【3歳子育て日記】娘3歳が、ようやくインドネシア語を覚えてきた‥!
日本語一本で育ってきた娘3歳が、やっと、インドネシア語を覚え始めました。その立役者とは・・?
3年間、ほぼ日本語のみで育った娘
インドネシア生まれの娘は、日本人の母の下、日本語力をめきめきと伸ばしてきました。
娘が生まれるまで、私は、夫とはインドネシア語と日本語を交ぜた、ごちゃまぜ言葉で会話していました。私のインドネシア語も、夫の日本語も拙かったため、どちらにも寄せられなかったんです。
でも、娘が言葉を発し始めたころから、私は、娘にかける言葉としてはインドネシア語を封印し、癖だったごちゃまぜ言葉もやめました。夫と1対1の時はできるだけインドネシア語のみ、娘とは日本語のみ。
努力のかいあってか(YouTubeの力も認めざるを得ないのですが)、娘の日本語は、見事なものです。
ごちゃまぜ言葉のパパ
一方の夫は、娘が言葉を覚えだしても、依然として、ごちゃまぜ言葉を話していました。
加えて、自分が知っている日本語をフル活用した「カタコトの日本語」で娘と話すようになりました。インドネシア語を理解してもらえない不自由さから、カタコトでも日本語を使うという方にかじを切ったのだと思います。
ただ、私としては、インドネシア語を貫いてほしかった。だから、「あなたはインドネシア語を話してよ」と、何度もお願いしてきました。
でも、根気が続かず・・。
娘がインドネシア語を話すようになった
娘のインドネシア語が飛躍的に上達してきたのは、ここ、1、2か月のことです。
以前、パパと話す時は、夫が話すようなカタコトの日本語風の話し方をしていた娘。それが、だんだん、インドネシア語の単語が増えていって、一語文、二語文くらいは話せるようになりました。続いて、文も登場するように。
昨日は、
「〇〇(娘の名前) mau blok, tapi ngak bisa ambil!」
(ブロックがほしいのに取れない!)
・・なんて、パパに訴えていました。
なんだよ、tapi(でも)なんて、使えるようになったの?いやあ、成長したね!
もちろん、ちょっと間違えて覚えている単語もあります。
例えば、末尾の"t"を聞き取れず、monyetが「モニェック」、obatが「オバック」、coklatが「チョクラック」になります。
先ほどのambilも、最後の"l"が聞き取れていないので、「アンビー」と言います。pinjamは、「ピンジャン」。
でも、いいよね、そのうち直るよ。
コロナ禍が背中を押したインドネシア語学習
夫は、3月下旬から、既に7か月以上休職しています。基本的には毎日在宅。専業主夫。
このことが、娘のインドネシア語学習において、非常に大きかったということは、言うまでもありません。
彼は、今でも、娘の言語学習について、特に何も考えていません。気分が乗っていれば積極的に話しかけるけれど、別のことをしていると、何か言われても返事すらしません。至って気楽なものです。
でも、結果オーライかな。(まだ、「結果」なんか出てないけど・・)
「言語や心の発達について意識しながら、娘と接してほしい」なんていうことは、夫に求められそうにありません。
でも今は、ふたりが一緒にいる時間が、言葉の交流を、手助けしてくれているようです。
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