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『超没入』 本当に効率を上げたいと思ってる?

『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』,カル・ニューポート著,早川書房刊,2022年

 より効率を上げてくれるツールとみなされている、電子メールやチャットシステムが、漫然と取り入れると実は作業効率と人間の能力を著しく下げてしまう……というパラドックスを、様々な視点から説明し、それに代わるアイデアを紹介した本である。
 すごく面白かった。面白いと同時に、どこか薄ら寒い、「まだこれで終わりではない」感覚が残る。

 アテンションエコノミーやSNSの承認欲求がもたらす弊害は、もはや常識となりつつあるけれど、それよりももっとプリミティブな「メールとチャット」という存在の落とし穴に注目したのは、結構すごいことだと思う。
 しかも、いわゆる「手書きの文字には心がこもって……」「顔を合わさないと人の温もりが……」といった情緒的側面とは違う意味での非効率性に着目している。
 メールやチャットというツールの本来の利点が、人間の特性と組み合わさることでいかにややこしい問題を発生させてしまうか、という一種のバグだ。

 ひとつには、メールやチャットが「コミュニケーション」という、あまりにも広義でありながら人間にとってクリティカルな要素の根っこに絡みついているために、ありとあらゆるものが放り込まれてしまうごった煮と化してしまうこと。
 緊急性を要する深刻な用件から、「笑えるネコ動画をシェアします!」的な無視しても実は大丈夫なネタ、果ては無視しないとむしろ損害をもたらすスパムや詐欺まで、全てが同じ入り口から同じような顔をして入ってくるというのは、考えてみればかなりヘヴィなツールである。
 しかし、「メールやチャットを無視する・やめる」という行為は、もはや個人の選択というレベルで済む行為ではなく、社会的人間であることに背を向けているというメッセージを発しかねない。そのために、よほどのことがなければ、ひとはメールやチャットをスルーすることができない。
 一体そこに何があるのか、腑分けにとてつもない手間がかかるカオスになっているのに、無視・排除するにはあまりにも重要すぎる。そのため、心的エネルギーのブラックホールになってしまっているのだ。

 もうひとつは、メールやチャットがその効率性ゆえに、「タスクを先延ばしにしたり他人に振ったりする」という行為のハードルさえ下げてしまい、望まない仕事の押し付けあいをもたらしてしまうという側面である。
「立ち上がって別の部屋まで行って言付ける」くらいの小さな障害にぶつかっていれば、再考してその場で処理したり、無用と決定したりするような、些細・即決可能のタスクを、メールやチャットによって他人にどんどん気軽に振っていくことが可能になる。
 それにより、膨大な「仕事っぽく見える何か」が、雪だるま式に増大していってしまうのである。

 著者は、こうした陥穽を丁寧に説明した末に、メールやチャットを完全に捨てるのではなく、さりとて小手先の技術で取り繕うのではなく、本当に効率的に使っていくためにはどうすればいいかを考えていく。
 それは不可能ではないし、本当に効率性を求めるのならばやれるレベルの行動ではあるが、簡単とは言いがたいものでは、ある。

★★★

 だが読んでいて、私はずっと、この本気の提案を取り入れる人は実はとても少ないのだろうな……と思っていた。
 それはこの提案が、困難であるからではない。
 みんな、本当は、本気で仕事を効率化して成果をあげようなんて、思ってないんじゃないかな、と感じているからだ。

 ディルバートを描いたスコット・アダムスは「仕事をさせようとする一人のボスの下には、仕事をさぼろうとする十人の部下がいる。だから仕事を効率化するツールよりも、仕事をさぼるツールの方が需要が高い」という皮肉を書いていたけれど、これはもはや、皮肉ではなく真実のような気がする。
 本当の望みを正直に言えば、効率化したいんじゃなくて、成果をあげたいんじゃなくて、「ラクしてお金もらいたい」というのが大半の人の気持ちじゃなかろうか。これは決して非難したくて言っているのではない。人間の自然な感情だと思うし、これを無視して「みんな成果をあげたいですよね!」とキラキラした瞳で語っても意味はないはずなのだ。

 そして「ラクしてお金もらう」という意味では、メールやチャットが生み出すカオスは、実に都合がいい存在に見えてくる。
 実質的な何かを成立させなくても、右のものを左に動かすだけで、いや動かす振りをするだけで、仕事の時間が過ぎていく。そのせいで膨大な残業をするはめになっても、成果が上がらなくても、「自分は頑張ってるんだけど、周りの連中や仕事の環境が足を引っ張るからさぁ」と表層的には考えることができて、自尊心も守られる。

 この本の中で、著者は「人と違う連絡ツールを使うために一番必要なことは、実は有無を言わさぬ実績を作ることで、成果をあげたいのならその覚悟が必要になる」という問題を述べているのだけど、これはさらりと触れるべきではない、根の太い問題ではないだろうか。
 そんな不退転の覚悟を持って仕事をするなんて、私だったら、正直御免被る……と思ってしまう。

★★★

 それでも、望んでいることが「ラクしてお金をもらう」ということであったとしても……本当は、やっぱり、この著者が言うような「本当の効率を求める」ことが必要なのだろう。
 何故なら、「効率の悪い」「意味を感じられない」作業を続けることに、人間の心はあまり耐性がないからだ。
 有名な、穴を掘ってただ埋めるだけの作業をえんえん強制する拷問、というのが本当に実在していたのかどうか、歴史に不勉強な私は確かな知識を持っていないのだけど、これを「拷問として立派に成立する」と人が感じて伝えられている事実そのものが、「無意味で非効率な活動は人の心を破壊してしまう」ことを示している。
 いや、正確には、無意味で非効率な活動そのものではなく、「無意味で非効率だと自分が感じている」ことが、心を破壊するのだが。
 短期的には「何もしないでラクしてお金がもらえる」ということがありがたく思えても、長期的にはそれが心身を蝕んでしまう。

 であるなら、この本が述べているようなメールやチャットの落とし穴に真正面から向きあい、本当に役に立つツールに変えていくために何をすればいいのかを考えることは、実は成果をあげたい!とか効率をあげたい!みたいなパフォーマンス追求の文脈ではなく、「あなたの心身を守るためのケア」という文脈で考えるべきなのかも知れない。

 ……と考えたところで、私はまた別の失望をおぼえる。
 今の日本社会(もしかしたら大半の先進国社会)が、「ケア」という活動を無視し、蔑ろにし、特定の層に押し付けて成果を搾取しがちであることを思い出すと、なるほどこういった問題がなかなか解決しないのも、当然なのか。

 この本には、著者の熱意や意図とは全く別の原因から生じている、「まだ本丸に攻撃できていない」感覚がうっすらとついて回る。
 それは、実はライフハックとか仕事術とか生産性向上とかのレベルではない、めちゃくちゃに根の深い問題で、にもかかわらずこの本があくまで「生産性向上の本」として出版されているところから来るのかも知れない。

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