:そっか、じゃあパスタにしようか!
彼女:うーん、パスタって感じでもないかなぁ。
彼氏:・・・

まあ、察しろよ!という意見は置いておいて、
彼女は「なんでもいいよ」と言いつつも「なんでもよくない」わけです。

なんでもよくないのに、「なんでもいいよ」と言う裏には、
色々な考えを握る私がいます。

それは、わがままに思われたくない私とか、
「お寿司がいい!」と言って断られたくない私とか、

まあ、そんな感じの私が、
なんでもよくないのに「なんでもいい」と言っています。

こうして、自分の素直な意見を言えなくなっていきます。

その「なんでもいい」をあるようにする私から自由になっていくと、
「お寿司食べたいな!どうかな?」とスッと言えて、
それが何かしらの理由でダメだとしても、何も後を引きません。

上記の彼氏彼女の会話のように、「カレーって感じゃない」と言える人もいれば、自分の中で押さえ込んで、食べたくもないカレーを食べることになり、内側の葛藤が小さな不満としてたまっていきます。

それを食時に限らず、色々な場面で、いつか爆発してこう言います。

「あなたは私のことわかってくれない!」

含みを持たせた言葉・会話は、お互いスッキリしないのです。
"出切らない便秘のような関係"はどこかで必ずガタがきます。

恋愛相談、人間関係の相談も多くきますが、
大体この便秘のような関係によって拗れていることがほとんどです。

これは、恋愛、パートナー、仕事、家族、友達、人間関係のあらゆるシーンで似たようなことが起こっています。

会話に含ませて、察してもらおうとする私を知る。

まず大切なのは、素直な意見を言えない私、含ませる私、含ませもせずに、我慢して相手の言い分を受け入れる私、そんな私を知っていくことです。

多くの場合、「なんでもいい」と言った時に、
その内側の動きが無自覚になっていることがほとんどです。

人によっては
私は断れない性格だからとか、
私は控えめな性格だからとか、
相手の意見を尊重するタイプだからとか、

性格やタイプという枠に収めてしまいがちですが、
性格やタイプというのは「握っている無自覚な考え」の傾向にすぎません。

断れない性格なのではなく、
断られることが、自分の人格を否定されることだと無自覚に考えていたり、
断られることで、相手から見放されると無自覚に考えていたり、
そういった考えを握り込んだ私が「断れない私」を創っています。

起こることが、起こるべくして、起こっているだけです。

それを性格やタイプなんだと解釈して、その枠に収まっていくと、
どんどんその信念を固くしていく
ことになります。

大事なことなので、もう一度言いますが、
性格やタイプというのは「握っている無自覚な考え」の傾向にすぎません。

それが仮に魂が前世から握っていた考えであろうが、
確かに今もその考えを握っている私に向き合っていくなら、
そこから自由になっていく第一歩
になります。

(断れないタイプについては、以前もこんな記事を書いていますので、
お時間があればご参照ください。)

どのようなことからも自由な私で。

「私」と向き合うというのは、
言動や行動を反省するのではありません。

なんでもよくないのに「なんでもいいよ」と言うのをやめるのではなく、
なんでもよくないのに「なんでもいいよ」と言いた私をただ知っていく。

素直に意見を言えない私、嫌われるかもと恐れる私を抱えたまま、
現象だけを反省して、
なんでもよくないのに「なんでもいいよ」と言うのをやめようとすれば、
必ず葛藤が起こります。

なんでもよくないのに「なんでもいいよ」と言いた私と向き合い、
それを起こしている私を知っていくなら、
自然と緩み、広がり、整えようとすることなく、整っていきます。

自由への第一歩は、いつもあなたの足元にあります。

私は今、「あなたの私」に向き合うお手伝いをしています。
2ヶ月前に向き合いはじめた方が、当時抱えていた悩みが嘘のように気にならなくなってきています。

何か教えがあるわけでもないですし、
何かを勉強してもらうことも一切ありません。

一緒に「あなたの私」に向き合っていく中で、
「あなたの私」の奥行きを知り、その奥に触れていく。

人間は、自分で何をしているのかに無自覚なことが多いです。
これは現象の話ではなく、内側で何をしているかというお話です。

全てをあるようにしている私から自由であるなら、
世界はまるで違って見えます。

まだ、目を閉じたまま、生きていきますか?

私にスッキリ、私に潔よく、私に素直に、私にまっすぐ、
そうしようとせずに、そうなっていくと、
相手に対しての向き合い方も、出来事に対しての向き合い方も、
世界に対しての向き合い方も自然と変わっていきます。

出し切らない感じが続くと 後に色々と拗らせることになりがちです。

心の便秘は、 わずかの我慢から始まります。

処方箋は我慢しないことではなく 「そうしている私と向き合うこと」です。

もう便秘は懲り懲りだという方、お待ちしています。

彼氏「ナンでもいいって言ったじゃない・・・」

「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。

思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。

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