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(一部有料)ヴィパッサナー瞑想10日間コース体験記:最初から最後まで、ただひたすらに個人的な話。

2021年9月1日〜9月12日に千葉ダンマーディッチャで行われたヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加した。

千葉県長生郡にある人里離れた自然豊かな施設

この時のことを記録しておきたい、ここで得た気づきを共有したいと思いながらも、どう表現するか考えあぐねていたら、あっという間に年末……。そろそろ言葉にしたいと思い、とりあえず書いてみる。

なお、ここで書くことはあくまでも私の個人的な体験談。最初から最後まで、全てがそう。参加者の数だけ体験があって、それぞれがかけがえのない豊かなもの。
これから参加する方は、あまり引きづられることなく、先入観をもたず、ご自身の”旅”を満喫なさってください。

ヴィパッサナー瞑想10日間コースについて

簡単に記しておくと、私が参加したのは日本ヴィパッサナー協会が実施する10日間(正確に言うと11泊12日)の瞑想合宿。
合宿中は、基本的に次のスケジュールで動いていく。

4:00 起床
4:30-6:30 瞑想(ホールまたは自室にて瞑想)
6:30 朝食
8:00-9:00 グループ瞑想(ホール)
9:00-11:00 瞑想(指導後、ホールまたは自室にて瞑想)
11:00-1:00 昼食/休憩
1:00-2:30 瞑想(ホールまたは自室にて瞑想)
2:30-3:30 グループ瞑想(ホール)
3:30-5:00 瞑想(ホールまたは自室にて瞑想)
5:00-6:00 ティータイム/休憩
6:00-7:00 グループ瞑想(ホール)
7:00-9:00 ホールにて講話。講話後、ホールにて瞑想
9:00-9:30 就寝

千葉ダンマーディッチャ 掲出物より

見ての通り、食事と休憩・睡眠以外の時間はすべて瞑想。食事、寝床はすべて提供され、参加者は、ただただ瞑想と向き合うのみ。1日10時間ほどの瞑想を10日間続けていく。

さらにはコース中は
 ・運動、ヨガ、ストレッチ等は禁止
 ・PC、スマホ、本、メモ(筆記用具)の持ち込みは禁止
 ・私語禁止(参加者とは極力目を合わせないように)
などの規則がある。
「これでもか」と言うほど瞑想に集中せざるを得ない環境がつくられている。

参加までの道のり

これをじっくり語ると長くなる……(苦笑)。なのでできるだけ端的に。
瞑想との出会いは、大学3年生の時。きっかけは、岡野守也先生の授業を履修したこと。そこで語られていたトランスパーソナル心理学やインテグラル理論、実存心理学、そして仏教、禅の教えは本当に魅力的で「この世界は生きるに値するのだろうか…」と絶望を抱いていた私に、救いの道をもたらしてくれた(詳しくは、こちらにまとめている)。
私が魅了されたこれらの学びにおいて最重要に位置づけている実践が「瞑想」。むしろ「瞑想の実践なしには真の理解にはたどり着けない」と言っても過言ではないのかもしれない。

そう。私も本当にそう思う。
……のだけど、瞑想の実践を定着させるのは、本当に難しい。
当時から何度も試みてはきた。だけど、少しはやったては三日坊主……モチベーションを高めようと座禅会や瞑想会に行ってはみたものの、そこに通うことさえ続かない……。

なんてことをしながら気がつけば10年超(!)。
当時の私がいた人材育成の世界において、Googleの社員教育をきっかけに”マインドフルネス・ブーム”が訪れようとしていた。
それをきっかけに2015年、マインドフルネスに関する本をつくり、瞑想が仕事に近づいてきた。
本をつくるプロセスをとおして「やっぱり瞑想からは逃れられないのだなぁ」という想いが強くなり、再度、習慣化にチャレンジ。
何度目の正直なのか、、、と恥ずかしくなるくらいだけど試行錯誤を重ねながら、なんとか「瞑想、短い時間ではあるものの一応はやっています」と言っても嘘ではない程度の実践はするようになった。
そしてありがたいことに、マインドフルネスについて人前で話す機会を、多くはないもののいただくようになった。

とはいえ、どこか「瞑想」に対して距離を感じている自分もいた。「瞑想という大切な実践を、私も大切に扱っていきたい。だけど、これで瞑想をしていると言っても良いのだろうか…」と。瞑想は、本当に奥深い実践だ。価値ある、大切な伝統だと思う。だからこそ、軽々しく「やっています」と言えない自分がいた。
とはいえ、私にとって大切なものであることは変わりない。だからこそ「どこかで一度、じっくりと瞑想に向き合う時間をとってみたい」と思っていたのだ。

ヴィパッサナー瞑想合宿を知ったのは、もうだいぶ前のこと。
「いつか参加してみたい」という好奇心が「絶対に参加しよう」という確かな意志に変わったのは、たぶんこの頃だったと思う。

とはいえ、当時の私はフルタイムで働く会社員。しかも仕事柄、12日間丸々オフラインになるという状況をつくるのは難しい状況だった(1日だってオフラインになれば仕事が溢れるという状況が5〜6年続く)。
でも、色々と思うところがあり、今年7月からしばらくの間、仕事を休むことにした。
時が満ちた--なんて言ったら大袈裟かもしれないけれど、私にとっては念願かなっての参加だった。

実際のところ、この合宿は参加するだけでも一苦労。
すごく人気があって、あっという間に「満席」になってしまう。
私も「絶対に行こう」と決意して、申し込み開始当日の午前0時に参加登録をしようとしたけれど、数分(3〜4分)出遅れただけで、あっという間に「キャンセル待ち」に……。
晴れて「参加」が確定したのは、コース開始の3週間ほど前のことだった。

ちなみに、私は全く良いほうで、なんと中には開始日の午前中になって「キャンセルが出たのですが、参加されますか?」と電話が来たという方も。

参加しようと決意するまで、そして決意しても実際に参加するまでも、一筋縄ではいかないものなのかもしれない。この場所ににたどり着くまでの間に、参加者の数だけ物語があるのだろう。

さて、いよいよ下記では瞑想合宿について綴っていく。
時系列に起きたことを中心にしながら書いていってみる。くり返しになるが、あくまでも私の超個人的な体験談。参加者の数だけ、それぞれに違った豊かな体験があるので、単なる一事例としてお読みいただきたい。

Day0:「行きたくない」「帰りたい」「でも、逃げたくない」

移動日。夕方までに施設に行き、10日間の過ごし方についてのオリエンテーションを受ける。

いきなりすみません。上記で「念願かなっての参加」と言いながら、前日、そして出発直前まで「行きたくない」と「何が起きるのか楽しみ、ドキドキワクワク」の間を揺れ動いていた。荷づくりだけはやっていたものの、怖気付いている私もいたのだ。

「だって、私、30分瞑想するのだってしんどい時があるんだよ。それなのに1日10時間の瞑想を10日間も続けるなんてムリでしょ」

という怖気付いた声がある一方で、

「いや、だからこそ行くんでしょ。瞑想に集中できる環境なんて、自分でつくろうとしてもつくれない。それに、一人じゃなくて仲間がいるんだから。一人ではムリでも、一緒に坐る人がいれば大丈夫だよ。
瞑想に10日間集中すると、一体どんな変化があるのかを実際に体感・体験してみたいと思わない?」

という声も…。

結局は、家を出る時点では、後者の声がギリギリで勝ち、何とか出発することができた。
とはいえ、相変わらずネガティブな感覚は強い…パートナーに12日間も会えないのも寂しいし、、、そんな気持ちに追い討ちをかけるかのように、天気は雨。前日まではピカピカの夏空だったのに、太陽はどこへ行ってしまったのか。

どんよりとした灰色の空、千葉へと向かう車窓に映るのは仄暗い霧がかかったかのような景色…。

電車→バス→送迎車での移動を経て、施設に到着。
受付を済ませ、スマホを預ける。

ここで、いよいよ戻れなくなったことを痛感する。

ただ、一つだけ安心したことがあった。それは、ご飯が想像以上に美味しかったこと。ベジタリアンメニューで、味付けがとても美味しい!
あたたかいものを口にすると自然と元気が出てくる。私の動物の本能は、こんな日もしっかりと働いていた。

夜19時から講話を聞き、いよいよ瞑想合宿スタート。このタイミングから、先に述べた「私語禁止」の「聖なる沈黙」の時間が始まる。
少しだけ「集中瞑想」をして、21時に終了。

終了後は、これから10日間を過ごすことになるあまり快適とは言えない固いベッドで眠りにつく。
外は雨が強まっていく。想像以上に肌寒かった。

Day1:後悔。そして「三種類の知恵」

朝から雨。
まずショックだったのは昨日は「1日目」とカウントしないこと。
そんな些細なことにショックを受けてしまうほど、しんどい合宿の幕開けだった。

とりあえず、以下のスケジュールの通り(再掲)、朝の4:30に瞑想ホールへ向かい、坐り始める。

4:00 起床
4:30-6:30 瞑想(ホールまたは自室にて瞑想)
6:30 朝食
8:00-9:00 グループ瞑想(ホール)
9:00-11:00 瞑想(指導後、ホールまたは自室にて瞑想)
11:00-1:00 昼食/休憩
1:00-2:30 瞑想(ホールまたは自室にて瞑想)
2:30-3:30 グループ瞑想(ホール)
3:30-5:00 瞑想(ホールまたは自室にて瞑想)
5:00-6:00 ティータイム/休憩
6:00-7:00 グループ瞑想(ホール)
7:00-9:00 ホールにて講話。講話後、ホールにて瞑想
9:00-9:30 就寝

千葉ダンマーディッチャ 掲出物より

が、全く集中できない
「呼吸を観察する」というとてもシンプルな行為が、まるでできなかった。
いつもやっている瞑想と一緒なので、同じことをすればいいだけなのに……という焦りのような感覚も生まれてくる。
色んな思考が、降って湧き、それに引きづられていく。途中で「ああ、引きづられてしまっている」と気づいてまた呼吸に戻るものの、少し経つとまた思考が湧いて……というのをくり返していた。

あと「坐り続ける」という行為が、フィジカル的にしんどい
とにかく身体が痛い、辛い。
普段やっている結跏趺坐、ちょっとくずして半跏趺坐、そして安楽坐。開き直っての正座。座り方のバリエーションを試してみたり、坐蒲の位置を調整したり、タオルや敷物で調節したりと、色々試すもしっくりくる形がなかなか見つからない。
とはいえ、ヨガ、ストレッチで身体をほぐすことはできない。空き時間に外を歩くことは許可されているけれど、外は雨。とても歩けるような状況ではない。

「とにかくしんどい」と心身が悲鳴をあげ、空き時間はただひたすら眠っていた。そして、開始の鐘(スケジュールは鐘が教えてくれる)が鳴ると、重い身体を引きずって瞑想ホールへと向かう。

何をしていても「これはヤバい。マズイところに来てしまった。来なければよかった」という感情が膨れ上がっていく。
でもまだ初日。1日目。あと10日間もある。まるで耐えられる気がしない。
肌寒さがまた、このマイナスな感情を大きくする。寒い、辛い、帰りたい…。

でも、夜の講話で「来てよかった」と思える出来事があった。
合宿期間中、毎晩19時から瞑想指導者のゴエンカ氏の講話の音声を聞く。これがなかなか興味深いのだけど、1日目のテーマは「三種類の知恵」の話だった。

ここは、帰宅後に読んだ『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)から引用する(以下も同様)。

知恵には三種類ある。
借りた知恵(スタマヤー・パンニャー)
頭で考えた知恵(チンターマヤー・パンニャー)
体験した知恵(バーヴァナーマヤー・パンニャー)である。

 スタマヤー・パンニャー(注:借りた知恵)は、ほんらい「人から聞いた知恵」を意味する。本を読んだり、説教や講話を聞いたりして、人から借りた知恵である。
(中略)
 無知から、渇望から、あるいは恐怖から既存の理念を受け入れたとしても、借りた知恵は自分のものではない。自分が体得したものではない。あくまで借りた知恵である。

 第二の知恵は、頭で理解した知恵である。ある競技について読んだり聞いたりして、その内容をよく考えてみる。理論的に正しい打ろうか、有益だろうか、実践的だろうか、と自分なりに調べてみる。あれこれと考えてみてその内容が満足できるものなので真理として受け入れる。これも自分がほんとうに理解したものとは言えない。人から聞いた知恵を頭で理解したにすぎない。

 第三の知恵は、自分が実際に体験し、直接体得した知恵である。自分がさとった真理である。これこそが生きた知恵であり、まさに心の本質をゆさぶり、人生を転換させる真の知恵にほかならない。
(中略)
 人から聞いた知恵や頭で理解した知恵が、第三の経験にもとづく知恵、パンニャーを得ようとする気持ちを喚起したり、その指針となるなら、それはそれで役に立つ。だが、借りた知恵になんの疑問も持たず、ただ受け入れて満足していたら、かえってそれに束縛されることになり、体験的な理解の妨げになる。同様に、真理についてあれこれ考え、吟味し、頭で理解したとしても、自分で直接体験しようとしなければ、それがかえって足かせになって解脱の妨げになる

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P123-125
*太字は引用者による(以下同様)

教材編集、書籍編集と「コンテンツ」をつくる仕事に長く携わってきたが、ここ数年こんな疑問に襲われることがあった。
「私の仕事は、ほんとうに人をかしこくしているのだろうか? 人の知恵を育てることにつながっているのだろうか?」
体験によって得られる知恵こそが、人の人生を真に変えていく。
本というコンテンツの価値は、認めている。だけど、私は、真に人の助けとなるような知恵に携わることに力を注ぎたいという想いがあったのかもしれない。だから、コンテンツをつくるというだけでは満足できない部分があったと考えられる。

…と、私がここ数年の間もやもやと感じていた本をつくる中で感じていた限界を、いとも超えていくような気づきだった。

初日でこんな気づきがあるなんて、次はどんなことがあるのだろう?
不快感に追いやられて影を潜めていた好奇心、探求心が息を吹き返していくのを感じながら、1日目終了。

夜。アイマスクをしているのだけど、アイマスクをしてもずっと目の前に白い光が見えていた。感覚器官がおかしくなってしまったのだろうか…と思いながらも、身心ともに疲労困憊。気にするのをやめたら、あっという間に入眠。固いベッドが気にならないくらい熟睡した。

Day2:身心脱落? 私は波?

今日も4:00起床。鐘の音で自然と目が覚めるようになってきた。
そして4:30から瞑想ホールで坐り続ける。
でも、昨日に続いて、集中できなくて、とにかくつらい…。特に朝は、鼻水がダラダラと流れてくる。

天気も、相変わらずの雨。
晴れ女のはずなのに、一体どうしてしまったのか。
気温も低くて、寒い。憂うつさを超えて、惨めさまでもが湧いてくる。

でも、午前8:00からのグループ瞑想(参加者全員が瞑想ホールに集合して、一斉に瞑想を行う)にて、ちょっとした進展があった。
と言うのは「呼吸をしている私」から「呼吸を観察している私」の視点に切り替わったのだ。それまでの私は「呼吸を観察するよう言われたけれど、これでいいのだろうか…呼吸を観察しているというよりも、呼吸を意図的にコントロールしているようにも感じる…」と感じていた。
でも、ある一瞬を境にして、本当に不思議なことなのだけど、”完全に”視点が切り替わったとしか表現しようがない感覚があったのだ。

その時、自分を覆っていた幕・ベールのようなものが剥がれ落ちるような感覚があった。特に、頭とか心とか、身体の上部にあるものが下に落ちていくような感じ。
「身心脱落」という言葉が、ふと思い出された。合っているのかどうかはわからないけれど、私にとっての身心脱落は、ここで経験したような「ベールが落ちていく」という感覚なのかもしれない。

すると、それまで眠っていた身体感覚が一気に目覚めていき、昨日あんなに私を苦しめていた思考の渦がどこか遠くに行ってしまった。
次の瞬間、身体に心地の良い感覚が溢れてきて、身体の奥底、脊椎のあたりにエネルギーが集まっていき、震え出す。そして、あっという間に身体全体が熱を帯び、溶け出していくーーということが一瞬のことに起きた。

おそらくこれは、今回の合宿ではじめて感じた「溶解」(バンガ)の感覚。
これは決して珍しいことではなくて、瞑想をしている中で、誰にでも起こること。私も、瞑想以外の場面でも(催眠、ボディワーク等)、何度か経験したことがあった。でも、瞑想をとおしてたどり着いた「溶解」の感覚は、他で経験した時よりも強烈だったように思える(瞑想によって身体感覚が研ぎ澄まされていたせいかもしれないけれど)。
とにかく。
この時の感覚は、とても心地よいものだった。
その後、午前中はこの感覚とともにあった。

これをきっかけにいくつかの変化が訪れる。
何より大きかったのは、昨日よりもずっと楽に、心地よく坐れるようになったこと。視界が開けるというか「瞑想三昧(サマーディ)を満喫できる心身の状態が整った」というか。少なくとも「もう今すぐにでも帰りたい!」という気持ちは小さくなって、もう少し先へと進んでみようという好奇心・探求心のほうが大きくなっていった。

なお、この日、呼吸への集中瞑想から、身体のごく一部(鼻の下のあたり)の感覚に意識を向ける集中瞑想へと移った。
鼻の下に生じる感覚を観察し続けていると、身体がずっと振動し続けていることがわかった。確か夜のグループ瞑想の時だったかな? 男性の参加者の一人が、瞑想中に大きなくしゃみをした。その時、私の身体(特に鼻の下)がくしゃみの音(より正確に言うと、音の波紋)を受け取り、大きく波打っていることに気がついた。
「物質だと思っていた私の身体は、もしかしたら波なのかもしれない」--なんてことを感じていたところで、その直後のゴエンカ氏の講話。

 一見、からだは固体のようだが、つきつめてゆくと原子よりも小さな微粒子とからっぽの空間からできている。さらに、この微粒子でさえ固体とは言い切れないのである。一個の微粒子の寿命は一兆分の一秒よりもはるかに短いという。微粒子はたえまなく生まれ、死んでゆく。存在したとたん、消えてしまう。言ってしまえば、波動の流れのようなものだ。
 この事実こそ、二千五百年のむかしにブッダが発見したからだの本質であり、ありとあらゆる物質の真理なのである。
(中略)
 ところが実際、ものはみなカパーラという微粒子から構成されており、そのカラーパはたえず生まれては消えるという。つまり、連続的な波動の流れ、絶え間ない微粒子の流れ、これが「もの」の究極の真相である。わたしたちがそれぞれ「自分」と呼んでいる「からだ」の実体なのである。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P 31-32

講話の言葉を用いると「世界は波、さざなみ」だと言う。本来、固定的な実体はない。でも、それを「ある」と勘違いしてしまうことが苦しみの原因である、と。
仏教を学んだことがある方ならば、何度も聞いたことかもしれない。
瞑想の後に聞くと「確かにそうだ」という疑いようのない”腹落ち感”を得た。何度も聞いたことがある解説を、やっと体感できたのだろう(体験による知恵への第一歩!?)。

もうひとつ、体験をもとに胎落ちしたことがあった。それは「究極的な意味で、私は他者を救うことはできない」ということだ。

この日、私は、瞑想に苦しみながら、瞑想によって救われる体験を得た。真理のごくごく一部を、体験できたという感覚もある。
こうした体験は、自分で坐り、呼吸を観察するという主体的な営みから生まれたもので、私が経験した感覚は、どれだけ言葉を尽くしたとしても、本来的に誰とも分かち合うことのできない、どこまでいっても個人的なものでしかない(だけど、言葉で表現し、書き記しておくことで、誰かの人生を手助けするかもしれない…という願いを込めて綴っている)。
もし、目の前に「この人のことを救いたい!」と思う人がいたとしても、私が代わって坐ることはできない。
結局は、自分で坐り、呼吸をすることでしか得られない気づきがある
それが、根本的な「苦」からの解放につながるのだとしたら--私にできるのは、その人の課題、その人の呼吸に集中できるようなきっかけを提供すること、環境を整えることだけなのだろう。

ふしぎなことに、この瞬間から、生きとし生ける全てのものの幸福、解放を願う「慈悲の瞑想」を、表面的にではなく、心の深いところから唱えられるようになった(瞑想後、慈悲の瞑想を唱える時間がある *黙唱として)。

長くなったけれど、瞑想が大きく進展した2日目は、これにて終了。

Day3:進んでいるのか、戻っているのか。胸の苦しみと向き合う

昨日、調子が良過ぎたせいか? 一転して、今日はとても苦しかった。
まず、朝から眠くてたまらない。と言うのも、前日、あまりよく眠れなかったのだ。

瞑想が大きく進展したのは確かだが、それまで眠っていた「直観」が目覚めてしまったのかヒラメキが止まらない!
「あ、あれってこういうことだったんだ」「そうか、こうすればいいのか!」とマリオで言うところの”スーパースター状態”。無敵なのだけど、今はそんなヒラメキをメモする筆記用具もなければ、誰かに話すこともできない。身体はとても疲れているから、そろそろ眠りにつきたい。

「そろそろ寝ないと明日が辛い…」と迷った挙句、自分で自分にクラニオセイクラルを施してみることにした。ただ何もしないで、身体に手を当て、意識を向ける。すると、自然と眠りが脳を支配していき、眠りについていった(ここまで気づきを保って見ていられたのは初めての経験だった)。やがて浅い眠りは深い眠りへと移行していったようで、「眠り」への気づきは失われ、熟睡していった…ように思える。

そんな感じで寝不足なので、とにかく眠い。
4:00に起きて4:30にいったんは瞑想を始めたものの、すぐに二度寝。
6:30に朝ごはんを食べて、また寝る。
8:00-9:00のグループ瞑想が終わり、自室に戻って瞑想という名のうたた寝を続けて、昼食。そして昼寝をしたらなんとか目が覚めてきた……という、修行に来ているとは思えないような体たらくだった。

あと、睡眠不足以外のところで、根本的にやる気が出なくなってしまったという感覚がある。

この日は、出産を控えた妹のことが、何度も何度も頭を過ぎった。瞑想をすればするほど「妹のサポートをしたい!」という感情が強くなっていく。
感情というのは、ちょっと弱いかもしれない。身体の奥底から沸いてくる”衝動”ーーと言ってもいいだろう。

それと、瞑想合宿が始まる前から時期外れの生理になり、終了予定を過ぎても出血が続いていた。不正出血の原因のひとつとして考えられるリスクは、子宮体癌。
「もしかして…」という可能性も脳裏に浮かんでいた。
とはいえ、この状況では、それを確かめることはできないのだけど……(後日談として、これは問題ありませんでした)。

そんな体調面での不安は「死」を招き寄せる。

「もし、自分が次の瞬間に死を迎えるのだとしたら…?」
「そもそも、次の瞬間も命が続く保証なんて、どこにもないのでは…?」

かつて、母の急逝をとおして幾度となく直面させられた問いもまた、瞑想中の私に襲いかかってくる。

もし次の瞬間に死を迎えるのだとしたら--?
私は今、瞑想をしている。ならば、次の瞬間もまた心から、身体から、私がもっているすべての力をもって瞑想をする。そうして最期を迎えたい…そう何度自分に言い聞かせただろう。
何度言い聞かせてもまた、同じ問いが浮かび続ける…という無限ループのような時間。

思考と集中の間を行ったり来たりするという意味では1日目と同じなのだけど、その問いの中身はだいぶ私の実存的な部分へと深まっていった気がする……と、今、こうやって文章にまとめながら気がついた。
行ったり来たりしながらも、何かは進んでいたのだろう、きっと。そうだと信じたい。

ところで、3日目あたりから瞑想をしていると
・胸が苦しい
・呼吸がしづらくなる
という症状が、くり返しあらわれることになる。

少し待つと治まることもあれば、姿勢を変える(たとえば上を向く)必要があることもあるなど、いろんなケースがあったものの「息ができない」というのは、なかなかしんどかった。

合宿後に読んだ本によると、瞑想を深める中で胸が苦しくなることは割とよくあることらしい。ハートのチャクラが開こうとしている、との記述もあった。

 ハートのチャクラが開くと、やさしさと愛が生じますが、これはふつう大変な苦痛を伴います。というのもわたしたちの多くが、ハートを緊張と抑圧で覆っているからです。

『スピリチュアル・エマージェンシー』(P223)

呼吸のしづらさは、実はこのあとも事あるごとに訪れた(8日目にじっくりと呼吸のしづらさと向き合っていたら、とてつもない“プレッシャー“の感覚に押しつぶされそうになった。それでもしばらく観察していたら自然と消えていく--という経験に出会う)。

この経験でチャクラが開き切ったのかどうか、途中で閉じてしまったのかどうか、それとも全く関係のない現象だったのかはわからないけれど。ひとまず起きたこと&気づいたこととしてメモを残しておく。

Day4:ヴィパッサナー瞑想、真のスタート

この日もまたあまり眠れなかった。
とはいえ、体調はまずまず。朝からスケジュール通りに瞑想もした(集中できたかどうかは別として、とりあえず坐った)。

ここに来て4日たったけれど「夢の見方」「夢からの目覚め方」が普段とまるで違う。いつもよりも、夢と現実の境目が曖昧になった。別の言い方をすると、夢がよりリアルに、色濃く見たり、感じたりできるようになった。
夢と現実は、鏡のような関係に見えて、実は地続きなのかもしれない。

*余談ですが、この10日間に見た夢は後半にまとめています(内容的に一般公開ではなく、有料公開にさせていただきますことご了承ください)。瞑想の深まりと夢の深まりの関連性にご興味のある方は、どうぞご覧ください。

さて、今日からいよいよヴィパッサナー瞑想の実践に入る。
昨日までの瞑想(呼吸への集中、身体の一部への集中を続ける「集中瞑想」)は、ヴィパッサナー瞑想を始めるための準備。ここからが、本番と言えるだろう。

午前中9:00-11:00の2時間、ヴィパッサナー瞑想の指導が続く。
2時間ずっと坐り続けて、さすがに足腰が砕けるかと思った。

ちなみに、ヴィパッサナー瞑想とは、についてゴエンカ氏は次のように述べている。

 気づきと心の平静さーーこれがヴィパッサナー瞑想法である。この二つの修行を積むことによって、わたしたちは苦から解放される。どちらか一方が弱かったり欠けていたりしたら、ゴールへの道をすすむことはできない。
(中略)
 わたしたちは自分自身のもっとも微細な本質を見きわめ、心とからだをひとつの現象としてまるごと意識できるようにならなければならない。そのためには動作や思考といった、からだや心の表面的な部分に気づくだけではじゅうぶんではない。からだのなかのすべての感覚に気づく力をつけ、そうした感覚に対して心の平成さを維持することができなければならない。

 感覚に気づいても心の平静さを保てなければ、感覚への気づきが深まり、感覚に敏感になるにつれ、心はぴりぴりして反応しやすくなり、かえって苦しみが増す。
一方、心が平静であっても感覚に気づかなければ、その心の平静さは表面的なものになる。心の奥ではたえず反応しているのに、それに気づいていないからだ。
 そこで、もっとも奥深いところで、気づきと平静さをはぐくもうというのである。
 ものごとは常に変化するとさとり、自分のなかで起こることすべてに気づき、同時にそれにいっさい反応しない。そういう境地を目指そうというのだ。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P146–147

正直なところ、この境地には至れる気がしない。

でも、ヴィパッサナー瞑想の実践は、興味深かった。
それまでは鼻の下の感覚に向けていた意識を、全身に広げていく。頭、顔、肩、お腹、背中、足……痛いところ、不快な感覚が多々あるので「感じがい」がある。

このコースでは、瞑想が順を追って進んでいく。前にやったことは、必ず次の土台になっていく。このシステマティックで構造的な指導はすごい!と何度思ったことだろう。

ところで、さすがにこの頃になると「帰りたい」とは思わなくなった。
ただそれでも、空き時間になると「ああ、今ごろ○○くん(パートナー)は何をしているのだろう?」と思いを馳せていた(これは最終日まで変わらない)。

Day5:「痛み」と「無常」を行ったり来たり

この日もまた記憶が曖昧だ。
はっきりと覚えているのは、この日から「アディッターナ」が始まったということ。
「アディッターナ」とは「決意の時間」のこと。
決意の内容とは「1日に3回あるグループ瞑想の1時間の間は動かずに坐る」。足を組み替えて痛みを紛らわすことなどは、極力やめましょう、と。

1時間の間、動かずに坐るというのは、きつかった。でも、意外と何とかなるものだ。
というのも、足を組み替えたところで、少したてばまた痛くなる。何度かくり返すうちに、足を組み替えたところで、坐り直したところで、根本的には変わらないということに気がついたからだ(痛いものは痛い!!どちらにしても痛い!むしろ、後から感じる痛みのほうがより大きい!!)。

指導の中で「しんどくなって組み替える前に、少しの間、痛みをじっくり観察してみるといい」という趣旨のことを話していた。
ものは試しで、足腰が砕けそうな感覚が訪れた時、一度じっくり観察してみたことがある。
たしかに、痛い。辛い。焼けそうな感覚もある。
我慢ならない。動かしたら楽になるかもしれない--という誘惑が頭をもたげる。
でも、さらにもう少し観察し続けると、やがて痛みは去っていく。

不快な「痛み」は、ずっとあるわけではない。やがて消え去っていく。

足腰よりも辛かったのは、左肩甲骨の下のあたりの痛みだ。
奥のほうに何かがある。ジンジンと痛むこともあれば、キリキリと何かでえぐられるような感覚がすることもあれば、とにかく重いことも。
この日から最終日まで、程度の差はあれ、ずっと不快感が続いていた。
こちらは痛みを観察しても、なかなか去ってくれない。

「これは参った、もう嫌だ」と思ったけれど、ヨガもストレッチもダメ。散歩では、紛らわせられそうにもない。
瞑想ができないほどではないけれど、とにかく、しんどい。

……と、初日とはまた違う「しんどさ」が現れてきたのが5日目最大の出来事。

そんな痛みに苛まれる中での夜の講話は「アニッチャ」「無常」について。

 この事実はすでに知っていたかもしれない。頭では理解していたかもしれない。
 しかし、ヴィパッサナー瞑想によって、いま、自分のからだで無常の現実をありのまま体験する一瞬一瞬、移り変わる感覚をまざまざと体験し、自分の存在のはかなさを体得するのである。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P131

全ての感覚、心地いいものも、そうでないものも、すべては生じては、消え、また、生じては、消えていく。
私が観察した足腰の痛みだってそうだ。やがて消えていった。
この感覚はすべてが無常だ--と、頭では理解できる。

とはいえ、それでも益々強くなる痛みもある(背中)。実際に痛みの渦中にいると、とてもじゃないけれど「無常」だとは思えない……。

そんな「借り物の知恵」と「借りた知恵」「頭で考えた知恵」「体験した知恵」の間を行ったり来たり(三種類の知恵についてはDay1を参照)しながら5日目終了。

Day6:「無常(アニッチャ)」1000本ノック

痛みのせいかな? 今日はよく眠れた。
でも、起きたところで左肩甲骨の下は痛い。
ヴィパッサナー瞑想には、一応慣れてきた。
でも、瞑想をすればするほど、痛みは大きくなっていく気がする。もう怒りすらわいてきそうなほどに。瞑想で一番大切な、平静さを失いそうなほどに。

そんな中、アシスタント指導者から次のような問いかけを受けた。
(瞑想実践中、何度かアシスタント指導者による指導の時間がある。そこで、各々の瞑想の進み具合や実践についての質疑が行われる)

「すべての感覚に平静でいられますか?」
「アニッチャ(無常)であることを理解していますか?」

嘘をついても仕方がないので、正直に答えた。

「平静でいようと努力はしているけれど、正直なところ、痛みに対して平静さを保つのは難しい。とてもしんどいと感じている」

「アニッチャ(無常)については、頭では理解しているけれど、身体にまで落ちているとは思えない。だから、身体をとおして理解したい」

そんなやり取りの後、昼食をとり、仮眠をとった。
その際、ふしぎな夢をみた。

職場の夢だった。
私がよく見知っているはずの風景。
でも、私だけがそこにいなかった。
「あれ? なんで私はここにいないんだろう?」と思ったら、自分で「あぁ、そうだ。私は自ら選んで、この職場をしばらく離れる決断をしたのだった」と思い出す。
(夢の詳細は、末文にて)

私が大切にしてきた仕事、エネルギーを賭してきた職場。
でも、私は今そこにはおらず、こんなところで瞑想をしている。
そんな自分の行動を照らしてみると「私の思いもまた無常なのだ。永遠に続くものなどない」ということがよくわかる。
無意識が夢をとおして「無常(アニッチャ)」について教えてくれているようだった。

おそらく、私は、あまり覚えがよくない。理解は遅いし、理解してもなかなか身につかない。だから、何度も何度も、くり返しいろんな角度から学ぶ必要があるのだろう。
何度も何度も、砂漠に水をやるかのように「無常」の感覚を植え付けていく。そのために、夢を見させることもあれば、痛みを生じさせることもある。
無意識からの、もしくはsomething greatからの手痛い指導(まるで1000本ノックのような)を、ただひたすらに受け続けるような6日目。

Day7:「微細(サトル)」「成果」に執着する自分との出会い

今日も変わらず左肩甲骨の下は痛い。
ただ、不思議なもので、慣れてきた。

瞑想も少しずつ、確実に進展している(ここでの瞑想指導は、本当にシステマティックでよくできているし、わかりやすいと思う)。

昨日あたりから、徐々にサトル(微細)な感覚・エネルギーを感じる練習が始まった。
私はこれが結構得意で、あまり苦労することはなかった。
ただ、実は、この「得意であること」に落とし穴がある。

微細(サトル)の感覚は、とても心地良い。だから、この感覚とずっと一緒にいたい。
でも、残念なことにそれは叶わない。微細(サトル)の感覚を感じたと思った矢先に、粗雑(グロス)の身体が痛み出して、微細(サトル)の感覚は見えなくしてしまうなんてことはしばしば。
「せっかく捕まえたのに…!」「もっとこの感覚と一緒にいたいのに…!」と思うと、ドツボにハマる。逃げ水のように、追っても追っても捕まえることはできない。ただ、遠くから静かに見守るだけしかできないのに……。

ーーという反省は、後になって振り返った時に付け加えたもので、渦中においては、ただただ「微細(サトル)の感覚、心地いい!」「ずっとこの感覚と一緒に痛い!」と思い続けていた。
これが、大きな誤解であるとはまるで気づかずに…(そのことに気がつくのは、もうちょっと後のこと)。

あと、6〜7日目あたりから、気がつくと朝までぐっすり眠れるようになった。爆睡。なのだけど、夢も見ている。しかも夢が、どんどんはっきり、明晰で、大作になっていく。

夜の講話で「あと3日。でも、最終日は元の生活に戻るための準備があるから、瞑想に集中できるのは実質的に残り2日間だ」という話があった。
正直なところ、安心した。
「やったー!!終わりが見えてきたぞ」と。

ただ、それと同時に、今まで感じていなかったようなプレッシャーがあることに気がついた。
あと2日間で、私はヴィパッサナー瞑想に来てよかったと思えるような「成果」「結果」を持ち帰ることができるのだろうかーーと。

正気じなところ驚いた。
元々、「とりあえず行ってみよう」「行くこと、参加することに意味がある」という気持ちだったのに、、、まさか内側から瞑想から「成果」「結果」を求める声が出てくるとは。

「成果」を求めることは、モチベーションにつながる。
でも、瞑想は成果を求めてするものなのだろうか……という新たな問いが浮かびながら、7日目終了。
いずれにしても、瞑想に集中できるのは、あと2日。

Day8:生まれてこれなかった弟との邂逅と「無常」、そして根本的な勘違い

外は大雨。詳しくはこのあと書いていくけれど、8日は今回の瞑想合宿の中で大きな山場/クライマックスだった。

まず一つ目の山場。それは、夢に弟が出てきたことだ。

私は二人姉妹の姉なので、現実的には、弟はいない。でも、私が8歳くらいの時に流産?死産してしまい、生まれてくることができなかった弟がいたのだ。

弟の存在は、ふだんあまり思い出したことはなかった。いや、正確には、思い出さないようにしていたのかもしれない。

私の家族にはいろんな問題があった。
母が心を病み、アルコール依存となり、いろんなトラブルを巻き起こし続けた(私が小学校5年生くらいのときから、2017年に急逝するまでずっと)。そんな中で、末っ子だとしても「長男」である弟がいたとしたら、弟が苦労することになったのでは…?という心配がどこかにあった。
「苦労をするくらいなら、生まれてこなくてよかったのかもしれない…」
弟に対しては、そんな思いもある。

でも「弟がいてくれたら…」という思いもある。
母が心を病んだ原因の一つは「男の子を産めなかったこと」であるらしい。
本家で、元々は地主の家に嫁いだ母にとって、男の子を産むことは、重くのしかかるプレッシャーだったと思う。一人目、二人目は女の子。そして、三人目での男の子の妊娠は、さぞ嬉しく、安心しただろうと思う。周囲の期待もあっただろう。
でも、結果として、弟は生まれてくることができず、この出来事をきっかけに母は転げ落ちるかのように病んでいった。
「もし弟が無事に生まれてきてくれていたら、こんなことにならなかったのではないか?」と思ったことは何度もある。

というとても複雑な想いのある弟が夢に出てきたのは、初めてだった。
しかも、見たのは明晰夢。「私の意志で弟を探しにいく」というものだった(詳細が気になる方は、夢のDay8をご覧ください)。

夢の中だとしても、弟に会えたことは本当に嬉しい出来事だった。心があたたかくなって、何かがふんわりと包まれるような感覚があった。
その日は一日、夢の中にいるのか、現実を生きているのか、よくわからなかった。いや「わからなくていい」と思った。

だからだろうか。瞑想中も、ずっと弟が見守ってくれているような感覚があった。正確には「私が、私らしくあるための手助けをしてくれている」という感じ。
ちなみに、瞑想中、左肩甲骨下の痛みを感じていた時、弟から「カッコつけんなよ」という声が聞こえた気がした(注:あくまでも「気がした」というレベルで本当には聞こえていない)。休憩時間中にインナーワーク(プロセスワーク)をしてみたところたどり着いた洞察は「勝手に自分(弟)の人生を背負っているように思える…」。
私は、勝手に重荷をつくって、勝手に背負って、そこに勝手にプレッシャーを感じるという一人相撲をしていた…のかもしれない。

この気づきをきっかけに左肩甲骨下の痛みがとれた……のであれば、それはドラマティックだけど、現実はそうはいかない。
ただ、痛みとの向き合い方が少し変わった。痛みは、身体が発してくれるメッセージであり、そこに隠されているのは自分自身がなんとか生き抜いてきた歴史、周囲の人たちと過ごした出来事の蓄積なのかもしれない。ならば、たとえ「痛み」という不快な感覚があったとしても、邪険にするのではなくて、丁寧に扱いたい。

瞑想の中身についても、もう少し。
Day7の最後に少し書いた「成果」へのこだわりが表出したのが、この日だった。
やっぱり、私はこの10日間をとおして「これを得ました」と明確に言えるような手応え・成果を得たいと強く、強く思っている。瞑想をすればするほど、そう思う自分自身への気づきが深まり、自覚せざるを得なくなっていく。

瞑想において生じてくるもの(痛みや苦しみ、時に訪れる甘美な経験)は、今の自分にとって必要だから起こるもの。今、必要なこと、私が経験・体験すべきことを、しっかり体感し、観察したいーーそう思っていたつもりだった。

でも、一皮剥けば「瞑想に“奇跡“を求める私」がいたのだ。

奇跡のような救い、体験が、欲しくて、欲しくて、欲しくて、たまらない。

そんな中、今日もまた、溶解(バンガ)を経験した。
私の身体に溢れる微細(サトル)のエネルギーがどんどん強くなっていくと、もっと外へ外へと広がっていこうとしている。その感覚がさらに強くなっていくと、2日目に経験したように、脊髄のあたりに熱を感じ、それがどんどん上へとのぼっていき、頭頂にたどり着いたあたりで全てのエネルギーが溶け出すような感覚が広がっていくーーという、とても心地良い感覚だった。

この経験があったのは午前中かな?
ただ、この心地よさも、やがては消えていき、少しずつ身体の痛みが戻ってくる……というどころか、この日の私の場合、まるで反動のようにより大きな痛みが感じられるようになった。

この時「ああ、本当に無常なのだな」と腹落ちした。

私が欲しくて、欲しくて、欲しくてたまらないのは、溶解(バンガ)のような心地よさや奇跡のような体験。それは、たまに運が良ければ起こることもあるかもしれない。
でも、その心地よい感覚もまた、永続するものではなく、通り過ぎていく。ずっとそばにいてほしいと思うのに。全く望んでいないのに、過ぎ去っていく……。
望むと望まざるとに関わらず、私の意図とは別のところで動く自然の原理、自然の法。それが、ダンマ(ダルマ)であり、その中心が「無常」なのだろう。

「欲しい」と強く願うことは、渇望を生む。
「平静さをもって、ただ起きていることに気づきを向ける」という瞑想のあり方とは、真逆のものなのだ。

講話でも、何度もくり返されていた。

 感覚が心地良いとか心地わるいとか、強いとか弱いとか、均一であるとか均一でないとか、そういうことは重要でない。ただ、そうした感覚を客観的に観察するのである。
 心地わるい感覚がどれほど耐えがたくても、心地よい感覚がどれほど甘美であっても、修行を止めてはいけないそういうものに気を取られたり、心を奪われてはならない。科学者が実験室で観察するように、ひたすら自分自身を見つめるのである。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P 130-131

 実際に瞑想をしてみると、ブッダの言葉の意味がよくわかる。
 意識がうわべの現実をつらぬいて微細な現実に入りこむと、全身に心地よい波動の流れを感じる。そのうち、とつぜん、その流れが止まる。そしてまた、からだの一部に強い不快な感覚を感じたり、無感覚の部分があらわれる。心にもまた強い感情がわいてくる
 このような変化をきらい、もう一度あの微細な波動の流れを味わいたいと渇望するならば、まだヴィパッサナー瞑想法の真意がつかめていない
 それではヴィパッサナーがゲームになる。快感を追い、不快感を避け、打ち破る、というゲームだ。いままでやってきた人生ゲームとまったく同じことになってしまう。押しては引き、追っては逃げるのくり返しだ。
 ゲームの結果は、ただ苦しみだけが待っている

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P 172

さらに続く。

 真理への知恵が深まると、すべてが溶解する体験をしたあと、ふたたび粗大な感覚を感じても、それは後退ではなく、むしろ進歩なのだということがわかる。
 ヴィパッサナー瞑想を修行する目的は、なにかとくべつな感覚を体験することではない。心の条件づけを取り除き、心を解放することである。
 どんな感覚であっても、それに反応してしまったら苦を増やすことになる。じっと心のバランスを保っていれば、少しずつ心の条件づけがなくなる。

 からだの感覚は、苦から自分を解放する手段なのである。
 心地わるい感覚を淡々と観察し、それに反応しなければ嫌悪を消滅させることができる。心地よい感覚を淡々と観察し、それに反応しなければ渇望を消滅させることができる。心地わるくも心地よくもない中立の感覚を淡々と観察し、それに反応しなければ無知を消滅させることができる。
 どんな感覚も、体験も、それ自体に善し悪しはない。心のバランスを維持できれば善し、心の平静さを失ったら悪し、ということなのである。

 このことを頭に入れて、ありとあらゆる感覚を利用して心の条件づけを取り除いていく。この段階をサンカーラ・ウぺッカーと呼ぶ。すべての条件づけに対して心を平静に保つ、という意味である。
 こうして一歩一歩、ニッバーナへの究極の真理へと近づいてゆく。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) P172-173

後になって本を読めば、この気づきはよくあるミスであり、ここに気づけたことは、とても大きな進歩だったのだとわかる。でも、瞑想中は、このことを知れるはずもなく、途方にくれていた。

8日目。瞑想に集中できるのは残り1日。
ここに来て「私は根本的なミスをおかしていたのかもしれない……」と気がついた。とはいえ「気づかないまま終わらなくてよかった」とも思っていた。

Day9:私がそれでも瞑想をする理由とは?

瞑想に集中できる最後の日。
なのに「これでもか」というほど瞑想が苦しい1日だった。「もう嫌だ」という強い拒絶が湧き上がってくる。
とはいえ、9日目ともなると身体は瞑想に馴染んてくる。心がどれだけ拒絶しても、坐る姿勢をとり続けることは苦なくできる。
なので、午前・午後とスケジュール通り瞑想をした。
「今、ここでしか感じられないもの、今この場に現れてくる真実をつぶさに見届けよう」と意識を奮い立たせた。

午後、一度、溶解(バンガ)の感覚を経験した後、この拒絶感がさらに強まった。

「もう一瞬たりとも坐りたくない!」
「あーーーもういや!もう懲り懲り!!!」
「だって、何があっても全部、無常なんでしょ。無常なんだから、もうこれでいいじゃない!!!」

腹からわいてきた拒絶感に無理やり言葉を与えるならば、こんな感じ。

最終日手前だけど、私は本気で帰ろうかと思った。こんな感覚のままじゃ坐れない!と。

でも、帰らなかったからこそ、今この文章を書いている。
あの場、あれだけの拒絶感を抱きながらも、なんとかその場にい続けた自分のことを、心から讃えたい。

「瞑想がつらい」という感覚は、その日の夜の瞑想までずっと消えなかった。でも、投げ出さずに瞑想を続けていたら、ふしぎな気づきがあった。

「もしかしたら、今、私が瞑想をすることは、100年、200年、はたまた1000年……という時間を超えて、命に対する貢献になるのではないか?」

完全に直感なので、根拠はない。瞑想をしていたらこの想いがわいてきた、というただそれだけの話。
時空を超えた命へと思いを馳せる感覚……その時の私にとって、苦しくても瞑想を続ける理由、坐り続ける理由として、ふしぎと納得がいくものだった。

なお、ゴエンカ氏の講話では、ブッダの言葉を引用し、こんなことが述べられていた。

無知によって、反応が起こる、
反応によって、意識が起こる、
意識によって、心と物が起こる、
心と物によって、六つの感覚器官が起こる、
接触によって、感覚が起こる、
感覚によって、渇望と嫌悪が起こる、
渇望と嫌悪によって、執着が起こる、
執着によって、生成のプロセスが起こる、
生成のプロセスによって、誕生が起こる、
誕生によって、老と死が起こる、
そして嘆き、悲しみ、心とからだの苦しみ、諸々の苦難が起こる。
こうしてありとあらゆる苦が生じる。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)P63

苦から抜け出す道は、この真逆。

無知を根絶し、完全に消せば、反応が止滅する、
反応が死滅すれば、心と物が止滅する、
意識が止滅すれば、心と物が止滅する、
心と物が止滅すれば、六つの感覚器官が止滅する、
六つの感覚器官が止滅すれば、接触が止滅する、
接触が止滅すれば、感覚が止滅する、
渇望と嫌悪が止滅すれば、執着が止滅する、
執着が止滅すれば、生成のプロセスが止滅する、
誕生が止滅すれば、老と死が止滅する、
さらに嘆き、悲しみ、心とからだの苦しみ、諸々の苦難が止滅する。
こうして、ありとあらゆる苦が止滅する。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)P64-65

もう一つ、別の箇所から引用する。

 つまるところ、自分や他者の心の濁りこそ、この世の苦しみの根本原因なのである。心がきれいに澄みきったとき、人生は無限のひろがりを持つ。そのとき、わたしたちはほんとうの幸福を味わい、それを分かち合うことができる。

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)P197

この世界には「苦しみ」があるのは当たり前だと思って受け容れてきた部分があるけれど、もし当たり前ではないのだとしたら? 苦しみから解放され、真の自由を手に入れられる可能性があるのだとしたら??

ものすごい努力の要ることかもしれないけれど、今、この瞬間に起きていることに平静さをもって、気づきを向ける。
何はともあれ、坐る。瞑想をする。
私が感じられる、ごく限られた現実に目を続ける。
これが、シンプルで本質的な、世界への貢献なのだ。

……と、やっと「瞑想をする」ということに腹が決まった感覚があった。迷いがなくなった。

とはいえ、今日は9日目。
「最終日にしてここか」と思うと、我ながら笑えてくる。
でも、ふしぎと穏やかな心持ちでもあった。

9日目の朝は大雨だった。
でも、徐々に天候は回復していき、夜には星を見ることができた。
明日は久しぶりに朝陽を見ることができるだろうか。

Day10:metta day 慈悲の涙と聖なるおしゃべり

4:00起床。4:30瞑想開始。
これがもうすっかり日常となってしまった。慣れとは怖いものだ。

ここ数日は大丈夫だったものの、朝の瞑想中、どういうわけだか鼻水が止まらなくなってお手洗いへと中座。
5:10頃だっただろうか。
ホールへと戻る途中、ふと空を見上げると、朝焼けに照らされた金色の空に美しい虹がかかっていた。
思わず手を合わせ、祈らずにはいられないような美しさ。

でも、またこれも無常。
虹は少しずつ形を変え、色は薄らぎ、やがて空と一体になっていく。
一瞬一瞬、姿を変えていく空。
空も身体も心も同じようなものなのかもしれない。

さて、朝8:00-9:00のグループ瞑想が終わり、慈悲の瞑想(metta(メッター)ヴァーバナー)の指導。
慈悲の瞑想は、私が知っていたものよりも、もっとずっとシンプルなものだった。でも、私はこのシンプルさが良いなと思って、今もずっとゴエンカ式を続けている。
慈悲の瞑想、、、正直なところ胡散臭い印象があったけれど、なぜだか泣けた。涙腺が決壊するかというほどに。

私は、ただ生きとし生ける全てのものの幸福、安らかさ、健やかさ、苦しみからの解放、真の自由の獲得を、心から祈りたかったのだ。
今までは、それができなかったけれど、やっと心から祈れるようになった。
そのことが嬉しかったのか、それとも別の感情だったのか、正体はよくわからない。
ただ、この涙は、慈悲の涙であったように思える。

さて、慈悲の瞑想のあと、遂に10日間の「聖なる沈黙」が解かれる。
10日間、一緒に瞑想をつづけてきた仲間たちとのおしゃべり(「聖なるおしゃべり」と呼ばれいた)が始まる瞬間だ。

「はじめまして」なのだけど、はじめてではないという間柄は、おもしろい。
経験を共有してきたからこその「はじめまして」のぎこちなさを味わいながらも、どこか安心感のある雰囲気のなかで、おしゃべりに花が咲く。10日間も喋らないと言葉を忘れるのでは? と少し思っていたけれど、全くそんなことはなかった。

参加している方は、20代、30代、40代、50代とさまざま。
働いている人もいれば働いていない人もいるし、職業も国家公務員、パン屋さん、料理人、アーティスト、元青年海外協力隊、セラピストなど多種多様。
いろんな人がいろんな想いで10日間、坐ってきた。

「どうして参加したのか?」をきっかけに、この10日間に至るまでの道のり、物語を聞き合っていくと、みんなが共通して何かしらの「痛み」を抱えているように思えた。「痛み」から逃げずに向き合ってい、自分なりの努力を続けていくなかで、この場所にたどり着いた。
誰も代わってくれない自分の人生に、ケジメをつけるために、それぞれの道を、それぞれなりに歩んできた。
そして、今、この瞬間の喜びを共有している。

ところで、瞑想を続けてきた10日間は、驚くほど雨が多かった。
だけど、この日は朝から夜までずっと晴れ。
夏が戻ってきたかのような澄み切った青空。
旅にひと段落した私たちを祝福するような眩しい日差し。
夜は、4日前の新月から少しずつ育ってきた細くて美しい月が煌めいていた。

秋の名残が漂う晴天のもと、一緒に坐った仲間たちと「はじめまして」だけど「はじめまして」じゃない時間を共有した時のことを思い出すと、なんだか不思議と泣けてくる。
ああ、参加してきてよかった。
この仲間たちと一緒に坐れて、本当によかった。

Last Day:そして日常へと舞い戻る

いよいよ最終日。最終日のスケジュールはちょっとイレギュラー。
4:00起床、4:30-6:30の最後のグループ瞑想&講話をもって、10日間の全行程が終了。
その後、部屋を片付け、朝食をいただき(10日間おいしい食事を提供してくださった奉仕参加のみなさまにも心からの感謝を伝えた)、施設の掃除をして9:00頃解散。

いざこの日を迎えるとあっという間……のように思えるけれど、いやいやそんなことはないぞ。
ここまで書くのに2万字超。これでも、だいぶ端折っている。まだまだ書きたいことはある。

参加前、私は、瞑想に対して、何か奇跡のようなものを夢見ている部分があった。そのつもりはなかったけれど、心の奥底にはそういう想いがあったのだと、かなり実感させられた。
正直なところ、あれから時間がたって、今この文章を書いている私の中にも、その感覚はゼロではない。
「瞑想をすることで、世界が変わり、苦しみから救われるのではないか?」と、縋るような想いもある。

瞑想には、救い・救済の要素は大いにあるのだけど、ブッダが説いた瞑想は、もっとずっと現実的で地に足の着いたものだった。
崇拝することでは、救われない。実践するしかない。
ひたすら現実と直面しつづける。
ただ、それだけ。それしかない。

見方を変えると、今、ここに現前しているものの中に、全てはある。つぶさに見ようとすれば、それは見えてくる。

だから、私の痛みの中に、私の感じる心地よい感覚の中に、私が学ぶべき種がある。

そんな現実の一つひとつに対して、目を背けることなく、気づきと平静さをもって、にこやかに穏やかな笑みをたたえて(←これは私が追加した)受け留める。そんなふうにありたいし、そうあれるように自分を整えていきたい。

…という想いを胸にしながら、来た時とは逆ルート(送迎車、バス、総武本線→横須賀線)にて帰途につく。

実は、バスの中で酔った。スマホの見過ぎ&乗客の方の香水の香りがキツすぎて……
シャバの世界は、10日間の瞑想明けの私にとっては刺激が強すぎる。
乗り換えの時、目、耳、香りと次から次へとやってくる暴力的な刺激の渦に耐えきれなくなってしまい、一人で駅のホームでうずくまっていたのも本当の話。

途中の駅までパートナーに車で迎えに来てもらい、12日ぶりの再会。
「今日は好きなものを食べよう!」ということで、お気に入りの野菜たっぷりのピザ屋さんへと向かった。

車、久しぶりだったので運転してみようと思ったけれど、道路に散らばる標識、看板を見ているだけでクラクラしてしまったので、やめておいた。
何度も言うけれど、やっぱりシャバは刺激が強い。
とはいえ、私は日常を生きているし、この世界、この日常にグラウンディングしなおすことが次の課題だ。

後日談:旅は続くよ、どこまでも

さて、最後。

瞑想合宿を通してこんな変化がありました、ということを羅列してみる。

・長めの瞑想がまるで苦ではなくなった(むしろもっと瞑想がしたい)
・慈悲の瞑想は心地よすぎる
・痩せた
・手がカサカサになった(油分不足)
・胃腸の不調がいっさいなくなった
・頭痛、肩こり、腰痛など、社会人であれば多少なりともありそうな不快な身体症状もすべてなくなった
・音、光に敏感になった
・クラニオモードに入るのが早くなった
・ただ、空気に触れているだけで幸せを感じるようになった
・自然の中にいる喜びが、以前よりもずっと大きくなった
・パートナーとお話をする時間が、もっと楽しく、心地よいものになった
・PC、スマホ、タブレットの類をあまり触りたくなくなった

(など、他にもありそうなので、思いついたら追記する)

とまぁ、色々な変化があったのだけど、10日間の瞑想が終われば、もう全てがおしまいかというと、そうではない。
むしろ、帰って来てからのほうが旅の本番だったりもする。

行くまでよく理解していなかったけれど、ヴィパッサナー瞑想10日間コースというのは「ヴィパッサナー瞑想とはどういうものかを知り、自分に合うか合わないかを判断するための機会」として位置付けられている。
そう考えると、そもそも、この10日間で何か大きな変化を得ようなんてこと自体が、おこがましいことなのだろう。

私は、ヴィパッサナー瞑想に手応えを感じた。
なので、この実践の旅を、これからも続けたいと思っている。

ちなみに、コースから帰ってからの実践として推奨されているのは「朝晩1時間の瞑想(ヴィパッサナー&慈悲の瞑想)」。

正直なところ、朝晩1時間の瞑想は、できていない。
とはいえ、以前に比べると、格段に瞑想の時間は増えた。
坐りつづけることに、まるでストレスを感じなくなった。
今となっては、瞑想は心地よい時間になっている。

何が起きても、平静さと気づきをもって受け留める。それって、完全にオープンな感覚がする。
微細(サトル)の感覚に浸る時間も心地いい。

なんの予定もなくて、私が一人でいるのだったら、コース中と同じようなスケジュールで暮らすのも悪くないかもしれない(本当に可能かどうかは、やってみないとわからないけれど)。

だけど、私は、今、この世界を生きている。
美しい自然、心優しく愛しい人たちもいるけれど、まるで五感を奪いにかかるかのような強い刺激に溢れ、生きてるだけで傷だらけになるような、ちょっと狂った部分もある世の中を。
愛しさも、美しさも、狂気さも、どれらも受け留めて生きているし、これからも生きていたい。

だから、瞑想の世界へと逃げ込みすぎないようにしたいと思っている(大切な大切なサンクチュアリだからこそ)

なので「朝晩1時間の瞑想(ヴィパッサナー&慈悲の瞑想)」という推奨事項は、日常的には瞑想に費やすのは最大で1日2時間まで(朝晩1時間ずつ)だと勝手にリフレーミングして、現実に根づきなら、現実をつぶさに見つめる時間をとり続けていきたい。

1年か2年に一度くらいは、また10日間の瞑想、やってみようかな。
忘れた頃に、またまたあの感覚を取り戻すために。
すべての瞬間に、気づきと平静さをもっていられるようになるという地道な練習のために。

瞑想の深まりと「夢」の話

さて、ここから先は有料記事です。

瞑想の深まりと夢は、何かしらの関連性があるのでは?と思っている。
実際のところ、瞑想が深まれば深まるほど、夢が深くなっていったように感じる。
以下にまとめるのは、私が見た夢の羅列だけど、ひとつの研究対象としての価値はあるかもしれない。でも、夢は言わば私の無意識に深く触れる部分。あまり大っぴらに書いておくのは気が引けるので、希望者のみ、有料でという形で書き残しておく。

なお、瞑想の会場には筆記用具の持ち込みは禁止だったので、終了後、あわてて思い出してメモをした内容。夢の記録自体、どこまでが事実かよくわからないけれど、記録する行為までにも時差があったことを書き加えておく。

(以下、予告なく削除する可能性があります。何卒ご了承くださいますようお願いいたします)

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